表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第9章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

87/102

■ 第87話「椅子と、それから」

 シアが椅子を買ってきた。


 二脚。


 執務室に入ったら、机の横に新しい椅子が二つ並んでいた。木製。背もたれに細い彫刻が入っている。同じ形。同じ大きさ。でも色が違った。


 一脚は白。もう一脚は碧。


「……シア」


「買った」


「色違い」


「お揃いだ」


 シアは何でもないように言った。術式書を開いていた。でも耳が赤かった。


「白がシアで、碧が俺か」


「……髪の色と、瞳の色だ。わかるだろう」


「わかる」


「なら座れ」


 碧い椅子に座った。座り心地がよかった。


「いつ買ったんだ」


「今朝。市場に出ていた家具職人から。二脚で値切った」


「値切ったのか」


「当然だ。二脚買うなら安くなるべきだ」


 シアは合理的だった。お揃いの椅子を買うときでさえ。


「……ありがとう」


「礼はいい。隣から椅子を持ってくるのが面倒だっただけだ」


「お揃いにしたのは?」


「……バラバラだと見栄えが悪い」


「色を合わせたのは?」


「……座れと言った」


 もう座ってるんだけど。


―――――


 二人で仕事をした。いつも通り。


 壁の維持管理。道の舗装の進捗確認。九対一の配合石の在庫。灯火の届いていない集落の地図。


 シアが術式書に書き込みながら、ぽつりと言った。


「カイン」


「ん」


「……私のことをどう思っている」


「どう思っているって?」


「見た目の話だ」


「見た目?」


 シアが術式書から目を上げなかった。


「私は——背が低い。小さい。貧相な体をしている。胸もない。リーナやルティアと並んだら——」


「シア」


「黙って聞け。——私はこの見た目が嫌いだ」


 シアの声が小さくなった。


「ムルトゥス様の弟子になってから、ずっと術式書の前にいた。人と関わらなかった。予言の守り手は孤独な役割だと言われた。話し方もわからない。笑い方もわからない」


「……」


「ノアは太陽みたいに笑う。リーナは花が咲くように笑う。ルティアは凛としていて美しい。——私は? 無表情で、口が悪くて、明るくない。こんな自分が嫌になる」


 シアが膝の上で拳を握っていた。


「……一番の美人だと言われたことがある。この集落に来たばかりの頃。男の兵士が言っていた。『予言の守り手は美人だ』と」


「……」


「でも誰も近づいてこなかった。美人だと言うだけで。話しかけてこなかった。怖かったんだろう。近づきにくかったんだろう。——それが余計に自信をなくした」


 シアが俺を見た。銀色の瞳が揺れていた。


「カインは——私のこの見た目を、どう思っているんだ」


 俺は少し考えた。


「シアは綺麗だよ」


「お世辞はいらない」


「お世辞じゃない」


「……」


「背が低いのは知ってる。小さいのも知ってる。でも——シアが術式書を読んでるときの横顔が好きだ。真剣な目が好きだ。耳が赤くなるのが好きだ」


 シアが固まった。


「話し方がかわいくないって言ったけど、俺はシアの話し方が好きだ。短くて、まっすぐで、嘘がない」


「……」


「明るくないって言ったけど、シアはシアのままでいい。太陽みたいに笑わなくていい。花みたいに咲かなくていい。シアの笑い方は——口元がほんの少しだけ緩むやつだ。あれが好きだ」


