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最終話

 母の所まで降りていく。だけど母は私の涙に濡れた顔を見て、察したらしい。私が絵馬を見たことを、妹の存在を思い出したことを。


「止まりなさい、芹香」


 ピシャリと、母がそう言った。だけど私は止まらなかった。今この足を止めることは、きっと桃香を悲しませることだと思ったから。それに、まだ母へ謝ってない。

 このお寺に来る前、私は母に、ひどいことを言った。


 ――お母さんは、私のことを大切に思ってないんだね。


 そんなことない、母はちゃんと私を思ってくれていた。だから謝りたい。私と母の間にある誤解を解けば、ちぎれそうな絆も、きっと二重にも三重にも強くなるはずだから。


「お母さん、私ね」

「……もういいわ」


 母は「はぁ」とため息を吐いた。けれど私は怯えなかった。母は怖い人ではないと思い出したからだ。

 現に母の目は、もう鋭くなかった。まるで降参したように目じりが下がり、ピリピリした空気は霧散する。


「絵馬の所に、二人で行きましょう」

「私も……そう言おうと思ってた」


 そうして私と母は再びお寺へ。チヒロとみやちゃん、そして再びネックレスをつけて姿を現したフミは気を利かせて私の実家に戻った。


 母と階段を上がり、山門をくぐる。この時、電車の中で思い出した「何か大きな物が建っていて、階段もあった」故郷の風景は、このお寺だと分かった。

 絵馬の前まで来た時。はぁと、母が再びため息を吐く。


「どうして子供って、私の思った通りにならないのかしらね」


 大層なことを言っているように聞こえるが、その実は違う。あの父あって、この母あり。要は二人とも「恐ろしく口下手」なのだと、今までの母の言動から理解した。


「あなたには妹のことを思い出してほしくなかったし、もちろんお腹の子には生きていてほしかった。子供への願いが、こうも叶わないなんてね」


 母の目が、一つの絵馬に向く。そこには【かわいい姉妹を、この目で見られますように】と書かれていた。無論、母の絵馬だ。


「お母さんは……私が記憶喪失のままの方が幸せだと思ったんだね」

「あなたが、あまりにも落ち込んだから。妹が生まれない、死んでしまったと知ってからの芹香は、まるで人形だった。食も細くなって……。私はね、あなたまで失いそうで怖かったのよ」


 だから引っ越しを決めたわ、とお母さん。


「この地にいれば、芹香は妹のことを思い出す。だからいったん離れた方がいいと思った。お父さんは、『ついて行かない。ここに残る』と言ったから、離れ離れになったけど。

 片親になってしまって、あなたには寂しい思いをさせたわね」


 白色が混じった母の髪がさらりと揺れる。風に乗った絵馬がカタカタ音を立てる。

 

「お父さんは、どうして残ったの?」

「妹が一人になるから可哀そうだろって、そう言ったわ」

「……そっか」


 私は父が出て行ったと思っていたけど、実際に出て行ったのは私たちで、父は実家にい続けた。一人お墓に入った桃香が、寂しい思いをしないようにと。


 予想していた通り、私の記憶はどこをつついても苦しいものしかない。だけど、それだけでもない。当時悲しみに包まれていた両親は、そんな中でも私や桃香のことを考え、行動してくれた。私たちを大切に思ってくれていたからこそだ。


