■ 第49話「息吹石のある暮らし」
魔王祭の翌朝、二日酔いの集落を歩いた。
グラザードが執務室の机に突っ伏して寝ていた。昨夜の大泣きが嘘みたいな顔で。起こさなかった。
広場のテーブルはまだ片付いていなかった。空の杯が山になっている。レナが椅子に座ったまま寝ていた。さすが底なし。寝落ちだ。
通りを歩いた。
灯篭がまだ並んでいた。昨夜置いた、息吹石で作った灯り。朝日の中でも淡い白と紫の光が灯っている。消えていない。
「シア」
シアが横にいた。二日酔いの気配はなかった。昨夜の「もっと褒めろ」が嘘みたいな無表情に戻っている。
「この灯篭、消えてないな」
「息吹石を使っているから。息吹が続く限り光り続ける。半永久だ」
「じゃあこのまま残しておこう。街灯になる」
シアが少し考えた。
「……夜も明るい街になる」
「ああ。夜に外を歩いても安全だ。子どもが転ばない」
「灯篭の数を増やせば、通り全体を照らせる」
「作るか。息吹石なら俺がいくらでも作れる」
シアが頷いた。
「家の中の明かりにも応用できる。息吹石を小さく削って、ガラスの器に入れれば室内灯になる。蝋燭がいらなくなる」
「火事のリスクも減るな」
「ああ。息吹石は熱を出さない。光と息吹だけだ」
俺はその場で息吹石を大量に作った。大小さまざま。灯りに使う大きめのものから、医療用の米粒サイズまで。
「ソルスとミルに渡しておく。街灯と室内灯の設置を進めてくれ」
「わかった」
―――――
午後、ガラス工房を覗いた。
工房の奥で、壮年の魔族の男が窯の前に座っていた。ガラス職人のドルクだ。三百年の伝統を受け継ぐ最後の職人。息吹が枯れて百年間窯を止めていたが、灯火ができてから毎日焼いている。
「魔王様。見学ですか」
「邪魔じゃなければ」
「構いません。ちょうど今から吹きます」
ドルクが窯から溶けたガラスを竿の先に巻き取った。オレンジ色に光る塊を、ゆっくりと息を吹き込んで膨らませていく。
見ていて、ふと思った。
「ドルクさん。これに息吹石を入れたら、どうなるんだろう」
「息吹石を?」
「溶けたガラスの中に、小さな息吹石を混ぜてみたら」
ドルクが考え込んだ。
「やったことはないが……面白いかもしれない。やってみますか」
俺は朝作った息吹石を一つ取り出した。米粒くらいの小さいやつだ。ドルクに渡した。
ドルクが溶けたガラスの中に息吹石を落とした。竿を回しながら、ゆっくりと息を吹き込む。
ガラスが膨らんでいく。透明な球体が形を作っていく。
息吹石がガラスの中で溶けた——いや、溶けていない。ガラスの中に浮かんだまま、息吹を放っている。
コップの形に整えて、冷ました。
ドルクが竿からコップを外した。
透明なガラスのコップだった。普通の。何の変哲もない。
——と思った。
ドルクが窓際にコップを持っていった。光が差し込んだ。
「……おお」
ドルクが声を上げた。
コップが光を受けた瞬間、ガラスの中に色が走った。黄色と紫が、うねるように渦を巻いている。光の角度が変わるたびに、色が流れる。まるで生きているみたいだった。
普段は透明。でも光を反射するときだけ、黄色と紫の模様が浮かび上がる。宝石みたいだった。
「こんなガラス、見たことない……」ドルクが呟いた。手が震えていた。「三百年の歴史でも、こんなものは……」
「息吹石がガラスの中で光を屈折させてるんだろうな」
「これは……工芸品になる。いや、芸術品だ」
ドルクの目が輝いていた。職人の目だった。
「魔王様。息吹石をもっといただけますか。いろんな大きさで、いろんな形で試したい。花瓶、皿、ランプ、アクセサリー——」
「いくらでも作る。ドルクさんの好きなだけ」
ドルクが深々と頭を下げた。
「三百年の伝統に、新しい歴史が加わります」
俺はドルクの工房に息吹石をひと袋置いていった。
―――――
夕方、ガラの薬屋に寄った。
