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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第8章

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■ 第71話「シアの一日」

 翌朝、シアのところに行った。約束したから。


 シアは執務室にいた。術式書を開いていた。今度はちゃんと読んでいた。


「来た」


「来るって言ったから」


「……そう」


 シアがちらっと俺を見た。すぐに術式書に目を戻した。


 昨日のことは何もなかったかのような顔。でも耳が少し赤い。


「今日は何をする」


「壁の拡張計画の見直し。南西方面のルートを再設計する」


「わかった。手伝う」


「当然だ。私一人でやると思ったのか」


「思ってないけど」


「……ふん」


 いつものシアだった。たぶん。


―――――


 二人で地図を広げた。壁の現在位置と、拡張予定のルートを確認していく。


 シアの指が地図の上を走る。白くて細い指。正確に線をなぞっていく。


「ここからここまでが第一段階。王都からナーヴェルまでの壁は完成している。次は北西方面——」


「シア」


「何」


「銀のペンダント、つけてないな」


 シアの手が止まった。


「……一人のときにつけると言った」


「今つけてない?」


「……つけてない」


「そうか」


「……つけてほしいのか」


「見たいなとは思った」


 シアが黙った。三秒くらい。


 それから、服の襟元に手を入れて、何かを引っ張り出した。


 銀色のペンダント。服の下につけていた。


「……つけてる」


「つけてるじゃん」


「服の下だ。一人のとき——というか、常につけてる。見せてないだけだ」


「なんで隠すんだ」


「……恥ずかしいからに決まってるだろう」


 シアが銀のペンダントを服の中に戻した。顔が赤かった。


「もう地図に戻れ」


「はい」


―――――


 【シア】


 シアは地図を見ながら、内心で自分を殴りたかった。


 なぜ見せた。なぜ服の下につけていることを白状した。


 ノアなら「見て見て!」と嬉しそうに見せびらかすのだろう。リーナなら胸元に揺らして「似合いますか」と聞くのだろう。


 シアにはできない。恥ずかしくてできない。


 でも——カインが「見たい」と言ったとき、嬉しかった。


 嬉しかったのが悔しい。


 この男のせいで、自分がどんどんおかしくなっていく。


―――――


 昼食を一緒に食べた。二人で。


 食堂ではなく、執務室で。地図を広げたまま、パンとスープ。


 シアが黙々と食べていた。小さな口で、少しずつ。


「シア、食べるの遅いな」


「早く食べる必要がない」


「俺もう食べ終わったけど」


「知ってる。食べ方が雑だ」


「雑って……」


「パンくずが地図についてる」


「あ、ごめん」


 シアが地図のパンくずを指で払った。それから、自分のパンを一口ちぎって、俺に差し出した。


「……何」


「口についてる。パンくず」


「え、どこ」


「ここ」


 シアの指が、俺の口元に触れた。パンくずを取った。


 ——触れた。


 シアの指が、俺の唇に。


 シアも気づいた。自分が何をしたか。


 手がぱっと引っ込んだ。顔が真っ赤になった。耳まで。首まで。


「……っ」


「シア?」


「何でもない。食べろ。早く食べろ」


「もう食べ終わった——」


「じゃあ地図を見ろ! 仕事しろ!」


 シアは自分のスープに顔を突っ込むみたいに俯いた。


 ——指、温かかったな。


―――――


 午後、ノアが執務室に来た。


「カインー! ドルクさんが新しいガラス作ったって! 見に行こ——」


 ノアが扉を開けた。


 カインとシアが二人で地図を覗き込んでいた。肩が触れるくらい近い距離で。


 ノアが固まった。


 シアが顔を上げた。


 二人の目が合った。


 空気が凍った。


「……お邪魔でした」


「邪魔じゃない」カインが言った。


「邪魔だ」シアが言った。


「シア!」


「冗談だ」


 シアの顔は冗談を言う顔じゃなかった。


 ノアが俺の腕を掴んだ。


「カイン、ドルクさんの新作見に行こ」


 シアが立ち上がった。


「私も行く」


「え」


「行く」


 三人で出かけることになった。


 俺の左にノア。右にシア。


 二人とも無言だった。


 俺だけが、両側から来る無言の圧力に潰されそうだった。


―――――


 ドルクの工房で新作のガラス花瓶を見た。息吹石入り。光を受けると虹色に輝く。


「すごい! 綺麗!」ノアが目を輝かせた。


「……悪くない」シアが言った。


「シアちゃんも素直に綺麗って言えばいいのに」


「悪くないと言った。十分だ」


「全然十分じゃないよ」


「私の語彙に口を出すな」


 ノアとシアが言い合っていた。仲が悪いわけじゃない。でもバチバチしていた。


 ドルクが俺に小声で言った。


「……魔王様、大変ですな」


「……大変です」


―――――


 夕方、ノアが帰った後。


 シアと二人になった。執務室。


「シア」


「何」


「今日、ありがとう。一日付き合ってくれて」


「仕事だ」


「仕事じゃない部分もあっただろ」


「……何のことだ」


「パンくずとか」


 シアの手が止まった。


「あれは——パンくずがついていたから取っただけだ」


「うん」


「それ以上の意味はない」


「うん」


「……何を笑っている」


「笑ってない」


「笑ってる。口元が緩んでいる」


「気のせいだ」


「気のせいじゃない」


 シアが術式書で俺の顔をぱたんと叩いた。軽く。


「……明日も来い」


「はい」


「毎日来い」


「……毎日?」


「ノアは毎朝来る。なら私も毎日カインの時間をもらう。公平だろう」


「公平……」


「文句があるなら——」


「ない。毎日行く」


 シアが少し黙った。


 それから、ものすごく小さな声で言った。


「……楽しかった」


「え?」


「何でもない。聞こえなかったことにしろ」


「聞こえた」


「聞こえてない」


「楽しかったって——」


「うるさい。出て行け。明日来い」


 シアが俺を部屋から押し出した。小さな手で。力は弱かった。


 扉が閉まった。


 廊下に立ったまま、俺は少し笑った。


 シアが「楽しかった」って言った。


 それだけで、今日は良い日だった。

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