「さっきはごめんね。お母さんは、私のことをたくさん考えてくれていたのに」

「謝らなければいけないのは私よ。本当はお見舞いに行きたかった。記憶をなくすなんて大変だったろうに」


 だけど行けなかった、と。母は唇を食む。


「私を見た瞬間、芹香が記憶を取り戻すんじゃないかって。妹のことを思い出して、また悲しむんじゃないかって……。そう思ったら行けなかった」


 母の目じりに涙が溜まる。それは太陽に照らされキラリと輝く。母の私への思いは、まるで宝石のようにキレイだった。


「それより芹香、どうして雨の日に自転車に乗ったの? それで転倒なんて……」

「あ、えっとね……ナスとキュウリを買いに行ってたの」


 私の思いがけない言葉に、母は目を丸くする。それほど野菜好きだったかしら?って顔だ。

 私は「違うよ」と笑い、あの日を回顧する。


「あの日はちょうどお盆だったから、帰ってきたらいいなって思ったの。ほら、ナスとキュウリに割り箸をさして、亡くなった人の乗り物を作るアレだよ」


 母はお盆によく見る置物のことを思い出したらしい。「なるほどね」と溜飲を下げる。


「だけど私があんなことになっちゃって結局会えなかったからさ――今、桃香に会いたい。このお寺にお墓があるんでしょ?」

「どうして、桃香の名前を……?」


 どうやら母は、「桃香」という名前を、ずっと秘密にしていたらしい。これもきっと、「名前があると愛着が湧いて余計に私が悲しんでしまう」と思ったからだろう。


 だけど私は手紙をもらった。桃香本人から。

 これをお母さんに見せたら、きっと――


「なに、芹香?」

「……ううん」


 妹から手紙が来たことを、母に話そうと思った。だけどコレを見せたら、今度は母の方が泣いて泣いて悲しみに暮れるのではないかと思って……。気づいたら私は、ポケットに手紙をしまっていた。

 同時に、母の気持ちが分かった。

 失くした記憶を思い出させないようにした母の行動――相手を大切に思うからこそ、時に隠さないといけない事実があるということを。


「私が『芹香』だから、妹にも香がつく名前かなって。そう思っただけだよ」

「……そっか」


 お母さんは私を見て、しばらく何か考えていたようだけど……結局は何も聞かなかった。「こっちよ」と、私をお墓まで案内する。

 お寺の隣に墓地があった。そこに立つ墓石に、「藤村家之墓」と書いてある。そこには父の名前、そして妹の名前が、白色で掘られている。


「お父さんも、ここで眠っているんだね」

「お父さんが亡くなったことも忘れていたなら……この光景は、ビックリするでしょうね」

「……うん」


 お父さんから「手紙」をもらった時点で、私は父の死を知っていた。だから、そこに関しては驚かない。むしろ藤村家の墓に入っていた方が驚きだ。


「別々に暮らしていたけど、仲が悪いわけじゃなかったんだね」

「仲が良くもなかったわ。あの不摂生にはげんなりしていたしね」

「げんなりって」


 忌憚ない言い方に、思わず吹き出してしまった。私とお母さんは笑みを浮かべたまま、二人揃って手を合わせる。


 父が手紙で言っていた「お母さんは失ってばかりだから」というのは本当だった。

 桃香を失い、住み慣れた家を出て、父とも離れて暮らした。一緒にいる私は、桃香のことで喪失感に苛まれて……。


 喋れなくなった母のためにと尽力したチヒロの話を思い出す。きっと私のお母さんも、私に尽くしてくれたのだろう。辛かっただろうな。

 自分の子供が死ぬなんて、お母さんが一番辛かったはずだ。それでも私を元気にするためにと、たくさん失う決意をし、新しい生活を始めた。

 お母さんが、全身全霊で私を守ってくれたんだ。


 ――困っている人が自分の家族であれば、自分を顧みず寄り添いたくなるのは当然なのかもね。


 フミの言葉が蘇る。あの時は「そうなのかな」と半信半疑だったけど、今では「その通りだ」と自信を持って言える。


「お母さん、今までありがとう。辛い中、私を育ててくれてありがとう」

「芹香……」


 再びじわりと、母の目に涙がたまる。「いいのよ」と笑った時、スッと一筋の涙が零れた。


「私はあなたの母親だもの」

「……うんっ」


 これほど私を大切にしてくれるお母さんの娘でよかった。心からそう思う。

 今では二人になってしまった家族。蜘蛛の糸のように細い絆は、いつちぎれてもおかしくなかった。だけど誤解が解け、私たちは絆を紡ぎ直した。母に愛されていると知ることができた。

 私は、幸せ者だ――




 そうして二人で涙した後。「絵馬を書こう」となり、私たちは絵馬の前まで戻ってきた。


「よし、できた」


 初めて書く絵馬は、それはそれは緊張した。所々震える字は、とても大学生が書いたとは思えない。

 絵馬って書きにくいんだ。だけど母は、絵馬にだってキレイな字を書いていた。……書き慣れてしまった、という方が正しいかもしれないけれど。

 絵馬を括りつけた私は、もう一度手を合わせた。そこに書いた内容を、口にしながら。


【今度こそ、家族四人がそろいますように】


 桃香から貰ったカードを、こっそり手に挟む。「なんでも願いがかなう券」の力をかり、さらに絵馬に願いをこめた。


「この願い、届くかしらね」


 ポツリと母が口にした言葉は、私を不安にさせようと思って言った訳じゃない。母自身が不安だったのだ。絵馬に何度も願いを込めたけど、全て叶わなかったから。


「きっと届くよ。絵馬を見て、桃香もお父さんも喜んでくれるはずだよ」

「……そうね、きっと」


 互いを励まし笑い合っていると、手の中にあった券がスッと、溶けるように消えた。さっきまであったカードの感触が、すっかりなくなっている。

 手から滑り落ちたのだろうか?

