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 大雨の中、フミと濡れながら帰った、その成果は――

 記憶は拾えなかったばかりか、フミは風邪を引いてしまうという大敗。どうやら艱難辛苦は続くらしい。

 そう上手くはいかないか、と思いながらも、もう少しいいことがあってもいいのになと嘆きながら、咳き込むフミを見つめる。


 フミは床の上に布団を敷き、そこへ横になっている。熱を測ると三十八度を超えていたので、少しでも熱が下がるようにと、首の後ろや脇の下など、太い血管が通っている箇所に冷えた湿布を貼り、解熱を試みている。

 といっても、熱以上に厄介なのが咳だ。朝からしきりに咳き込んでいたフミは、昼が近くなった今や犬が鳴くような、甲高い音がする咳へと変わっていた。


「明らかにひどくなっている……」


 フミはこの世の人ではないから病院に連れて行くことはできない。それならば市販薬を、と思ったけど、なぜかフミが許さなかった。彼曰く「もっと簡単に治る」とのこと。


 メモしようと、スマホを手に持つ私は、現在。

 フミが寝ている布団の横へ、正座をしている。


「フミ、大丈夫?」

「むしろ、芹香は……?」

「見ての通り、元気」

「そりゃ、何よりだ……」


 顔が真っ赤だ。息をするのもしんどそう。目は潤んでいるせいか、いつもより濃い紫色だ。


「本当に、薬は飲めないの?」


 さっき聞いたけど、薬なら手元にある。飲みさえすれば、体は楽になるのだ。

 だけどフミは「薬かぁ……」と、顔をしかめるばかり。


「僕の体にはね、薬よりも……リンゴが利く」

「り、リンゴ?」


 メモを打っていた手が止まる。当たり前だけど、リンゴに薬は入っていない。

 だけどフミは「そう、リンゴ」と、念押しするよう繰り返した。


「それを食べれば、元気になる……。甘ければ甘いほど、いい」


 ただの好みの問題だろうか? いや、でもこの世の人じゃないから、病気の治し方も違って当然か。


「わ、わかった。じゃあ今すぐ買ってくるから、待っててね」


 現在、お昼の十二時。店ならとっくに開いているし、ちょうど昼ごはんも買える。リンゴの他に、ゼリーやスポーツ飲料も買っておこう。

 手早く身支度を終え、玄関に向かう。

 その時「忘れ物」と、この前遭遇したセミの百倍はか弱い声で、フミに呼び止められた。彼が持っていたのは、星空バッグ。


「今日、手紙の配達が一軒あるんだ……。でも見ての通り、僕はこの状態だから」

「……ん?」


 その言い方だと――と、額にジワリと汗が浮かぶ。そんな私の心の声を察したのか、フミが「ご明答」と。私の肩に、バッグの紐を通した。


「芹香……手紙を配達してくれない?」

「えぇ⁉」


 思わぬ発言を聞いて、ポロッと目玉が落ちそうになる。

 私が手紙を配達? つまり幽霊に会って、手紙を受け取るってこと⁉


「ごめん、まだ心の準備ができないっていうか……っ」

「でも僕の配達エリアでリクエストが来たから……行くしかなくて。

 でも芹香が行けないなら、仕方ないね……」


 僕が行くよ――とフミが布団からはい出ようとしたので、すぐに止める。

 ゴホゴホと鳴り止まない咳は、私に「差出人の元へ行ってくれ」と訴えているようで……。仕方なく「わかったよ」と、目を瞑って天を仰ぐ。


 これまでフミにお世話になりっぱなしだから、ちょうど「恩返しをしたい」と思っていたところだ。その内容が「配達」とは思わなかったけど……。いくら何でも、独り立ちが早すぎる。


 でも……やるしかない。

 こんな状態のフミに、無理はさせられないもの。


「星空バッグと、コンパスの使い方を教えてくれる?」

「芹香……ありがとう」


 体を起こしたフミが、嬉しそうに笑った。二言目には「差出人も喜ぶよ」と、自分のことより相手のことだ。本当にフミって、お人好しなんだから。


「私、フミほど優しい人に、今まで会ったことないよ」

「え……。そんなこと、ないけどな。僕、『前』はひどかったし」


 前?

 不思議に思ったけど、フミは私と合わせていた視線をパッとそらす。そうして亀のようにのそりと動いて、再び布団をかぶった。


 ……色々聞きたいことはあるけど。

 今は、風邪を治すことが最優先だ。


「道具の使い方、教えてくれる?」


 そう言った私を見て、フミはうれし泣きしそうな顔をした。……熱のせいで目が潤んでいるから、そう見えただけかもしれないけど。

 その後――私は道具の使い方を一通り習って、ついに外へ出た。


「それにしても『薬を飲めない』って、不便な体だなぁ」


 そう言いながら、フミが薬を見た時にイヤそ~な顔をしたことを思い出す。もしかして薬が飲めないんじゃなくて、単に薬嫌いなだけじゃ……。


「でもフミって一体、何者なんだろう」


 最初に会った時、フミは私にこう言った。


 ――僕、他の人には視えないから。

 ――生きていない、ってことですか?

