表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第9章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

90/102

■ 第90話「生きたい」

 一日目の朝。


 メアの部屋に行った。


 変化はなかった。まだ目を閉じている。呼吸は昨日と同じ。浅い。


 でも——息吹石のペンダントが光っていた。白と紫の柔らかい光。メアの胸元で。部屋の隅の息吹の核も脈打っている。命の灯火の息吹が、家全体に染み込んでいる。


 ゴルドが寝台の横にいた。一晩中ここにいたのだろう。目の下に隈があった。


「変わりませんか」


「メアはまだです。でも焦らないでください。回路に息吹が染み込むのに時間がかかる」


「……はい」


「ゴルドさん自身はどうですか。身体の調子」


 ゴルドが少し驚いた顔をした。


「……言われてみれば。昨夜はよく眠れた。一晩中ここにいたのに、身体が軽い。朝起きたとき、腰の痛みがなかった。——十年ぶりくらいに」


「灯火の効果です。息吹が身体に巡り始めてる」


「……俺にも、ですか」


「ゴルドさんだけじゃない。この集落の全員がそう感じているはずです」


 ゴルドが娘の手を握っていた。大きな手が小さな手を包んでいた。


―――――


 午前中、果樹園を見回った。ソルスと一緒に。


 すれ違う住民の顔が違っていた。昨日の死んだ目じゃなかった。


「魔王様。身体が軽いんです。こんなの何年ぶりか」老人が声をかけてきた。


「飯が美味い。昨夜の飯が、ここ数年で一番美味かった」別の男が言った。


 命の灯火の効果が出始めていた。土が変わっている。昨日より湿っている。息吹が地面に染み込んで、水分を引き上げている。


「効果が出るのが早いですね」ソルスが土を触った。「この土地は元々息吹との相性がいいんでしょう。果物の産地だっただけある」


「木はどうだ」


「まだ変化は見えません。でも根は動いていると思います。地中で」


 レナが果樹園の端を歩いていた。木の幹を一本一本見ていた。


「レナ、何してるんだ」


「木を見てる。あたし、こういうの好きなんだよ。畑仕事とか。——戦士じゃなかったら農民やりたかった」


「意外だな」


「意外か? あたしだって土をいじるのは好きだよ。剣振るだけが人生じゃないし」


 レナが木の幹を撫でた。優しい手つきだった。


―――――


 昼過ぎ。メアの部屋に戻った。


 ゴルドがまだいた。妻もいた。二人で寝台の横に座っていた。


「カイン様」


「はい」


「……娘は、本当に助かるんでしょうか」


「助かります」


「……何度も聞いてすみません。でも——」


「何度でも聞いてください。何度でも同じことを言います」


 ゴルドが俯いた。


「……三年間。毎日、娘が弱っていくのを見ていた。最初は歩けなくなった。次に座れなくなった。そして起き上がれなくなった。今は目を開けることもできない」


「……」


「医者もいない。薬もない。息吹も足りない。何もできない。——何もできないまま、娘が消えていく」


 ゴルドの声が震えた。


「果樹園が枯れたときは——耐えられた。木は待てば戻ると思えた。でも娘は——娘は待てない。毎日弱っていく。毎日、少しずつ。手の温度が下がっていく。声が出なくなっていく」


 母親が泣いていた。声を殺して。


「魔王様が来てくれた。灯火を置いてくれた。息吹石を下げてくれた。——でも、まだ変わらない。一日経って、まだ目を開けない。信じたいのに——怖いんです。また裏切られるんじゃないかと」


 俺はゴルドを見た。


「ゴルドさん」


「はい」


「俺は——助けに来たんじゃないです」


 ゴルドが顔を上げた。


「助けるなんて大層なことじゃない。俺はただ、助けが遅れたことを詫びている」


「……」


「メアさんは三年間戦ってきた。身体が動かなくなっても、目が開けられなくなっても。今も息をしている。心臓が動いている。——この子はずっと一人で戦ってた。俺が遅かっただけだ」


