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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第8章

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■ 第72話「不器用」

 シアとの毎日が始まった。


 朝、ノアが来る。「おはよう!」と太陽みたいに。


 午前中はシアと仕事をする。壁の設計、術式の研究、灯火の管理。


 午後はノアが来る。「ねーカイン、あっち行こう」と腕を掴む。


 シアの目が鋭くなる。


 夕方、シアと二人で仕事の続きをする。


 毎日この繰り返し。


―――――


 三日目の朝。


 ノアが俺の腕に抱きついてきた。


「カイン、今日あったかいね!」


「そうか?」


「うん。あったかい」


 抱きついている。腕に。人前で。


 シアが執務室の入り口に立っていた。術式書を持ったまま。


 銀色の瞳が——凍っていた。


「……カイン」


「はい」


「今日の予定を確認する。来い」


「あ、はい」


 ノアが「行ってらっしゃーい」と手を振った。


 シアに引っ張られた。ノアとは反対側の腕を。


「シア、痛い」


「痛くない」


「痛いって」


「我慢しろ」


 執務室に入った。扉を閉めた。シアが振り返った。


「毎朝毎朝、ベタベタと」


「俺に言われても——」


「ノアに言え」


「言ったら泣くと思うんだけど」


「知らない」


「知らないって——」


「……知らないわけないだろう。あの子が泣くのは見たくない。でも——」


 シアが俯いた。


「……でも」


「でも?」


「……私だって」


 シアが俺を見た。銀色の瞳が揺れていた。


「……抱きつきたい」


 ……え。


「……今のは忘れろ」


「無理だ」


「忘れろ」


「シアが抱きつきたいって言った。忘れられるわけない」


「殺す」


「殺さないでくれ」


 シアが真っ赤になっていた。顔だけじゃない。耳も首も。手まで赤い。全身赤い。


「……あの子は素直に抱きつける。私にはできない。それだけだ」


「できないんじゃなくて、しないだけだろ」


「同じだ」


「違うと思うけど」


「同じだ。私は——そういうことができない性格だ。恥ずかしくて。怖くて。拒絶されたらと思うと」


「俺がシアを拒絶するわけない」


 シアが黙った。


 長い沈黙。


「……本当に?」


「本当に」


「……じゃあ」


 シアが一歩前に出た。もう一歩。


 俺の前に立った。小さい。頭が俺の胸くらい。


 シアの手が、俺の服の裾を掴んだ。指先だけで。そっと。


「……これくらいなら」


 服の裾。指先だけ。


 それがシアの精一杯だった。


「……いいか」


「いいに決まってる」


「……そう」


 シアは服の裾を離さなかった。指先だけで。ほんの少しの布を。


 それだけなのに、シアの耳は真っ赤だった。


 ——これはずるい。こっちの心臓が持たない。


―――――


 午後、事件が起きた。


 ノアが執務室に来た。扉を開けた。


 シアが俺の隣に座っていた。いつもより近かった。肩が触れていた。シアの手が、俺の服の裾を掴んでいた。


 ノアの目がそこに行った。


「……シアちゃん」


「何」


「それ何してるの」


「服の裾を持っている」


「なんで」


「持ちたいからだ」


 ノアの目が細くなった。


「……あたしだって持てる」


 ノアが俺の反対側に座った。俺の服の反対側の裾を掴んだ。


 右にシア。左にノア。両方が俺の服を掴んでいる。


「……何この状況」


「カインは黙ってろ」シアが言った。


「そうだよカイン黙ってて」ノアが言った。


 二人の意見が一致した。俺だけが置いてけぼりだった。


―――――


 レナが通りかかった。扉が開いていた。中を見た。


 カインの左右にシアとノアが座って、両方が服の裾を掴んでいる。カインが困った顔をしている。


 レナは扉を静かに閉めた。


 廊下で一人で笑った。


―――――


 夜。ノアが帰った後。


 シアと二人。


「シア」


「何」


「今日のあれは何だったんだ」


「何が」


「服の裾」


「……持ちたかっただけだ」


「ノアと張り合ってなかったか」


「張り合っていない」


「嘘だろ」


「……少し」


「少し」


「ノアが来るたびにカインの隣を取られる。だから——先に取った」


 シアが俺を見た。


「……幼稚だと思うか」


「思わない」


「思ってるだろう」


「思ってない。……かわいいと思った」


 シアが固まった。


 三秒。五秒。十秒。


「……何と言った」


「かわいいと——」


「二度と言うな」


「え」


「二度と言うな。心臓が止まる」


 シアが立ち上がった。背を向けた。


 耳が赤いのが見えた。首まで。


「……帰る」


「おやすみ」


「……おやすみ」


 シアが扉に手をかけた。止まった。


「……明日も持っていいか」


「何を」


「裾」


「……いいよ」


「……そう」


 シアが出て行った。


 足音が遠ざかっていく。いつもより少し速い足音。


 俺は椅子に座ったまま、天井を見上げた。


 シアが俺の服の裾を持ちたがっている。


 毎日。


 ノアに負けたくないから。


 ——こっちの心臓がもたないんだけど。


 でも——悪くなかった。全然、悪くなかった。

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