表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められた件~ヴェルデ・碧の力~  作者: はやんえでぃ
第7章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

59/65

■ 第59話「前夜」

 術式は三日で完成した。


 シアが机の上に広げた紋様は、今まで見たどの術式よりも複雑だった。線の一本一本が精密で、隙間がない。三日間、ほとんど寝ずに設計したのだろう。シアの目の下に薄い隈があった。


「完成した」


「……ありがとう、シア」


「礼はいい。これで魔力消費を最大限まで抑えた。波長フィルターも組み込んだ。魔族だけが転移する。人間は置いていける」


「完璧だ」


「完璧じゃない。それでも全魔力の二倍以上は必要になる。ヴェルデを使っても、足りるかどうかはわからない」


「……ああ」


「明日の夜、出発する。準備はいいか」


「できてる」


 シアが俺を見た。銀色の瞳が、何かを探るように俺を見ていた。


「……本当に?」


「できてる」


 シアは少し黙った。


「……そう」


 それだけ言って、術式書を畳んだ。


―――――


 夜。


 眠れなかった。


 寝台に横になって、天井を見ていた。暗い。灯りを消した部屋。


 頭の中で作戦を回している。もう何十回も。


 潜入。兵士の装備を奪う。兜で角を隠す。通路に沿って息吹の核を設置する。兵士が昏睡する。鍵を壊す。奴隷房を開放する。二百四十人を集める。転移魔法を発動する。


 何十回やっても、同じところで止まる。


 転移魔法。二百四十人。全魔力の二倍以上。ヴェルデを使っても足りるかわからない。


 足りなかったら。


 ——二百四十人が取り残される。昏睡した兵士が目を覚ます。追っ手が来る。全員捕まる。全員殺される。


 俺のせいで。


 目を閉じた。開けた。また閉じた。


 眠れない。


 昨日も眠れなかった。寝たのか寝てないのかわからない。頭がぼんやりしているのに、思考だけがぐるぐる回っている。


 怖い。


 正直に言えば——怖い。


 南の戦いも怖かった。海を変えるときも怖かった。でも今回はその比じゃない。


 あのときは自分が倒れるだけで済んだ。今回は二百四十人の命がかかっている。失敗したら全員死ぬ。


 俺が。


 俺一人が。


 ——足音が聞こえた。


 扉の前で止まった。


 ノックはなかった。足音が立ち止まったまま、しばらく動かなかった。


 俺は起き上がった。扉を開けた。


 シアが立っていた。


 白い寝間着。真白のショートボブが少し乱れていた。裸足だった。


「……シア」


「起きてたか」


「眠れなかった」


「……私もだ」


 シアは部屋に入ってきた。窓際に立った。外を見ていた。街灯の白と紫の光が、シアの横顔を照らしていた。


「入っていいとは言ってないんだけど」


「言わなくてもわかる。入ってほしい顔をしていた」


「……してたか」


「してた」


 沈黙が落ちた。


 長い沈黙だった。


 俺は寝台の端に座っていた。シアは窓際に立っていた。二人の間に、二メートルくらいの距離があった。


「シア」


「何」


「……少し、話していいか」


「いい」


「弱音だ」


「いい」


 俺は天井を見た。


「俺は魔王だ。だからこそ、やらなきゃいけない。二百四十人を助けに行かなきゃいけない。俺にしかできない。わかってる」


「……」


「無茶なのは正直わかってる」


「……」


「めちゃくちゃ怖い」


 声が、少し震えた。自分でも驚いた。


「どうしようもなく怖い。昨日だって頭の中で作戦を何回も考え直して、うまく寝れなかった。寝たのか寝てないのかよくわからない」


 シアは黙って聞いていた。


「いつも死ぬかもってギリギリだ。南のときも。海のときも。でも今回はその比じゃない」


 手を見た。震えていた。


「二百四十人だ。失敗したら全員死ぬ。俺のせいで。俺が失敗したら、あの人たち全員が——」


 声が詰まった。


「……ごめんな」


「……何が」


「生きて帰ってくるって約束しといて、こんなこと言って」


 頬に何かが伝った。


 涙だった。


 泣いている。俺は泣いていた。いつからだ。気づかなかった。


 怖い。怖くて泣いている。十八歳の男が。魔王が。部屋で一人で泣いている。


 ——一人じゃなかった。シアがいた。


「約束も、魔王も、期待も、希望も。全部、俺の肩に乗ってる」


 涙が止まらなかった。


「今、押しつぶされそうだ」


 シアは黙っていた。


