■ 第64話「実り」
俺が通りを歩くと、すれ違う者たちが立ち止まった。
解放された者たち。一人一人が、俺を見ると足を止めて、頭を下げた。
「ありがとうございます、魔王様」
老人が。
「ありがとうございます、魔王様」
若い男が。
「ありがとうございます、魔王様」
子どもを抱えた女性が。
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
通りを歩くたびに。毎日。何度も。
最初は「やめてくれ」と言っていた。大げさだと。当然のことをしただけだと。
でも彼らはやめなかった。
「やめません」バルドが言った。鉄を叩きながら。「あんたが来なかったら、俺はまだあの檻の中だ。毎朝頭を下げるくらい、安いもんだ」
「……そうか」
「そうだ。だから受け取ってくれ。俺たちにはそれくらいしかできない」
俺は——何も言えなかった。
頷くだけだった。
それからは、一礼されるたびに、頷き返すようにした。「ありがとうございます、魔王様」に対して、小さく頷く。それが俺にできる返事だった。
―――――
解放された者たちが一番驚いていたのは、食料だった。
「なんだこの成長速度は」
畑を耕していた老人が目を丸くしていた。三日前に蒔いた麦が、もう芽を出して膝丈まで伸びている。
「命の灯火の効果だ」ソルスが説明した。「通常の十倍以上の速度で育つ。しかも豊作で、環境にも強い。病気にもかかりにくい」
「十倍……?」
「息吹の恩恵だ。王都の土地は息吹が濃い。作物も家畜も、全部恩恵を受ける」
牛が太っていた。鶏が卵を毎日産んでいた。豚がすくすく育っていた。解放された農民たちが信じられない顔をしていた。
「こんな土地があるのか……」
「一年前までは同じように枯れていた。灯火一つで変わった」
ナーヴェルからも支援が届いていた。干し魚、塩漬けの海老、海藻。大量に。漁師たちが毎日送ってくれている。イルマ長老の手紙が添えてあった。「恩返しだ。遠慮するな」
食料には困らなそうだった。
―――――
大工たちが忙しかった。
朝から晩まで、木を切って、運んで、組んで。家が建っていく。毎日一棟ずつ。
解放された者たちの中にも大工がいて、合流した。息吹の恩恵で全員がものすごい力持ちになっていた。一人で丸太を担いでいる。二人がかりの仕事を一人でやっている。
「力が湧いてくる。なんだこの空気は」
「息吹だ。慣れる」
王都の外周に新しい家が並び始めていた。まだ小さな家だが、屋根があって壁があって扉がある。自分だけの家。
考えるだけで楽しみだった。ここを中心に家が整備されて、どんどん広がっていくのだろう。そしてここで自由に恋をして、子どもができて、息吹の恩恵を受けながらすくすく育っていく。
王都が、本当の王都になっていく。
―――――
ノアが両親と一緒に歩いていた。
ガラスの通りを。三人で。
ノアの父親が——右手を握ったり開いたりしていた。あの不自然な角度に曲がっていた指が、まっすぐになっていた。
「指、治ったのか」
「リーナちゃんに治してもらったんだ!」ノアが嬉しそうに言った。「聖女の癒しの術ってすごいね。三年間曲がったままだったのに、一回で」
ノアの父親が俺を見た。大きな男だった。痩せてはいたが、息吹のおかげで少しずつ肉がついてきている。
「魔王様」
「カインでいいです」
「……カイン様。娘を助けてくれた。俺たちを助けてくれた。この恩は一生——」
「恩なんてないです。当然のことをしただけです」
ノアの母親が微笑んだ。ノアに似ていた。水色の髪。でもノアより少し長い。
「カイン様は、ノアによく似ていますね」
「え?」
「ノアも同じことを言うんです。当然のことをしただけ、って。ナーヴェルで三年間、町を一人で支えていたのに」
ノアが「お母さん!」と顔を赤くした。
三人で歩いていった。ノアが両親の間で、両手で二人の腕を掴んでいた。
小麦色の肌が陽光に光っていた。水色のショートボブが揺れていた。茶色のブーツが石畳を軽やかに踏んでいた。
幸せそうだった。
―――――
夕方、広場の時計塔の上に登った。
王都が見えた。
一年前、石造りの家が丘の上に並ぶだけの静かな集落だった。
今は違う。
ガラスの通りが光っている。街灯が並んでいる。畑が広がっている。鍛冶場の煙が上がっている。パン屋から匂いが漂っている。子どもたちが走り回っている。
そして——新しい顔がたくさんある。二百六十人以上。それぞれが、それぞれの場所で、それぞれの朝を迎えている。
シアが時計塔の階段を上がってきた。
「またこんなところに」
「景色がいいんだ」
「灯台じゃないんだから」
「同じだよ。高いところから見下ろすのが好きなんだ」
シアが隣に立った。王都を見下ろした。
「……増えたな」
「ああ。人が」
「人だけじゃない。音が増えた。匂いが増えた。……活気が増えた」
「ああ」
「一年前には想像もできなかった」
「俺もだ」
シアが少し黙った。
「……カインが来てから、全部変わった」
「俺だけの力じゃない。みんなの——」
「わかってる。でも始まりはカインだ。それだけは事実だ」
シアの銀色の瞳が、夕日に染まった王都を見ていた。
「……まだやることがあるな」
「ああ。残りの集落に灯火を届ける。枢機卿を止める。奴隷施設が他にもあるかもしれない」
「忙しいな」
「忙しい。——でも悪くない」
シアが小さく鼻を鳴らした。
「……悪くない、か」
「ああ。悪くない」
夕日が沈んでいく。王都が街灯の光に包まれていく。白と紫の柔らかい光。
二百六十人以上が、今夜も自分の屋根の下で眠る。自分の布団で。自分の選んだ場所で。
明日になったら、また「ありがとうございます、魔王様」と言われるだろう。
悪くない。
全然、悪くない。




