■ 第58話「地図」
軍議の翌日、証言者が集まった。
ノアに加えて、二人。他の集落から呼び寄せた。
一人はトーラから来た男。名前はダグ。四十代くらいの見た目だが、魔族だから実年齢はわからない。がっしりした体格で、左腕に大きな火傷の跡があった。寡黙だった。目が据わっていた。
もう一人はイルガから来た男。名前はヨル。ダグより若い見た目。痩せていて、指が長かった。落ち着いた喋り方をするが、ときどき視線が泳いだ。
二人とも、ノアと同じだった。奴隷として捕らえられ、逃げてきた。
そして参謀のベルクが同席していた。グラザードの右腕。作戦立案の専門家。銀灰色の髪を短く刈り込んで、細い目の奥に鋭い光がある。角は額の左右に小さく二本。いつも地図を持ち歩いている男だった。
「始めましょう」ベルクが大きな白紙を広げた。「三人の証言を重ねて、施設の全体図を作ります。一人の記憶では穴がある。三人分を合わせれば精度が上がる」
―――――
ノアが最初に話した。
「入り口は一つ。南側。大きな鉄の門。門の前に見張りが常に二人。門をくぐると石畳の通路があって、左右に奴隷房が並んでる」
ベルクが描いていく。入り口。通路。奴隷房。
「奴隷房は一つの部屋に十人くらい。鉄格子の扉。鍵は外から。部屋は二列で、全部で二十部屋くらい。左に十、右に十」
「二十部屋で一部屋十人。二百人か」
「そのくらい。もっといたかもしれない。奥の方は行ったことがないから」
ダグが口を開いた。
「俺は奥にいた」
低い声だった。
「奥にも部屋がある。通路の突き当たりを右に曲がると、もう一列ある。そこは——力仕事用の奴隷が入れられていた。俺もそこだった」
ベルクが描き足す。突き当たり。右折。もう一列。
「何部屋だ」
「五部屋。一部屋に八人くらい。全員、体格がでかい奴ばかりだった」
「四十人追加か。合計で二百四十人前後」
ヨルが静かに言った。
「兵士の詰所は入り口の左側にあります。門をくぐってすぐ。食堂と寝所が一体になっていて、常駐の兵士が三十人ほど」
「三十人」ベルクが数字を書き込んだ。「交代制か」
「はい。昼と夜で半分ずつ。夜は十五人が起きていて、十五人が寝ています」
「夜間の方が手薄だな」
「ただし」ヨルが続けた。「夜は奴隷房の通路に鍵が追加されます。通路の入り口に鉄の扉がもう一枚。奴隷が逃げないように」
「鍵が二重になると」
「はい。奴隷房の鍵と、通路の鍵。両方壊さないと出られません」
ベルクが地図に鍵の位置を書き込んだ。
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三人の証言を重ねていく。
ノアが知っている入り口周辺。ダグが知っている奥の構造。ヨルが知っている兵士の配置と鍵の仕組み。
一人では穴だらけだった地図が、三人分を合わせることで埋まっていった。
ベルクが完成した地図を全員に見せた。
「施設の全体図です。入り口は南に一つ。通路は一本道で、突き当たりを右に曲がるともう一列。奴隷房は合計二十五部屋。収容人数は推定二百四十人前後。兵士は常駐三十人、夜間は十五人が起きている」
俺は地図を見た。
「息吹の核を設置するなら、通路に沿って等間隔に置いていけば施設全体を覆える」
「何個必要ですか」ベルクが聞いた。
「通路の長さ次第だが、五個から八個。息吹が広がれば、兵士は数分で意識を失う。魔族は逆に回復する」
「鍵は」
「封印術で並列に壊す。全部屋同時に」
「通路の鉄扉も?」
「同時に」
ベルクが頷いた。
「問題は脱出です。二百四十人を施設から出した後、どうやって王都まで連れ帰るか」
「転移魔法を使う」
「あの古代術式ですか。魔王様の魔力で本当に二百四十人を——」
「やる」
ベルクは少し黙った。それから地図に「転移地点」と書き込んだ。
「施設を出た直後に転移するのが最善です。外に出れば発見される危険がある。施設の中で転移できれば——」
「通路の広い場所。入り口付近がいい。全員をそこに集めて、一気に飛ぶ」