 ――君と同じ時間に生きていない、ってことだね。


 生きてるのだろうか、それとも、もう――

 だけど、さっきの発言も気になる。


 ――僕、『前』はひどかったし。


 フミほど優しい人に会ったことない、と言ったら、この返事だ。

「前」って、一体なんだろうか。前世、とか?


「う~ん……、わっ」


 公園の横を通った時。背の高い木がガサガサと音を立てた。何かいるのかな?

 そう思って見上げるも、鳥の一匹いない。気のせい、だろうか?


「と、とにかく。今は配達のことだけ考えよう。そうしようっ」


 真昼なのに、これから幽霊に会うと思ったら、妙にゾワゾワしてしまって……。いつもよりも高い声を出して、自分自身を鼓舞する。


「コンパスの針は、こっちを向いてるから……。後はもうひたすら歩くだけだね」


 フミは大丈夫かな、とか。スマホよりも自転車を先に直すべきだった、とか。思うことは色々あるけれど、とにかく足を動かす。なんせ配達が終われば、万事解決なのだ。だったら足を動かすしかない。幸いにも、昨日とはうって変わって天気が味方してくれている。曇り空だから、さほど暑さを感じない。


 そう思って、勇み足になった途端。

 フッと、宙に浮いていたコンパスが姿を消す。


「え……、あれ? なんでコンパス消えちゃったの⁉」


 もしかして地面に落ちちゃった? だけど周りを見回しても何もない。試しに「コンパス出てこい」なんて言ってみるも無反応で、私が恥ずかしい思いをしただけだった。

 でも、この状況……。

 フミが使っている時にも、同じ事態に陥ったことがある。


「確か、差出人が近くにきたら、コンパスが消えていた。っていうことは……」


 つまり、この近くに差出人――幽霊がいるってことだ!


「ど、どどど、どうしよう……っ」


 梶谷のおばあちゃんと最初に会った時、それはそれは怖かった。

 昔の私はどうだったか知らないけど、少なくとも今の私は、その類が苦手だ。


「でも受け取らないと、配達は完了しないし……」


 脳裏に、熱と咳にうなされるフミの姿がボワッと浮かぶ。

 早く帰って、リンゴを食べさせてあげなくちゃ――そう自分を奮い立たせ、差出人を探す。自分のため、と思うよりも、誰かのためだと思った方が、すんなり足が動く。

 しばらく歩くと、曇天の下、妙に明るく発光する人がいた。


「いた、あの人だ……」


 見た瞬間に、幽霊だとハッキリ分かった。同時に、私を待っていることも。

 髪の長い女の人が、一通の封筒を持って立ちすくんでいる。


「~っ」


 声を掛けるのは怖い。何かされたらどうしよう。逃げ切ることってできるのかな?


 一気に不安に襲われる中。配達に同行した初日、フミに言われたことを思い出す。

 ――幽霊は、こちらに敵意がなければ悪さはしない。


 そうだ。フミがあぁ言うんだから、何も恐れることはない。私は何も悪意をもっていないから、向こうも私に何かすることはない。

 フーッと長い息を吐いて、呼吸を整える。そうして一歩、幽霊に近づいた。


「あ、あの……」


 声を掛けると、幽霊……差出人は、ゆっくりこちらを向く。途中で風が吹いたけど、長い髪は一本たりとも揺れなかった。この世界の住人でないことがよく分かる。

 とはいえ、この世界の住人でないのは、星空バッグを掛けている今の私も同じだ。


「私は手紙屋、です。お手紙を、預かりに、参りました……っ」


 途切れ途切れだけど、何とか言えた。途中、心細くなってバッグの紐をキュッと握る。

 差出人の女性は、長い腕をゆっくりと私へ伸ばした。白い封筒だ。あの中には、この女性が心を込めて書いた手紙が入っているのだろう。

 順調に私に手紙を渡そうとした女性。だけど途中で、ピタリと止まる。


 どうしたのだろう、何を思っているのだろう?

 疑問に思えど、慮れない。

 なぜなら女性の顔は長い髪で隠れており、表情を読み取ることができないからだ。怒っているのか、悲しんでいるのか……判断しかねる。


「えぇっと……手紙、預かっていいですか?」

「……ダメよ」

「え?」


 思ったよりも、よく通る声だ。だけど、どうしてダメなんだろう?