 シアが何も言わなかった。


 長い沈黙。


「……好き、を何回言った」


「数えてない」


「四回だ」


「数えてたのか」


「……数えた」


 シアの顔が真っ赤だった。耳も首も。手まで赤い。


「……カインは、ずるい」


「ノアにも言われた」


「ノアの名前を出すな。今は」


「ごめん」


―――――


 しばらく無言で仕事をした。


 シアの手が震えていた。術式書に書き込む文字がいつもより歪んでいた。


「……カイン」


「ん」


「目を閉じろ」


「……え」


「閉じろ」


 ノアにも同じことを言われた。砂浜で。


 目を閉じた。


 足音が聞こえた。小さな足音。椅子から立ち上がる音。こちらに近づく音。


 シアの気配が目の前にあった。近かった。息の音が聞こえた。


 ——唇に、触れた。


 柔らかかった。温かかった。


 ノアのときは一瞬だった。触れて、離れた。


 シアは——離れなかった。


 数秒。もっとかもしれない。唇が触れたまま。シアの息が俺の頬にかかっていた。小さな手が俺の服の前を掴んでいた。


 離れた。


 目を開けた。


 シアがいた。顔が近かった。銀色の瞳が潤んでいた。真っ赤だった。全身が。


「……いま」


「黙れ。何も言うな」


「でも——」


「何も言うな。一言でも言ったら死ぬ」


「シアが?」


「私が」


 シアが踵を返した。自分の椅子に戻った。白い椅子。座った。術式書を開いた。


 手が震えていた。ページが開けなかった。


「……仕事に戻る」


「……はい」


「今のことは——」


「忘れろ、か?」


「……忘れるな」


 小さい声だった。


「絶対に忘れるな」


「……忘れない」


「……そう」


 シアが術式書に目を落とした。文字が読めているわけがなかった。


 俺の唇に、まだシアの温もりが残っていた。


―――――


 【シア】


 夜。自分の部屋。寝台の上。


 シアは眠れなかった。


 目を閉じると、さっきのことが蘇る。


 カインの唇。柔らかかった。温かかった。


 一回目のキスは訓練場だった。あのときは——何も覚えていない。緊張しすぎて、一瞬で、何が起きたかわからないまま終わった。


 リーナは戦場でキスした。ノアは砂浜で告白してからキスした。二人とも、ちゃんと覚えているだろう。


 私だけ覚えていない。それが悔しかった。


 だからもう一回した。今度はちゃんと。覚えていられるように。


 ——それと、回数で負けたくなかった。リーナが一回。ノアが一回。私が一回。同点だった。だから二回目をした。これで私が一番多い。


 でも——そんな計算は、唇が触れた瞬間に全部消えた。


 離れるつもりだった。一瞬で。


 離れられなかった。


 唇が触れた瞬間、頭が真っ白になった。何も考えられなくなった。離れなきゃと思ったのに、身体が動かなかった。


 ——気持ちよかった。


 ふわふわした。世界が溶けたみたいだった。シアの人生で、あんな感覚は初めてだった。


 術式書を読んでいるときの集中とも違う。お茶を飲んでいるときの安らぎとも違う。


 もっと——もっと触れていたかった。


 離れた瞬間に、すぐにもう一度したくなった。


 カインの唇に。もう一度。


 でも——我慢した。


 変な女だと思われたくなかった。がっついている女だと思われたくなかった。


 シアは予言の守り手だ。魔王の補佐官だ。冷静で、合理的で、感情に振り回されない。


 ——嘘だ。


 今、完全に振り回されている。


 寝返りを打った。枕に顔を埋めた。


 唇にまだ感覚が残っている。温もりが消えない。


 ——もう一回。


 ——もう一回だけ。


 ——だめだ。寝ろ。明日がある。仕事がある。


 目を閉じた。カインの顔が浮かんだ。碧い瞳。白銀の髪。困った顔。「シアが?」と聞いたときのあの顔。


 ——好き。


 布団を頭まで被った。


 顔が熱かった。心臓がうるさかった。


 もう一回。あの感覚を。もう一回だけ。


 ——寝ろ。


 ——寝れない。


 シアは結局、夜明け近くまで眠れなかった。


 翌朝、カインが執務室に来たとき、シアは椅子で寝ていた。白い椅子。碧い椅子の隣で。


 術式書を枕にして。


 カインが上着をかけてくれた。


 シアはそれに気づいていた。寝たふりをしていた。


 上着が温かかった。カインの匂いがした。


 ——もう一回。


 寝たふりのまま、唇に指を当てた。


 まだ、残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