■ 第79話「予兆」
斥候を送った。
壁の外へ。人間の国の平原——ベルグリムの封印があるとされる場所の方角へ。偵察だけ。近づいて、封印の状態を確認して、戻ってくる。
三日後、斥候が戻ってきた。
顔が青かった。
「報告します。封印があるとされる場所に近づけませんでした」
「何があった」
「王国兵です。平原一帯を包囲していました。数百人規模。陣を敷いて、誰も近づけないようにしている」
グラザードの目が鋭くなった。
「平原を包囲している。数百人で。——何かを守っている、ではなく」
「はい。むしろ——何かの作業をしているように見えました。遠くからしか確認できませんでしたが、封印のあたりで光が見えました。術式のような」
沈黙が落ちた。
「間違いない」シアが言った。「封印を解こうとしている」
「あるいは、もう解いた」ベルクが地図を指した。「包囲は封印を解く作業のためか、解いた後の制御のためか。どちらにせよ——」
「いつ来てもおかしくない」俺が言った。
―――――
軍議を開いた。ただし参加者は絞った。
グラザード。ムルトゥス。ベルク。シア。レナ。
「民にはまだ知らせない」グラザードが言った。
「パニックになる」ベルクが頷いた。「災害級の魔獣が来ると聞けば、逃げようとする者が出る。しかし逃げる場所がない。壁の内側が一番安全だ」
「避難計画だけ先に用意する」グラザードが続けた。「ベルグリムが来たときに、すぐに民を安全な場所に移動させられるように。王都の地下倉庫と、内壁の奥。子どもと老人を優先」
「伝達経路を整備しておきます。合図があれば即座に避難を開始できるように」ベルクが地図に書き込んだ。
「合図は何にする」
「壁の色だ」俺が言った。「壁に術式を仕込む。ベルグリムが一定距離まで近づいたら、壁の色が白と紫から赤に変わるようにする。全員が一目でわかる」
「それでいい。民には——壁が赤くなったら建物の中に入れとだけ伝えておく。理由は避難訓練だと言えばいい」
嘘だ。でも今は仕方がない。
―――――
その夜、シアが予言書を広げていた。
「カイン。見ろ」
予言書の一節。前に読んだときと——文字が変わっていた。
「増えてる」
「ああ。予言書は生きている。前の魔王の時代からそうだった。事象が近づくと、文字が浮かび上がる」
前に読んだ一節はこうだった。
「『山が襲い来る。大地を砕き、光を喰らう者。息吹に引かれし獣、百年の眠りより目覚めん』」
今は——その下に新しい文字が浮かんでいた。
「『鎖は解かれた。獣は目を開く。大地が震え、息吹の源を求めて歩む』」
「……鎖は解かれた」
「封印が解かれた、という意味だ。もう確定だ」
「目を開く。つまりまだ動いてはいない」
「だが時間の問題だ。次の一節が浮かんだとき——動き始める」
俺は予言書を見つめた。黄ばんだ紙の上に、古代の文字が浮かんでいる。
「ムルトゥスに報告する。それと——封印術式の解析はどこまで進んだ」
「七割。前の魔王の術式は複雑だが、原理は理解できた。問題は出力だ。あの規模の封印を再構築するには——カインのヴェルデでも厳しい」
「足りないのか」
「単純な魔力では足りない。増幅が必要だ」
「増幅……」
シアが少し黙った。
「一つ、気になっていることがある」
「何だ」
「トーラの鉱石だ」
「鉱石?」
「ルティアが送ってきた火紅石。あれと息吹石を混ぜたとき、何が起きるか試していない」
「混ぜる?」
「鉱石は息吹を内部に閉じ込めている。息吹石は息吹を放出する。この二つを混ぜたら——息吹の吸収と放出を自在に制御できる素材ができるかもしれない」
「つまり、魔力の増幅装置になる可能性がある」
「可能性だ。確証はない。だが試す価値はある」
―――――
翌日、ソルスとシアとドルクの三人で実験を始めた。
ルティアが送ってきた火紅石と、息吹石。
まず九対一で混ぜた。鉱石九に息吹石一。
ドルクが窯で溶かして混ぜ合わせた。冷えた塊を取り出した。
薄い紫の石だった。息吹石に似ているが、もっと硬い。光を当てると、内部で紫と赤がうねっていた。
「息吹が安定して閉じ込められています」ソルスが計測した。「通常の息吹石より持続時間が長い。しかも術式を描けば、吸収と放出のタイミングを制御できる」
「半永久的な街灯が作れる」シアが言った。「昼間は息吹を取り込み、夜になったら放出して発光する。息吹石を大量に使わずに済む」
「これはすごいぞ」ドルクが目を輝かせた。「息吹石の節約になる。しかも硬いからガラスより丈夫だ」
「九対一は実用品向きだ。だが——」シアが別の配合を指示した。「七対三。五対五。三対七。全パターン試す。魔力の増幅率が最も高い配合を探す」
七対三。紫が濃くなった。魔力の増幅率が上がった。九対一より良い。
三対七。光が強すぎて不安定だった。使い物にならない。
五対五——一対一。
ドルクが窯から取り出した塊を見て、首を傾げた。
碧かった。
深い碧。透き通った碧。息吹石の白と紫でもない。鉱石の赤でもない。まったく新しい色。
「……何だこの色は」ドルクが呟いた。
「綺麗だな……」
ソルスが計測した。しばらく数値を見て——肩を落とした。
「駄目ですね。魔力がまったく通らない。増幅率ゼロです。ただの綺麗な石だ」
「使い物にならないか」
「残念ですが。一対一は配合が均衡しすぎて、魔力の通り道がなくなるようです。九対一が最適です」
九対一が最強の増幅装置。結論が出た。
ドルクが一対一の碧い石を片付けようとした。
「待て」
シアが言った。
「その石、もらっていいか」
「これですか? 使い物にならないですけど」
「……綺麗だから」
シアが碧い石を手に取った。光にかざした。
碧い光が、シアの銀色の瞳に映った。
「……カインの瞳と同じ色だ」
小さい声だった。独り言のように。でも俺には聞こえた。
シアは碧い石を懐にしまった。それ以上何も言わなかった。
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結論が出た。
九対一の配合石が、魔力の増幅装置として最適。これを大量に作る。ベルグリムを封印するための術式に組み込む。
「ソルス、九対一の量産体制を組め。ドルク、窯をフル稼働だ」
「了解です」
「了解!」
ベルグリムが来る前に、できるだけ多く作る。時間との勝負だ。
——これで、戦える。