「私は、あまり文字がキレイじゃないから……。恥ずかしい」

「もしかして手紙を渡す相手は、男性ですか?」

「っ!」


 女性がパッと顔を上げた。青白い肌に、サーッと赤みが増していく。どうやら正解だったらしい。となれば、意中の相手かな?

 幽霊の片思い。亡くなった後も、心が焦がれるような恋をしているなんて……いじらしくて可愛い。さっきまで怖いと思っていた気持ちが、一気に霧散した。

 再び俯いた彼女へ、自ら一歩近づく。


「私の仲間が言っていたのですが……。

 手紙で大事なのは、気持ちだそうです」

「気持ち?」

「はい。気持ちを送るために手紙を書くのだと。だから字の上手い下手は、さほど気にされなくても大丈夫だと思いますよ」

「そ、そうなんだ……」


 フミの教えが生きて嬉しい。フミが大事なことを教えてくれたおかげで、女性に労いの言葉をかけてやることができる。この言葉が、彼女の勇気の源になればいいな。

 心の中でフミにお礼を言いながら、もう一歩、女性へ近づく。


「だから大丈夫ですよ。お手紙、私に任せてください」

「……分かりました」


 女性は、再び腕を私に伸ばした。ゆっくり、ゆっくり。

 だけどタイミング悪く、電話をしながら道を歩くサラリーマンが通りかかる。


「確かにメモをとってこいと言ったが、あんな汚い字じゃ何も読めないっての。

 もう一度、最初からまとめ直してこい。字が汚いなんて、大人失格だぞ!」

「…………」

「…………」


 サーッと血の気が引くのが分かった。女性はどう見ても成人女性で、大人だ。今の言葉で、自分を追い込まなければいいけど……!

 不安に駆られながら女性を見ると、まるで自分のことを言われたように顔面蒼白になっていた。マズイと思った時には、私に伸ばした腕を、再び引っ込めてしまった。


「や、ややや、やっぱり、私の手紙は捨てた方がいいです……!」

「ま、待ってください! さっきも言ったように、字の上手い下手は関係なくて……!」


 フォローするも、女性は止まらなかった。しまいには「こんな手紙は捨てます!」と、雑巾を絞るように手紙を捻り、ビリッと封筒が裂ける。

 このままじゃ、本当に破れちゃう!

 焦った瞬間。私の横を「何か」が素早く通り抜け、そのまま女性に向かっていく。同時に「ワン!」と聞こえた。その「何か」は、女性の周りでしきりに飛び跳ねている。


「体は白い毛。でも前足だけ、ソックス履いたような茶色の毛……」


 目の前にいる「犬」の特徴を口にすると、昨日の大学での会話を思い出す。


 ――あの子はシーズーだね?

 ――ココに会う人はいつも『ソックス履いてる』って言ってくれたなぁ。


 フミとみやちゃんの声が頭に響く。

 でも、まさか……。


 私が呆然としている間に、女性が持つ手紙を、犬がパクッと咥えた。そのまま女性から離れると、女性は「あぁ、恥ずかしいのにっ」と言いながら、霧のように消えていった。

 少々強引だったけど、手紙を無事に預かれたから良かった……のかな?


「私の代わりに手紙を受け取ってくれてありがとう。

 君は、ココちゃんだね?」

「ワン!」


 ココは、元気よく吠えた。よかった、正解だった。私はココから手紙を受け取りながら「初めまして」と、頭をなで……ようとして、笑うだけにとどめた。フミが頬につけたひっかき傷を思い出したからだ。


 ココは「初めまして」と言った私を見て、首を傾げた。

 そういえば……みやちゃんが言うには、私とココは会ったことがあるらしい。

 私は「ごめんね」と、ココの頭を撫でる。


「今の私ね、記憶がないんだ。昔の君も、今に負けないくらい可愛かったんだろうね。

 君からの手紙、みやちゃんがとても喜んでいたよ。素敵な肉球だった」

「ワンッ」


 私の話していることが分かっているらしい。ココは嬉しそうに吠えた。さっきまで緊張していたけど、ココの愛らしさを見ていると、徐々に体の力が抜けていく。


 だけど……どうしてこの場所にいるんだろう?

 差出人は手紙を渡したら、さっきの女性みたいに消えるんじゃないの?


「あんた、その犬と知り合いなのか?」

「え――」


 突如として聞こえた声。

 急いでココを抱きかかえて、振り返る。

 すると、小学生くらいの男の子が立っていた。

 キッと吊り上がった目、フミとは正反対の黒い髪、そして見覚えのある星空バッグ。


 もしかして、この子は――

 

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