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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第2章

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■ 第9話「軍議」

 朝の訓練が終わったとき、レナが走ってきた。


 いつも通りのマイペースな足取りだったが、今日は少し速かった。


「カイン! よかった、まだいた!」


「どうした」


「抱きついていい?」


「よくない」


 レナはそのまま抱きついてきた。


 背が低いレナの顔が、俺の胸元に埋まった。ただ体型は均整が取れていて、抱きつかれた瞬間にそれがよくわかった。カインは少し困った。


「今日の訓練めちゃくちゃよかった! カインどんどん強くなってる! やっぱり強い人好きー!」


「離れてくれ」


「結婚しよー!」


「しない」


 レナは笑いながら離れた。まったく悪気のない顔をしていた。


 俺は苦笑いしながら、ふと横を見た。


 シアがいた。


 訓練場の端に立って、手元の術式書に目を落としていた。白い装束に真白の髪、いつもと変わらない姿だ。


 ただ一つだけ違うことがあった。


 装束の裾を、両手でぎゅっと握っていた。しかもかなり強く。指先が白くなるくらいに。


「シア」


 声をかけると、シアは一拍遅れて顔を上げた。術式書から目を離して、俺を見た。


「なんだ」


「顔色悪くないか」


「悪くない」


「本当に?」


「本当だ」


 俺はシアに近づいた。三歩分の距離まで。シアの顔をちゃんと見た。


 いつもと同じ無表情だった。でも目元がわずかに険しい。それに、さっきから俺の胸元あたりを見ていて、目を合わせようとしない。


「さっきから様子がおかしいぞ」


「おかしくない」


「裾、ずっと握ってる」


 シアは即座に手を離した。装束の裾がくしゃっとなっていた。


「……握っていない」


「今まで握ってたじゃないか」


「気のせいだ」


「気のせいじゃない。俺ちゃんと見てたぞ」


 シアは俺をちらっと見た。視線が一瞬だけ合って、すぐに逸れた。白い頬に、薄らと赤みが差していた。


「……何でもない。放っておけ」


「何でもないなら教えてくれ」


「だから何でもないと言っている」


「それ何でもない人の顔じゃないぞ」


 シアは黙った。


 俺も黙った。


 沈黙が続いた。シアは俺から目を逸らしたまま、唇をわずかに結んでいた。何か言おうとして、言葉が出てこない、という感じだった。


 レナが横から顔を出した。


「シアちゃん、さっき私がカインに抱きついたのが嫌だったんじゃない?」


 シアの肩が、ぴくっと動いた。


「違う」


「本当に?」


「違うと言っている」


 声がいつもより半音低かった。


 レナはにやっとした。俺はレナを横目で見てから、もう一度シアを見た。


 シアは完全に俺から顔を背けていた。耳まで赤かった。


「シア」


「……なんだ」


「レナが抱きついたのが嫌だったのか?」


 長い沈黙。


「……別に」


「別にって、なんで裾握ってたんだ。レナと仲悪いのか?」


「仲悪くない」


「じゃあなんで」


 シアは答えなかった。


 耳まで赤くなっていた。


 俺はしばらく待ったが、シアはどうしても答えなかった。


「……まあ、何かあったら言えよ」


 俺はそれだけ言って、訓練を再開した。


 レナが俺の隣に来て、小声で言った。


「カイン、鈍すぎ」


「何が」


「なんでもない」


 レナは盛大にため息をついた。


―――――


 昼過ぎ、グラザードに呼ばれた。


「今夜、軍議を開く。お前も出席しろ」


 俺は少し驚いた。


「俺が?」


「奇跡の壁を作ったのはお前だ。今後の防衛戦略にはお前の術式が不可欠になる。出席する権利がある」


「権利、というか……他の人たちは納得するんですか。人間が混じることに」


 グラザードは少し黙った。


「納得しない者もいるだろう。だが俺が連れていく。それで十分だ」


 断る理由がなかった。


「わかりました。出ます」


―――――


 夜、軍議の間に通された。


 広い石造りの部屋だった。中央に大きな円卓があり、すでに十人ほどの魔族が座っていた。


 全員、顔が整っていた。魔族というのは本当にそういう種族らしい。ただ今夜集まっている者たちは、整った顔に一様に鋭い目をしていた。歴戦の将たちだ。角も大きく、傷の痕がある者も多い。


