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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第6章

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■ 第50話「海へ」

 朝、執務室に行ったら地図が新しくなっていた。


 ヴェルダークの位置に、見慣れない文字が書かれている。


「……ヴェルダーク王都?」


 グラザードが横で腕を組んでいた。


「そうだ。カイン殿がトーラに行っている間に制定した。ヴェルダークは王都だ。魔王がいる場所が王都になる」


「聞いてないんだけど」


「事後報告だ」


「事後って……」


「ムルトゥス様もシア殿も賛成した。民も喜んでいる。問題ないだろう」


 シアが横からちらっと俺を見た。


「反対?」


「いや……反対じゃないけど。王都って急に言われても」


「魔王がいるから王都だ。論理的に正しい」


 論理の問題じゃない気がするけど。


 まあいい。ヴェルダーク王都。悪くない響きだ。


―――――


 軍議を開いた。次の灯火を届ける集落を決める。


 グラザードが地図を広げた。赤い印がついている集落がいくつかある。


「次はどこに」


「南西のナーヴェルを提案する」グラザードが指を置いた。「海沿いの港町だ。王都から馬で三日」


「港町……海か」


「かつては漁業と交易で栄えた集落だった。百年前は魔族領で最も豊かな町の一つだった」


「今は?」


 グラザードの声が少し沈んだ。


「船を焼かれた。港を壊された。海に出られなくなって百年。息吹が枯れて海の幸も減った。今は細々と生き延びている」


 ムルトゥスが静かに言った。


「ナーヴェルは私が若い頃に行ったことがある。美しい町だった。青い海と白い砂浜。港には色とりどりの船が並んでいた。もう百年以上前の話だがの」


「灯火を届ければ、息吹が戻る。海も蘇るかもしれない」


「かもしれない、ではない」シアが言った。「息吹が海に溶け込めば、魚が戻る。海藻が育つ。潮の流れが変わる。ナーヴェルが港町として機能するために必要なのは、まず息吹だ」


