■ 第47話「変わった街」
ヴェルダークが見えた。
丘の上から、集落を見下ろした瞬間、馬を止めた。
「……え」
隣でシアも止まった。リーナも。レナも。
四人とも、黙って見下ろしていた。
「……これ、ヴェルダーク?」
レナが呟いた。
俺も同じことを思っていた。
―――――
二週間前に出発したとき、ヴェルダークは石造りの家が丘の上に並ぶ静かな集落だった。
今、目の前にあるのは——街だった。
家が増えていた。丘の上だけじゃなく、丘の斜面にも、麓にも、新しい建物が建っている。木造と石造りが混じった、しっかりした建物。壁には窓がある。ガラスの窓だ。光を反射して、きらきら光っていた。
丘の外れに広大な畑が見えた。二週間前にはなかった。緑が濃い。作物がびっしりと生えている。麦か何かだろうか。二週間でこの成長は——
「あれ、出発前に植えたやつだよね……?」リーナが目を丸くしていた。「二週間でもうあんなに?」
畑の隣に、柵で囲まれた放牧地があった。牛らしき家畜が何頭もいる。大きい。やけに大きい。
「……帰るところ間違えてないよな」
「間違えてない」シアが言った。「奇跡の壁の位置で確認した。ここはヴェルダークだ」
俺たちは丘を下った。
―――――
集落に入った瞬間、テオが突っ込んできた。
「カイン!!!」
全力タックル。腰に抱きついてきた。
「おかえり! 長かった! ずっと待ってた!」
「ただいま。テオ、元気だったか」
「元気! すごいよカイン、見た? 街!」
「見た。何があったんだ」
「命の灯火だよ! すっごいの!」
テオが俺の手を引いて走り出した。
―――――
集落の中央通りを歩いた。
道が整備されていた。石畳が敷き直されて、両側に建物が並んでいる。どの建物にもガラスの窓がはまっていた。中が見える。商品が並んでいる。
ウィンドウショッピングだ。こんなものが魔族の集落にあるのか。
「テオ、あの店は」
「肉屋! ソルスが獣を育てる場所を作って、グラザードさんが仕切りを決めたの!」
肉屋があった。ガラスの窓越しに、きれいに切り分けられた肉が並んでいるのが見えた。二週間前は、ここは空き地だったはずだ。
「あっちは?」
「雑貨屋! 日用品とか、灯火の欠片で作った小物とか売ってる!」
雑貨屋。棚にいろんな小物が並んでいる。ガラスの小瓶、木彫りの人形、息吹を編み込んだ飾り紐。
「あれは——宝石店?」
「うん! 息吹が濃くなったら地面から綺麗な石がいっぱい出てきて、磨いたら宝石になったんだって!」
宝石店。ガラスのショーケースの中に、紫や青や白の石が並んでいた。息吹を含んだ鉱石だろう。淡く光っていた。
「あっちはドレス屋! ミルさんが布を集めてきて、集落の女の人たちが縫ってるの!」
ドレス屋。色とりどりの布が飾られている。隣に普段着の服を売る店もあった。
全部の店の窓がガラスだった。透明で、中がきれいに見える。光が差し込んで、商品が輝いている。
「テオ、このガラスは」
「ヴェルダークはもともとガラスを作るのが得意だったんだって! 息吹が足りなくて作れなくなってたけど、灯火ができてから、おじさんたちが窯を復活させて、ばんばん作ってるの!」
ガラス作り。それがヴェルダークの伝統産業だったのか。息吹が戻ったことで、百年間止まっていた技術が蘇った。
ガラスの窓越しに、通りが光に満ちていた。まるで——いや、まるでなんかじゃない。これはもう、王都の商業区と変わらない。
―――――
ガラの薬屋に寄った。
驚いた。
ガラの作業場が「店」になっていた。ガラスの窓がはまっていて、棚に薬草茶や軟膏や薬が並んでいる。きちんとした商品として。
会計に座っていたのは、知らない女の子だった。茶色い髪で、小さな角が生えていて、ガラと同じ前掛けをしていた。
「いらっしゃいませ——あ、魔王様!?」
女の子が飛び上がった。
「おかえりなさい! ガラ先生、魔王様が!」
奥からガラが出てきた。相変わらずの皺だらけの顔。でも作業場が小綺麗になっていた。
「帰ったか」
「ただいまです。ガラさん、この店……」
「灯火のおかげで薬草の生育が良くなった。作る量が増えたから、売る場所が要るだろう」
「会計の子は」
「ナーシャだ。薬師見習い。リーナがいない間、代わりに手伝ってもらった」
ナーシャと呼ばれた女の子がぺこぺこお辞儀した。「よろしくお願いします魔王様!」
リーナが横から顔を出した。
「ガラさん、お店になってる……! すごい!」
「お前さんが帰ったなら、ナーシャと二人で回してくれ。私は調合に集中したい」
「はい!」
リーナの目がきらきらしていた。自分の居場所が大きくなっている。
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ソルスの報告を聞いた。
執務室に入ると、ソルスが眼鏡を押し上げながらデータの山を指差した。
「魔王様、お帰りなさい。報告が山ほどあります」
「まず一番驚いたことから」
「作物の成長速度です。命の灯火を設置してから、通常の5倍以上の速度で成長しています」
「5倍?」
