■ 第57話「軍議」
■ 第57話「軍議」
翌朝、軍議が開かれた。
執務室に全将が集まった。グラザード。ムルトゥス。将たちが六人。シア。レナ。リーナ。
そして、ノア。
ノアは昨日買った茶色のブーツを履いていた。水色のショートボブが、朝日を受けていた。小麦色の肌。深い青の瞳。
表情は明るかった。いつもの太陽みたいな笑顔。でも俺にはわかった。手が少し震えていた。テーブルの下で、拳を握っていた。
「始める」グラザードが言った。「魔王様。ナーヴェルの報告と——それ以上の話があると聞いた」
「はい。まずナーヴェルの報告から」
灯火の設置、海の蘇生、壁の拡張。報告自体は短く済ませた。将たちが頷く。ここまでは想定通りだ。
「ここからが本題です」
俺は一度、ノアを見た。ノアが小さく頷いた。
「ノア。話してくれ」
ノアが立ち上がった。
笑顔が消えていた。
―――――
ノアは話した。
静かに。淡々と。でも声は震えていた。
兵士用の奴隷として生まれたこと。父親が力仕事をさせられていたこと。母親が兵士の世話をさせられていたこと。自分が十二歳になったら慰みものとして使われる予定だったこと。
両親が逃がしてくれたこと。一年間逃げ続けたこと。魔族領にたどり着いたこと。
執務室が、凍りついていた。
将の一人が拳をテーブルに叩きつけた。
「……ふざけるな」
押し殺した声だった。
別の将が顔を伏せていた。肩が震えていた。
ムルトゥスは目を閉じていた。手を組んで。祈るように。
グラザードは——腕を組んだまま、動かなかった。表情が消えていた。完全に。二十三年間の総司令の顔だった。
ノアが話し終わった。
長い沈黙があった。
グラザードが口を開いた。
「……何人いる」
「正確にはわかりません」ノアが答えた。「でもあたしがいた場所だけで、二百人はいました」
「二百人……」
「あたしがいたのは一箇所です。他にもあるかもしれない」
グラザードの拳が、白くなっていた。
―――――
俺が補足した。
「人間の国では、魔族は醜悪な化け物だと教えられています。百年間のプロパガンダです。国民に魔族を憎ませて、戦争を支持させるための嘘」
「それは知っている」グラザードが言った。
「でもその裏で、魔族を奴隷にしている。顔が整っていて力が強いから、兵士に使える。一般の国民の目に触れたらプロパガンダがバレる。だから兵士専用の奴隷にして、隠している」
「……枢機卿か」ムルトゥスが目を開けた。
「はい。全部仕組んでいるのは枢機卿グレゴリウスです。勇者パーティーは国力を示すための飾りでした。国民に『我が国にはこんなに強い勇者がいる』と見せるためだけの存在です。だから魔族と一度も交戦しなかった。任務はダンジョン攻略や魔獣退治ばかりだった。魔族と接触させたくなかったんです。顔を見たら『醜悪な化け物』の嘘がバレるから」
将たちがざわめいた。
「俺自身も飾りの一部でした。白銀の髪と碧い瞳が見栄えがいいから入れた。封印術が使えるからじゃない。パーティーの華として。追放の日にアルベルトがそう言いました」
グラザードが口を開いた。
「だが勇者パーティーは魔族領に来た。二千の軍勢を率いて。交戦させたくなかったはずなのに、なぜだ」
「俺のせいです」
グラザードの眉が動いた。
「枢機卿にとって、俺は想定外だった。瘴気帯に捨てたら死ぬはずだった。なのに生きていて、魔族の魔王になって、壁を作って、領土を広げている。百年間の計画が狂い始めた。だから方針を破ってでも、勇者パーティーを直接送り込んできた。——それくらい、追い詰められていたんだと思います」
ムルトゥスが長い溜め息をついた。
「……百年間、儂らは戦い続けてきた。土地を奪われ、民を殺され。それだけでも許し難いのに——捕らえた者を奴隷にしていたとは」
「ムルトゥス様」
「わかっておる。感情で動く場面ではない。冷静に聞こう。魔王様、方針があるのだろう」
「あります」
俺は全員を見渡した。
「奴隷にされている魔族を、全員取り戻します」
将たちがざわめいた。
「どうやって」グラザードが聞いた。
「戦争ではありません。目的は奴隷の解放のみ。人間の国に攻め込むわけじゃない。奴隷がいる場所に潜入して、救出して、連れ帰る」