「怖いよ。死ぬのより——みんなの期待を裏切る方が怖いかもしれない。ノアとの約束を守れないのが怖い。お前との約束を守れないのが怖い」


 声が震えていた。もう隠せなかった。


「全部怖いんだ。全部」


 沈黙が落ちた。


 長い、長い沈黙。


 足音がした。


 シアが窓際から歩いてきた。二メートルの距離を、ゆっくりと。


 俺の前に立った。


 小さかった。シアは本当に小さい。俺が座っていても、目線が同じくらいだ。


 シアの手が伸びた。


 俺の頬に触れた。涙を拭った。小さくて冷たい手だった。


「……泣いていい」


 シアが言った。静かに。


「泣いていい。怖くていい。震えていい」


「……」


「カインは魔王だ。でも魔王の前に、一人の魔族だ。怖いのは当たり前だ」


 シアの銀色の瞳が、俺を見ていた。近かった。


「私は——カインが弱いなんて思わない。怖いのに立ち上がれる人を、弱いとは言わない」


 シアの手が、俺の頬から離れなかった。


「泣きたいなら泣け。震えたいなら震えろ。全部吐き出せ。——明日になったら、また立てばいい」


 俺は——


 堪えていたものが、全部崩れた。


 声が出た。押し殺した声。嗚咽。情けない声だった。魔王の声じゃなかった。十八歳の、怖くて怖くてたまらない男の声だった。


「……転移が、失敗したら……二百四十人が……全員……」


「……」


「ノアの父さんと母さんが……もう死んでたら……どうしよう……約束したのに……取り戻すって言ったのに……」


「……」


「魔力が……足りなかったら……ヴェルデが出なかったら……どうすんだよ……あれ、自分でコントロールできてるのか……わかんないんだよ……毎回勝手に出てきただけで……」


「……」


「兵士に見つかったら……角がバレたら……潜入が失敗したら……核を設置する前に囲まれたら……」


「……」


「二百四十人の前で魔王だって名乗って……それで助けられなかったら……あの人たちの希望を一回灯して……また消すことになる……それが一番怖い……」


「……」


「シアの術式が……完璧なのはわかってる……三日間寝ないで作ってくれたのもわかってる……でも俺が……俺の魔力が……足りなかったら……シアの三日間も無駄になる……」


「……」


「みんなが……信じてくれてるのに……グラザードも……ムルトゥスも……ノアも……お前も……信じてくれてるのに……応えられなかったら……」


「……」


「帰って来れなかったら……お前との約束も……」


 声が途切れた。嗚咽が止まらなかった。言葉にならなかった。


 シアが——俺の頭を抱えた。


 小さな身体で。俺の頭を胸に引き寄せて。真白の髪が俺の顔に触れた。


 何も言わなかった。


 シアは一度も口を挟まなかった。全部聞いた。全部受け止めた。


 ただ抱えていた。


 俺が泣き止むまで。


―――――


 どれくらい経ったかわからない。


 涙が止まっていた。目が腫れていた。鼻が詰まっていた。情けない顔だった。


 シアはまだ立っていた。俺の頭を抱えたまま。


「……ごめん」


「謝るな」


「情けないところを見せた」


「見たかった」


「……え」


「カインはいつも強い顔をしている。みんなの前で。私の前でも。——でも今夜のカインは、本当のカインだ」


 シアが少し離れた。俺の顔を見た。


「私は、本当のカインを知りたかった」


 銀色の瞳が、真っ直ぐだった。


「弱いカインも。怖がるカインも。泣くカインも。全部知った上で——それでも、この人についていきたいと思った」


 シアの声が、少し震えていた。


「だから——明日、行ってこい。全部吐き出したなら、もう大丈夫だ」


「……大丈夫か」


「大丈夫だ。私の術式が守る。カインは発動するだけでいい。あとは全部、私が設計した術式がやる」


「……シア」


「何」


「ありがとう」


「……礼はいらないと言った」


「言いたいから言う」


 シアの耳が赤くなった。暗い部屋でもわかった。


「……寝ろ。明日に響く」


「シアも寝ろ」


「……もう少しだけ」


 シアは俺の隣に座った。寝台の端に。肩が触れていた。


「少しだけ、こうしていていいか」


「……いい」


 二人で黙って座っていた。


 窓の外に街灯の光が揺れていた。白と紫の光。


 シアの肩が、温かかった。


 いつの間にか、眠っていた。


 隣にシアの温もりがあった。


 怖さは消えていなかった。でも——一人じゃなかった。


 それだけで、明日に向かえる気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