「じゃあ決まりだ。ナーヴェルに行く」


「もう一つ」グラザードが地図を指でなぞった。「ナーヴェルへ向かう途中、壁を南に押し広げたい。今の壁は王都の周辺だけだ。南西方面はまだ手つかずになっている」


「道中で壁を広げながら進む、ということか」


「そうだ。ナーヴェルまでの道を壁で覆えば、王都とナーヴェルが壁で繋がる。安全な街道ができる」


「灯火を届けて、壁も広げる。一石二鳥だな」


 グラザードが頷いた。


「パーティーの編成は」


「いつも通りだ。俺とシアとリーナとレナ。四人で行く」


 シアが術式書を閉じた。「三日分の荷物を準備する」


 リーナが少し嬉しそうだった。「海、見たことないです」


 レナが欠伸をしながら言った。「あたしもない。魔族領に海があるなんて知らなかった」


「魔族領は広いんだよ」


「カインに言われると説得力あるんだかないんだか」


―――――


 翌朝、出発した。


 四頭の馬で南西に向かう。白銀の髪が風になびいた。隣をシアが走っている。真白のショートボブが揺れている。後ろにリーナとレナが続く。


 いつもの四人。いつもの旅。


 でも今回は少し違った。三日間の旅だ。トーラのときは二日だった。今回はもう少し長い。


 初日は平野を走った。壁の内側を南西に。息吹が満ちた緑の中を進んでいく。


 午後、壁の端に到着した。ここから先はまだ壁がない。取り戻していない土地だ。


「壁の外に出る。気をつけろ」


 レナが剣の柄に手を置いた。リーナが少し緊張した顔をした。シアは変わらない。いつもの無表情。


 壁を抜けた。


 空気が変わった。息吹が薄い。草が枯れている。土が乾いている。壁の内と外の違いが、一歩で分かった。


「……全然違う」リーナが呟いた。


「これが壁の外だ。百年間、こうだった」


 リーナは黙って前を見た。草色の瞳が、枯れた大地を見ていた。


―――――


 夜、野営した。


 焚き火を囲んで四人で座った。壁の外だから息吹が薄い。少し肌寒かった。


 リーナが夕食を作った。干し肉と根菜の煮込み。レナが「リーナちゃんの飯は最高」と三杯おかわりした。


「カイン」シアが火を見ながら言った。


「ん」


「ナーヴェルの情報が少ない。王都との連絡が途絶えて久しいらしい」


「どれくらい」


「五年以上。最後の伝令が来たのが五年前だ。それ以降、誰も行っていない」


「五年か……無事だといいけど」


「集落自体はある。偵察の報告で建物は確認している。でも中の状況はわからない」


 レナが剣を磨きながら言った。


「五年も連絡ないって、結構やばくない?」


「やばいかもしれない。だから行くんだ」


 リーナが膝を抱えて座っていた。金色の髪が焚き火の光を受けて揺れている。


「カインさん」


「ん」


「海って、どんな匂いがするんでしょう」


「潮の匂い。しょっぱくて、でもどこか懐かしい匂い」


「懐かしい?」


「人間の国の港に一度だけ行ったことがある。パーティーの任務で。海風が気持ちよかった」


 リーナが目を細めた。


「楽しみです」


 シアが焚き火を見ていた。何も言わなかった。でも耳が少しだけ動いた。聞いていた。


―――――


 二日目。


 枯れた平野を進んだ。草が少しずつ減って、岩が増えてきた。地形が変わっている。


 午後から風が変わった。


 湿った風だった。重くて、温かくて。


「……この風」レナが鼻を動かした。「なんか匂う」


「潮だ」


「これが潮の匂い……」リーナが目を閉じて、深く息を吸った。「しょっぱい」


 丘を越えた。


 視界が開けた。


 ——海が、見えた。


 地平線の果てまで、青が広がっていた。空の青とは違う。もっと深くて、もっと重い青。波が白く光りながら、岸に打ち寄せている。


「うわ……」レナが声を上げた。「でっか」


 リーナが馬の上で立ち上がりかけた。草色の瞳が限界まで開いていた。


「すごい……こんなに大きい……」


 シアは黙って海を見ていた。銀色の瞳に、青い海が映っていた。


「……きれい」


 シアが小さく呟いた。無表情のまま。でも、声が柔らかかった。


―――――


 三日目の午後。


 海沿いの道を進んでいくと、崖の上から港町が見えた。


 ナーヴェル。


 白い石造りの建物が斜面に並んでいた。段々畑のように、海に向かって下りていく。一番下に港があった。


 ——だが。


 港に船はなかった。桟橋は半分崩れていた。建物の窓に灯りがない。通りに人影が見えない。


「……人、いるのか?」レナが呟いた。


「建物は残ってる。完全に廃墟じゃない」


 シアが目を細めた。


「煙が出ている。あの建物。炊事の煙だ。誰かがいる」


 俺は馬を進めた。


 ナーヴェルの門が見えた。石のアーチ。かつては立派だったんだろう。今は半分崩れて、蔦が絡まっている。


 門をくぐった。


 ——誰もいなかった。


 白い石畳の通り。両側に建物が並んでいる。扉は閉まっている。窓も閉まっている。通りに足音が一つもない。


 俺たちの馬の蹄の音だけが、石壁に反響していた。


「……気配はある」シアが小声で言った。「建物の中に。隠れてる」


 窓の隙間から、こちらを覗いている目が見えた。すぐに隠れた。


「怯えてるのか」


「外から来た者を恐れている。人間だと思ってるんだろう」


 しばらく通りを進んだ。誰も出てこなかった。声もかからなかった。廃れた港町を、四人と四頭の馬だけが歩いている。


 リーナが不安そうな顔をしていた。レナが剣の柄から手を離さなかった。


 そのとき。


「——止まれ」


 声がした。上から。


 見上げた。


 建物の屋根の上に、人影があった。


 小柄だった。シアより少し大きいくらい。しゃがんでこちらを見下ろしていた。


 水色のショートボブ。小麦色の肌。海のような深い青の瞳。頭には小さな角が、髪に隠れるように生えていた。


 ボロボロの服を着ていた。裸足だった。手に、錆びた短剣を握っていた。


「何者だ」


 声は鋭かった。明るさはなかった。見張りの声だった。


 深い青の目が、俺を見た。白銀の髪を。そして——水色の角を。


 目が変わった。鋭さが消えた。


「角……魔族だ。本物の魔族だ!」


 声が弾けた。さっきの鋭さが消えて、太陽みたいな声になった。


 屋根から飛び降りた。裸足で石畳に着地した。軽かった。


「やった! 五年ぶり! 外から人が来た!」


 走ってきた。裸足で。石畳の上を。


「あたし、ノア! ここの見張り! あんたたち、本当に王都から?」


 元気だった。裏がなさそうだった。太陽みたいに笑っていた。


 でも俺は気づいた。


 さっきまで短剣を握っていた手が、まだ震えていた。見張りをしていた。人間が来ないか。五年間、ずっとこの子が。


 そして走ってくるノアの足の裏が、傷だらけだった。古い傷。何年もかけてできた傷。裸足で石の上を歩き続けた傷じゃない。


 もっと前の傷だ。


「俺はカイン。灯火を届けに来たんだ。この町に」


「灯火? なにそれ!」


「息吹を蘇らせるものだ。この町に息吹を戻す」


 ノアの深い青の目が、一瞬だけ揺れた。


 ほんの一瞬。太陽みたいな笑顔の奥で、何かが動いた。


 すぐに戻った。


「すごい! 入って入って! みんなに教えなきゃ! あたしが案内する!」


 ノアは俺の手を掴んで引っ張った。小麦色の小さな手。力が強かった。


 シアが俺の後ろで、静かに言った。


「……あの子の足」


「気づいたか」


「気づいた。あと、手。短剣を握っていた手がまだ震えていた」


 シアの銀色の瞳が、ノアの背中を見ていた。


「五年間、あの子が一人で見張りをしていた。他の住民は怯えて外に出られない。あの子だけが外に出ている」


 水色のショートボブが、海風に揺れていた。


 明るい声が、廃れた港町に響いていた。


 ——何があったんだ、この子に。

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