「正確には5.3倍です。息吹が土壌に浸透して、植物の代謝を促進しています。通常なら三ヶ月かかる麦が、三週間で収穫できる状態になりました」
三週間。ありえない数字だ。
「家畜も同じです。息吹を含んだ飼料を食べることで、成長速度が大幅に上がっています。牛が通常の5倍の速度で成長しています」
「あの放牧地の牛、やけに大きかったのは」
「二週間前に生まれた子牛です」
「……あれが二週間?」
「はい。通常なら二ヶ月分の大きさです」
俺は椅子に座った。頭が追いつかない。
「結果として、食料が大量に余り始めました。集落の人口に対して、生産量が多すぎるんです」
「それで他の集落に送ってるのか」
「はい。イルガとトーラに、支援という名目で作物を送っています。ただ——」
ソルスが少し言いにくそうにした。
「まだ灯火がない集落が多数あります。そちらは食料が足りていません。送りたいのですが、距離があって輸送が難しい」
「つまり」
「全ての集落を回る必要があります。灯火を届ければ、その集落も自力で食料を生産できるようになります。支援に頼る必要がなくなる」
俺は頷いた。
「やはり、全部の集落を回るのが先だな」
「そう思います。現在把握している集落は、ヴェルダーク、イルガ、トーラを含めて十二。まだ発見されていない小規模な集落もあるかもしれません」
十二。あと九つ。
道のりは長い。でも、一つ灯火を灯すたびに、こういう変化が起きる。ヴェルダークがこの二週間で街になったように。
―――――
夕方、集落を歩いた。
ガラスの窓が夕日を受けて、通り全体がオレンジ色に光っていた。
ドレス屋の前で、女の子たちが窓の中を覗いていた。きゃーきゃー言っていた。ミルがいた。「あの赤いドレスかわいくない!?」と叫んでいた。
肉屋の前で、おじさんたちが今日の仕入れの話をしていた。「牛がでかくなりすぎて捌くのが大変だ」と笑っていた。
宝石店の前で、若い男が石を選んでいた。「彼女に贈る」と照れていた。
雑貨屋の前で、子どもたちが小物を見ていた。「あれほしい!」「お母さんに聞いてから!」
普通だった。
戦争とか、侵略とか、そういう話じゃなく。ただの、普通の暮らし。買い物をして、笑って、誰かに何かを贈ろうとして。
これが、命の灯火の本当の効果なのかもしれない。
作物の成長速度が5倍になったことより。家畜が大きくなったことより。
人が、普通に暮らせるようになったこと。それが一番すごい。
グラザードが横に立った。
「帰ったか」
「帰りました。すごいことになってますね」
「灯火のおかげだ。あれがなければ、こうはなっていない」
「ガラスの窓、きれいですね」
「ヴェルダークは三百年前、ガラス細工で名を馳せた集落だった。息吹が枯れて百年以上作れなくなっていたが、灯火で窯が復活した。職人たちが泣いて喜んでいたよ」
三百年の伝統が、百年の断絶を経て蘇った。
「グラザード、俺がいない間にこの街を作ったのは——」
「私じゃない。民だ。灯火が力をくれて、民が自分たちで動いた。私はまとめただけだ」
グラザードは腕を組んだまま、通りを見ていた。
「カイン殿。あと九つの集落がある」
「はい」
「全部にこれを届けろ。そうすれば魔族領は——百年前どころか、三百年前を超える」
グラザードは少し間を置いた。通りを見ていた。ガラスの窓が夕日を反射して、通り全体が黄金色に輝いている。
「そしてな、カイン殿。何より大きいのは——」
グラザードの声が、少しだけ変わった。
「みんなが活気に溢れているのは、作ったものがもう人間に壊される心配がないと、わかっているからだ」
俺はグラザードを見た。
「前はそうじゃなかった。どうせ壊される。どうせ奪われる。だから、とりあえず間に合うものを作っていた。家も、畑も、窯も。壊されることを前提にして、最低限のものしか作らなかった」
グラザードは通りのガラスの窓を見た。
「今は違う。あのガラスの窓を見ろ。細部まで丁寧に作り込んでいる。宝石を磨いている。ドレスを縫っている。壊される心配がないから、本気で作れる。細部まで手を入れる気になれる。頑張れる」
グラザードの目が、俺を見た。
「奇跡の壁が守ってくれると、民は知っている。だから安心して、本気でものを作れる。それが——この街の本当の姿だ」
グラザードが、深く頭を下げた。
二十三年間、総司令として魔族の衰退を見続けてきた男が。
「カイン殿。本当に、ありがとう」
俺は何も言えなかった。
グラザードが頭を下げているのを、初めて見た。
「……頭を上げてください。俺は壁と灯火を作っただけです。この街を作ったのは、みんなです」
「だから礼を言っている。壁がなければ、灯火がなければ、この街はない。お前がいなければ、ない」
グラザードは頭を上げた。目が潤んでいた。見たことのない目だった。
希望、というやつだ。二十三年間、一度も見せなかった顔。
「届けます。全部に」
「ああ。頼む」
ガラスの通りが、夕日に輝いていた。白銀の髪が夕日に染まった。
命の灯火が広場で脈打っていた。
この光を、あと九つ。
全部に届けたとき、この世界はどう変わるんだろう。
楽しみだ、と思った。純粋に。