 ゴルドの目から涙が落ちた。


「……遅く、なんて」


「遅かった。もっと早く来るべきだった。でも来た。——だからここから巻き返す」


―――――


 夕方。


 メアの指が——動いた。


 母親が気づいた。


「あなた……! メアの指が……!」


 ゴルドが寝台に駆け寄った。メアの右手の指が、微かに動いていた。ほんの少し。握るような動き。


「メア……! メア……!」


 返事はなかった。でも指が動いた。


 一日目。指が動いた。それだけ。


 でもゴルドは——泣いた。指が動いただけで。三年間動かなかった指が動いただけで。


―――――


 二日目の朝。


 メアの部屋に入った。


 メアが——目を開けていた。


 薄い色の瞳。淡いピンク。天井を見ていた。焦点が合っていなかった。でも——目が開いていた。


「メアさん」


「……」


 声は出なかった。でも瞳が動いた。俺の方を見た。


「俺はカイン。灯火を届けに来た」


「……」


 メアの唇が微かに動いた。声にはならなかった。


「無理に話さなくていい。ゆっくりでいい」


 ゴルドが入ってきた。メアの目が開いているのを見て——膝から崩れた。


「メア……! 目が……!」


 メアの視線がゴルドに向いた。唇が動いた。


「……お、とう……さん」


 掠れた声。三年ぶりの声。


 ゴルドが寝台に突っ伏した。泣いていた。大きな身体が震えていた。


 母親が駆け込んできた。メアを見て。目が開いているのを見て。声を聞いて。


「メア……! メア……!」


 三人で泣いていた。


 俺は部屋を出た。


―――――


 廊下でシアが待っていた。


「……泣き声が聞こえた」


「目が開いた。声も出た」


「二日目で、か。……早いな」


「回路が死んでいなかったから。息吹が染み込む速度が思ったより早い」


「……よかった」


 シアが小さく言った。


―――――


 二日目の午後。


 メアが起き上がった。


 自力じゃない。ゴルドが背中を支えて、枕を重ねて。でも上半身を起こしていた。


 俺が部屋に入ると、メアが俺を見た。


 淡いピンクの瞳。焦点が合っていた。昨日より、ずっとはっきり。


「……カイン、様」


「声が出るようになったな」


「……はい。少し」


 声が細かった。でも言葉になっていた。


「気分はどうだ」


「……身体が、温かいです。ずっと——冷たかったのに」


「息吹が巡り始めてる。もう一日経てばもっとよくなる」


「……本当ですか」


「本当だ」


 メアが少し黙った。


「……私、死ぬんだと思ってました」


「……」


「毎日、少しずつ身体が動かなくなって。目が開けられなくなって。音が遠くなって。——もうすぐ終わるんだと思ってた」


「……」


「怖かった。でも——諦めてた。しょうがないって。こういう身体に生まれたんだから。誰のせいでもないって」


 メアの目に涙が浮かんだ。


「でも——お父さんが泣いてるのだけは、嫌だった。毎晩、寝台の横で泣いてるのが聞こえてた。目は開けられなかったけど、聞こえてた」


「……」


「お父さんを泣かせたくなかった。でも——何もできなかった」


 涙が頬を伝った。薄いピンクの髪が濡れた。


「……死にたくなかった。本当は」


 掠れた声だった。


「死にたくなかった。生きたかった。果樹園を走りたかった。果物を食べたかった。お父さんとお母さんと——普通に、ご飯を食べたかった」


 俺はメアを見た。


 十七歳。三年間、寝台の上で消えていくのを待っていた少女。


「メアさん」


「……はい」


「死にかけた人間が一番強い。生きたいって気持ちを知ってるから」


 メアが俺を見た。淡いピンクの瞳が揺れていた。


「俺も何度も死にかけた。その度に思った。まだ死ねない。やることがある。守りたいものがある。——その気持ちが、一番強い力だ」


「……」


「メアさんは三年間、死にたくないと思い続けた。お父さんを泣かせたくないと思い続けた。——それが、お前の強さだ」


 メアの涙が止まらなかった。


「明日には歩ける。約束する」


「……約束」


「ああ。明日、一緒に果樹園を歩こう」


 メアが——笑った。


 弱々しかった。唇が少し動いただけ。でも笑っていた。


 薄いピンクの頬に、ほんの少しだけ色が戻っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