「了解しました。作戦の骨子はこうなります」
ベルクが地図の横に書いた。
一、夜間に潜入。兵士の装備を奪い、兜で角を隠す。
二、通路に沿って息吹の核を設置。兵士を昏睡させる。
三、全奴隷房の鍵と通路の鉄扉を同時に破壊。
四、二百四十人を入り口付近に集める。
五、転移魔法で王都へ。
「シンプルだ」俺は言った。
「シンプルだからこそ、一つでもミスしたら崩れます」ベルクが静かに言った。「特に五番目。転移魔法が失敗したら、二百四十人が施設の外に放り出されます。夜とはいえ、すぐに追っ手が来る」
「失敗しない」
「根拠は」
「失敗したら二百四十人が死ぬ。失敗する選択肢がない。——それが根拠だ」
ベルクが俺を見た。細い目の奥に、何かが光った。
「……魔王様のその言葉を、私は信じます」
―――――
証言が終わった後、ノアが廊下で立ち止まっていた。
壁に手をついていた。小麦色の手が震えていた。
「ノア」
「……大丈夫。大丈夫だから」
笑おうとしていた。太陽みたいな笑顔を作ろうとしていた。
作れなかった。
「思い出しちゃった。全部。部屋の匂いとか。鉄格子の冷たさとか。お母さんが泣いてた声とか」
ノアの目が赤くなっていた。
俺はノアの頭に手を置いた。
「よく話してくれた。お前の証言で、作戦が組めた。お前が覚えていてくれたから、二百四十人を助けに行ける」
「……あたしが覚えてて、よかった?」
「よかった。お前の記憶が、みんなを救う地図になった」
ノアの唇が震えた。
「……カイン」
「ん」
「絶対、お父さんとお母さんを——」
「連れて帰る。約束した」
ノアが頷いた。小さく。
涙は流さなかった。堪えていた。
「……ありがとう」
その一言が、震えていた。
―――――
夜、シアの部屋で転移魔法の術式設計をしていた。
ムルトゥスから借りた古代の術式書が机に広がっている。黄ばんだ紙に、見たことのない紋様が描かれていた。
「これが大規模転移術の基本構造だ」シアが指で紋様をなぞった。「空間に穴を開けて、出口と繋ぐ。基本原理は単純だが、必要な魔力が桁外れに大きい」
「二百四十人分だとどれくらいだ」
「計算した。カインの全魔力の——約三倍」
「……三倍」
「足りない。通常なら」
「ヴェルデを使えば」
「ヴェルデの出力は未知数だ。通常の魔力の何倍かも正確にはわからない。南の五十人、二千人の封印、海の蘇生。どれもヴェルデで限界を超えている。だが数値化できていない」
「つまり——やってみないとわからない」
「そうだ。だから私にできることは、術式の効率を最大まで上げること。魔力の無駄を一滴も出さない設計にする」
シアの銀色の瞳が、術式書の上を走っていた。真剣だった。真白のショートボブが、灯りに照らされていた。
「もう一つ」シアが言った。「転移の対象を魔族の波長のみに絞る設計にした」
「魔族の波長?」
「生物にはそれぞれ固有の魔力波長がある。魔族と人間は波長が違う。転移術式に波長フィルターをかければ、魔族だけを転移させて、人間は置いていける」
「つまり——施設の中で発動しても、昏睡している兵士は転移しない」
「そうだ。魔族だけが飛ぶ。混乱も減る」
「シア、それは——すごいな」
「当然だ。私が設計するんだから」
シアの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。すぐに戻った。
「……三日かかる。術式の最適化に。三日後には完成させる」
「頼む」
「あと」
「ん」
シアが術式書から目を上げた。
「……死ぬなよ」
小さい声だった。
「死なないよ」
「南でも海でも同じことを言った。そして毎回倒れた」
「今回は倒れない」
「根拠は」
「シアの術式があるから」
シアが少し目を見開いた。
それから、耳を赤くして、術式書に目を戻した。
「……三日で、最高の術式を作る」
「頼りにしてる」
「当然だ」
二回目の「当然だ」は、さっきより少し声が小さかった。