 俺が入った瞬間、室内の空気が変わった。


 視線が集まった。値踏みするような目。敵意を隠していない目。訝しむような目。


 グラザードが先に立って歩いていた。


「カイン・アーヴェルだ。奇跡の壁を作った術師で、予言の者でもある。以後、軍議への出席を認める」


 沈黙。


 一人が口を開いた。老齢の男だった。角が太く、白髪交じりの髭を蓄えている。


「グラザード将軍、確認させてほしい。この者は人間だ。軍議の場に人間を入れることの意味を、将軍は理解しておられるか」


「理解した上で連れてきた」


「万が一、情報が漏れた場合の責任は——」


「俺が取る」


 グラザードは一言で切った。


 老将は黙った。


 他の者たちも何も言わなかった。グラザードへの信頼なのか、圧なのか。とにかく、それ以上の異論は出なかった。


 グラザードが俺に目配せした。座れ、という意味だろう。


 俺は円卓の端の椅子に座った。


―――――


 軍議が始まった。


 グラザードが地図を広げた。


「先日の北部侵攻で、人間側は奇跡の壁を突破できないことを確認した。今後、彼らは別のルートからの侵攻を試みるはずだ。東と南の境界線の防備を強化する必要がある」


 将たちが地図を見ながら意見を出し合った。兵の配置、補給路、偵察の頻度。具体的で実戦的な話が続く。


 俺はしばらく黙って聞いていた。


 地図を見ながら、考えた。


「一つ聞いていいですか」


 室内が静まった。視線が集まる。


「東と南にも壁を張れます。時間はかかりますが、今の北の壁と同じものを。そうすれば三方向からの侵攻を同時に防げる」


 沈黙。


 老将が口を開いた。


「それは……本当に可能なのか」


「北でやったことと同じです。息吹が定着すれば維持に魔力は要らない。一度張ってしまえばあとは勝手に立ってます」


 将たちが顔を見合わせた。


 グラザードが言った。


「カイン、期間は」


「北の壁一本で一日かかりました。休みながらやれば、東と南合わせて一週間もあれば」


 また沈黙。


 今度は違う種類の沈黙だった。


 老将が、ゆっくりと息を吐いた。


「……百年間、夢にも思わなかった話だ」


 その声は、さっきより柔らかかった。


―――――


 軍議が終わったのは深夜だった。


 将たちが退室していった。俺が立ち上がろうとしたとき、グラザードが言った。


「少し残れ」


 二人きりになった。


 グラザードは地図を見たまま、しばらく黙っていた。


「カイン、お前に一つだけ話しておきたいことがある」


「何ですか」


「先ほど、壁を三方向に張ると言っただろう。将たちが黙ったのは、喜んだからだけじゃない。怖かったからだ」


「怖い?」


「期待するのが怖いんだ」


 グラザードは円卓に手を置いた。


「二十三年前、俺が総司令になったとき、東の砦にはまだ三百人いた。今は五十人だ。残りの二百五十人は死んだか、傷ついて戦えなくなったか、集落に戻った」


 俺は何も言わなかった。


「俺が最初に出した撤退命令が、東の砦だった。百人で守っていた前線を下げろと命じた。あの日、殿(しんがり)を務めた三十人のうち、戻ってきたのは八人だった」


 グラザードの声は平坦だった。いつもと同じ、感情を出さない声。でも、指先が白くなるほど円卓の縁を握っていた。


「以来、撤退命令を何度出したか。前線を下げるたびに殿が死ぬ。だが前線を維持すれば全滅する。どちらを選んでも部下が死ぬ。二十三年間、その判断を繰り返してきた」


 俺は地図を見た。じわじわと後退していく魔族領の境界線。その一本一本の線の裏に、何人分の命があったのか。


「今夜、お前が壁を三方向に張ると言ったとき、あの老将が少し笑ったのが見えたか」


「見えました」


「あの男は、殿で生き残った八人のうちの一人だ」


 俺は黙った。


「お前が来てから、初めて前線が後退していない。初めて壁の外を見張る必要がなくなった。初めて将たちが軍議で防衛以外の話をした」


 グラザードは俺を見た。


「だから言っておく。期待している。お前が思っている以上に、この国の全員がお前に期待している。それが重荷になるかもしれん。だが知っておいてほしかった」


 俺は少し考えた。


「重荷じゃないです」


「そうか」


「こっちこそ、話してくれてありがとうございます。……二十三年間、一人で背負ってたんですね」


 グラザードは少し黙った。


 それから、いつもの無表情のまま、小さく息を吐いた。


「一人じゃなくなった。最近はな」


 それだけ言って、グラザードは先に部屋を出ていった。


―――――


 廊下に出ると、シアが壁に背を預けて立っていた。


「待っていたのか」


「……通りかかっただけだ」


 絶対嘘だった。軍議の間はここから遠い。通りかかる理由がない。


 でも俺は何も言わなかった。


「軍議、どうだった」とシアが聞いた。


「東と南にも壁を張ることになった」


 シアは少し目を細めた。


「……そうか」


「シア、手伝ってくれるか。術式の展開、お前がいると早い」


 シアは一瞬だけ俺を見た。


「……当然だ」


 それだけ言って、先に歩き出した。


 俺はその背中を見ながら、今日初めてちゃんと息を吐いた。


 偉い魔族たちに囲まれた軍議より、この廊下の方がずっと落ち着いた。


 なんでかはわからないけど。


―――――


 翌朝、レナが開口一番に言った。


「昨夜シアちゃん、軍議の間の前でずっと待ってたよ」


「知ってる」


「かわいいね」


「余計なこと言うな」


 レナはけらけら笑った。


 俺は苦笑いしながら、訓練を始めた。

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