「潜入? 誰が行く」
「俺が行きます。一人で」
空気が変わった。
シアが立ち上がった。
「反対だ」
声が鋭かった。銀色の瞳が俺を真っ直ぐ見ていた。
「一人で人間の国に潜入する? 二百人を救出する? 正気か」
「正気だ」
「南で倒れた。海で限界まで出し切った。また一人で無茶をするのか」
「俺が行くしかない。人間の世界を知っているのは俺だけだ。言葉も文化も兵士の振る舞いもわかる。魔族が行ったらすぐにバレる」
シアが黙った。反論できなかった。事実だから。
「それに、二百人を一度に連れ帰る方法が一つだけある」
俺はムルトゥスを見た。
「ムルトゥス様。古代の転移術式をご存知ですか」
ムルトゥスの目が少し見開かれた。
「……知っておる。大規模転移術。空間を繋いで、一瞬で移動する術式だ。だが——あれは膨大な魔力が必要で、前の魔王でも使えなかった」
「俺なら使えますか」
ムルトゥスが俺を見た。金色の瞳が、俺の碧い瞳を見ていた。
「……魔王様。あのヴェルデがあれば、理論上は可能だ。だが、二百人規模の転移は聞いたことがない。一人を転移するだけでも、通常の術師の全魔力が必要だ。二百人となると——」
「ヴェルデを全開にすればいけますか」
「いけるかもしれん。いけないかもしれん。やったことがある者がいない」
「やります」
「魔王様!」シアが声を上げた。
「シア。聞いてくれ」
俺はシアを見た。
「俺が行かなかったら、あの二百人は一生奴隷のままだ。ノアの父さんと母さんも。俺は約束した。取り戻すと」
シアは唇を噛んだ。
「……わかってる。カインが行くしかないのは、わかってる」
「じゃあ——」
「でも一つだけ条件がある」
シアが俺を真っ直ぐ見た。
「生きて帰ってこい。絶対に」
「帰る」
「約束しろ」
「約束する」
シアは少し黙った。それから、小さく頷いた。
「……術式の設計は私がやる。転移魔法の紋様を最適化する。カインの魔力消費を少しでも減らす」
「頼む」
グラザードが腕を組んだまま言った。
「方針は決まったな。魔王様が単独で潜入し、奴隷を解放。転移魔法で王都に連れ帰る」
「はい」
「情報収集が先だ。ノア、奴隷がいた場所の位置、施設の構造、兵士の配置。覚えていることを全部話せ。地図に落とし込む」
「はい!」ノアが力強く頷いた。
「他の集落にも伝令を出す。逃げてきた者が他にもいないか。奴隷の情報を持っている者がいないか。全集落に聞き込め」
将たちが頷いた。
グラザードが俺を見た。
「魔王様。一つだけ聞く」
「何ですか」
「人間を殺すか」
静かな声だった。
俺は即答した。
「殺しません。息吹の力で昏睡させます。人間にとって息吹は毒だ。濃い息吹を浴びせれば意識を失う。魔族にとっては回復になる。一石二鳥です」
「一人も殺さずに、か」
「一人もです」
グラザードが少し黙った。
「……お前らしいな」
ムルトゥスが微笑んだ。
「殺さずに二百人を救う。それができるのはカイン殿だけだ。息吹と封印術とヴェルデと、人間の知識を持つ者は、この世に一人しかおらん」
ノアが俺を見ていた。深い青の瞳が、光っていた。
昨夜と同じ光。希望の光。
「魔王様」ノアが言った。
「ん」
「……お父さんとお母さんを、お願いします」
「任せろ」
ノアが笑った。涙が一筋、頬を伝った。でも拭わなかった。
本物の笑顔だった。
―――――
軍議が終わった。
将たちが散っていく中、シアが残った。
術式書を開いていた。もう転移魔法の設計に入っていた。
「シア」
「何」
「ありがとう。反対してくれて」
「……反対したのは、心配だからだ。認めたのは、カインが正しいからだ。両方本心だ」
「わかってる」
「……本当にわかってるのか、あなたは」
シアの声が少し震えていた。
「わかってるよ。だから帰ってくる」
シアは術式書に目を落とした。
「……早く準備を始める。時間がない」
真白のショートボブが、朝日に照らされていた。
銀色の瞳が、術式書の上を走っていた。
シアは怖いのだ。また俺が倒れることが。また「死ぬな」と叫ばなければならないことが。
——だから、今度は倒れない。帰ってくる。約束したから。