ナーシャが会計に座っていた。リーナが奥で薬草を仕分けていた。青いワンピースじゃなく、昨日買った普段着を着ていた。白い上衣に薄緑のスカート。薬屋に似合っていた。
「カインさん、聞いてください!」リーナが駆け寄ってきた。
「どうした」
「息吹石、すごいんです!」
「息吹石?」
「ガラさんが数日前から試してたんですけど、息吹石を小さく砕いて、布に包んで身体に貼ると——」
ガラが奥から出てきた。
「お前さんか。ちょうどいい。報告がある」
「何ですか」
「息吹石の医療利用だ」
ガラは棚から小さな布袋を取り出した。中に、米粒くらいの息吹石が入っている。
「これを患部に貼ると、息吹が直接染み込んで回復が早まる。風邪を引いたら喉や鼻に。腹痛なら腹に。打ち身なら傷口に。湿布の上位互換だ」
「効果は」
「通常の薬草の三倍は効く。しかも副作用がない。息吹だから」
「すごいですよね!」リーナが目を輝かせていた。「それだけじゃないんです。妊婦さんのお腹に貼ると——」
「赤子が安定する」ガラが続けた。「灯火の効果と同じだが、もっと直接的だ。灯火は広範囲に息吹を撒くが、息吹石を貼れば、母体と赤子に集中的に息吹が届く」
「命の灯火の個人版みたいなものか」
「そうだ。灯火ができてから妊婦の安定は劇的に改善したが、息吹石を直接貼ることでさらに効果が上がる。今、集落の妊婦三人に試しているが、全員経過が良好だ」
ガラは少し間を置いた。
「お前さん。息吹石をもっと作れるか」
「いくらでも」
「なら作ってくれ。薬屋として、全家庭に配りたい。風邪の季節に備えて、常備薬代わりに」
「わかりました」
リーナが笑った。草色の瞳が三日月になっていた。
「カインさんの息吹石、万能薬ですね」
「俺の息吹石っていうか、息吹の力だろ」
「でもカインさんが作らないとできないです」
「……まあ、そうだな」
ガラが鼻を鳴らした。
「謙遜するな。お前さんにしかできないことだ。胸を張れ」
―――――
夜、通りを歩いた。
街灯が灯っていた。ソルスとミルが午後のうちに設置したらしい。通りの両側に等間隔で、白と紫の柔らかい光が並んでいる。
夜なのに明るかった。
子どもたちが通りを走っていた。夜なのに。灯りがあるから。
ドレス屋のガラスの窓が、街灯の光を受けて輝いていた。中に並んだ服が、夜でも見える。
ドルクの工房の窓に、あのコップが飾ってあった。街灯の光を受けて、黄色と紫がうねるように光っていた。通りがかった女の子が「きれい」と立ち止まっていた。
ガラの薬屋の窓にも灯りがあった。息吹石をガラスの瓶に入れた室内灯だ。ナーシャが帳簿をつけているのが窓越しに見えた。
テオが走ってきた。
「カイン! 夜なのに明るい!」
「街灯だよ」
「すげー! 影が二つできる!」
テオは自分の影を踏んで遊び始めた。
シアが横に来た。
「息吹石の消費量を計算した。現在のペースなら、カインが週に一度息吹石をまとめて作れば、街全体の灯りと医療用を賄える」
「週に十個か。余裕だな」
「余裕……?」シアが少し呆れた顔をした。「そもそもあの息吹石はカインにしか作れない。息吹と魔力を同時に扱える人間は他にいない」
「だから俺が作るんだろ」
「……そうだけど。自分がどれだけ特殊なことをしてるか、もう少し自覚してほしい」
シアは小さく鼻を鳴らした。でも口元が少し緩んでいた。
通りを歩いた。街灯の光がガラスの窓に反射して、通り全体がきらきらしていた。白銀の髪が街灯の光を受けて淡く光っていた。
百年間、暗かった夜が、光で満ちている。
息吹石一つで、暮らしが変わる。灯りになる。薬になる。芸術になる。命を守る。
まだまだできることがある。もっと作ろう。もっと配ろう。この街だけじゃなく、他の集落にも。
テオが街灯の下で影を踏んでいた。
いい夜だった。昨日とは違う、静かないい夜だった。