 身をかがめて探そうとした、その時だった。


『きゃははっ』


 笑い声がこだまする。幼い女の子の声だ。その声は母にも届いていて、私たちは顔を合わせる。


「今の、桃香の声……?」

「うん、そうだよ……きっとそう。桃香が願いを叶えに来てくれたんだよっ」


 お母さんは「よかった」と、絵馬を前に初めて笑った。彼女の十年越しの願いは、きっと来世で叶うだろう。両手で顔を覆った母の背に、そっと手を乗せた。



 それから家に戻り、フミたちと合流した。玄関を開けると、みんながワッと出てきた。どうやら、かなり心配してくれていたらしい。


「芹香、おばさんと仲良くなったみたいだね」

「え?」

「顔を見れば分かるよ!」


 みやちゃんは、私をギュッと抱きしめてくれた。そうだ、彼女は嬉しいことがあると、昔からこうして抱きしめてくれる人だった。私に温もりを与えてくれる、一番の親友だった。

 私はみやちゃんのことも全て思い出していた。そのことを告げると、彼女は大泣き。「今日はこのまま実家に泊まるから、また明日ウチに来てほしい。お母さんも喜ぶから」と、家に招待された。もちろん私は「行くよ」と頷く。


「じゃあ私、帰るね! おばさん、お邪魔しましたー!」


 昔と同じ口調で、みやちゃんは家を後にした。お母さんはみやちゃんに手を振った後、「さて」と。カバンを持ってくる。


「今日芹香が泊まっていくなら、晩ご飯を作らなきゃ。エビフライ、好きだったわよね?」

「……うん、大好きっ」

「じゃあ買い物に行って来るから。お友達も、ゆっくりしててね」


 フミとチヒロにそう告げて、母はさっさと出かけてしまった。いや、さっさとというか、浮足立って、というか。

 一気に三人になった私たちは、笑いながら互いを見合う。


「俺は次の配達があるから、もう行くぜ。この地域は俺の配達エリアだから、また会うこともあるだろ」

「うん。あ、だけどフミは……」


 私たちはフミを見る。

 無事に百通目の配達を終えた彼は、私たちの視線を受け、ポケットから白い封筒を取り出した。それはフミ専用の封筒。彼が、大切な人に書く手紙だ。


「なんて書こうか迷っている内に、この時が来ちゃったな」


 フミは、誰に手紙を書きたいんだろう。家族かな? でも話していると彼は、家族に関して「どこかよそ事に思っている」瞬間があった。フミは、どんな人生を歩んできたのだろう。


「手紙屋は続けるのか? ってか俺は、続けてほしいんだけど……」


 照れながら言うチヒロに、フミは破顔した。


「それは分からない。とりあえず手紙を書いてみるよ。手紙屋を続けるかは、その後ゆっくり決めようかな」

「手紙屋を辞めることも、続けることもできるの?」

「うん、自由に選べるよ」


 それなら私もチヒロと一緒で、フミに手紙屋を続けてほしい。ここまで仲良くなったのにサヨナラするのは、やっぱり寂しいし。

 チヒロと一緒に凹んでいると、フミが「こらこら」と。湿っぽい空気を手で払う。


「ココと一緒だよ。また会えるかもしれないし、会えないかもしれない。その時を、お互い楽しみに待とうよ。

 今が僕が思っているのは、芹香に会えて良かったってこと。無事に家族の絆も戻ったことだし、なにより家族というものを知られた。ありがとう、芹香」

「こちらこそ……フミとチヒロのおかげだよ。背中を押してくれて、励ましてくれて本当にありがとう」


 お礼を言うと、二人はネックレスに手をかけた。そうしてシャッと首から外し、星空バッグへ形を変える。


「じゃあね、芹香」

「またリンゴくれよな!」

「うん……またねチヒロ、またねフミ!」


 二人が玄関を出て行く。その後ろ姿を、走って追いかけた。

 だけど家を出た瞬間、二人は姿を消してしまう。どこを見ても、もういない。


「ありがとう、本当にありがとう」


 二人と出会い、私はかけがえのないことを知った。家族の絆、人が人を思う気持ちの尊さ、その輝き。


「また絶対、どこかで会おうね!」


 大事なことをくれた二人に、もう見えない二人に、思い切り手を振る。

 私の声は道路を滑走路にし空を跳ね、どこまでも響いた。


【完】

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