表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/102

■ 第46話「帰り道の夜」

 馬で一日走って、日が暮れた。


 ヴェルダークまであと半日の距離。森を抜けて平野に出たところで、野営することにした。


 南の空に、奇跡の壁が見えた。


 白と紫の光が、地平線に沿って静かに輝いている。ここからでも見えるくらい、大きくなっていた。俺たちがトーラに行っている間にも、ソルスとミルが壁を維持してくれていたのだろう。


 あの光の内側が、俺たちの場所だ。


―――――


 焚き火を起こした。レナが手際よく薪を組んで火をつけた。


「レナ、慣れてるな」


「斥候の経験あるからね。一人で野営することもあったよ。前はね」


「前は?」


「壁ができる前。人間がいつ攻めてくるかわからなかったから、夜は交代で見張りを立てて、鎧を着たまま寝てた。焚き火なんて焚けなかった。煙で見つかるから」


 レナは火を見ながら言った。いつもの眠そうな目だったが、声は少し違った。


「今はこうやって火を焚ける。鎧を脱いで寝られる。それだけですごいことなんだよ」


 リーナが小さく頷いた。


「壁があるから、ですよね」


「うん。カインが作った壁」


 俺は壁を見た。遠くで光っている。


 あれを作ったのが、ほんの数ヶ月前のことだとは思えなかった。


―――――


 飯を食った。干し肉とパンと、トーラの民がくれた果物。リーナがガラに教わった薬草茶を淹れてくれた。野営で飲む薬草茶は、集落で飲むのとは少し違う味がした。空が広いからかもしれない。


 食べ終わって、レナが毛布にくるまった。


「先に寝るね。見張りいらないでしょ、壁の内側だし」


「いらない。寝ろ」


「おやすみー」


 レナは三秒で寝た。相変わらずだ。


 リーナが焚き火の向こうで、日記を書いていた。トーラでの出来事を記録しているらしい。ペンを動かす横顔が、焚き火の光に照らされて柔らかかった。金色の髪が肩で揺れている。


「リーナ、先に寝ていいぞ」


「もう少し書いたら寝ます」リーナはにっこり笑った。「カインさんこそ、先に寝てください」


「もう少し起きてる」


「……ルティアさんのこと、考えてるんですか?」


「え」


「なんとなく」


 リーナはにっこり笑ったまま、日記に目を戻した。


 ……なんとなくでわかるのか。怖いね、女の子って。


―――――


 リーナも寝た。


 焚き火の前に、俺とシアだけが残った。


 シアは焚き火の横に座っていた。術式書を膝の上に置いているが、読んでいなかった。火を見ていた。


 焚き火の光が、シアを照らしていた。


 真白の髪。アルビノのような、混じりけのない白。肩より少し長くて、毛先が微かに内側に巻いている。夜風が吹くたびに、白い糸みたいに揺れた。


 銀色の瞳。焚き火の橙が映り込んで、いつもより温かい色に見えた。睫毛が長い。瞬きするたびに、影が頬に落ちる。


 肌が白かった。焚き火の光でも日焼けの痕がない。腕も、首筋も、頬も。作り物みたいに白い。でも唇だけが薄い桜色で、それが妙に生々しかった。


 白い装束の下の身体は小柄だった。華奢で、折れそうなくらい細い。でもこの子は予言の守り手で、術式を操り、俺の補佐官として軍議にも出る。見た目の脆さと中身の強さが、全然噛み合っていない。


 頭の角は二本。細くて短くて、真白だった。髪に紛れて見えにくい。でも火の光が当たると、うっすらと透き通って見えた。


 綺麗だ、と思った。何度目かわからないけど。


「……何」


 シアが俺を見た。見つめていたのがバレた。


「いや、何でもない」


「何でもないのに見てたの」


「火を見てた」


「私の方を見てた」


「……火がシアの横にあるから、方向が同じだっただけだ」


 シアが俺を見た。焚き火の光の中で、俺の碧い瞳がシアの銀色の瞳に映っていた。


「……綺麗な色」


「え?」


「何でもない」


 シアは火に目を戻した。耳が赤かった。


「ふーん」


 シアの「ふーん」が出た。でも今夜のは怒りの「ふーん」じゃなかった。少しだけ、口元が緩んでいた。


―――――


 しばらく二人で火を見ていた。


 壁の光が遠くに見えた。虫の声が聞こえた。安全だった。こんなに何も怖くない夜を、シアは何年ぶりに過ごしているんだろう。


「シア」


「ん」


「こうやって焚き火焚いて、見張りなしで野営するの、いつぶりだ」


 シアは少し考えた。


「……初めて、かもしれない」


「初めて?」


「私が物心ついた頃には、もう人間の侵攻が激しかった。外に出るときは常に警戒していた。夜は見張りを立てて、いつでも逃げられるように寝ていた」


 シアは膝を抱えた。


「集落の中でも、完全に安全な夜はなかった。いつ壁が破られるか、いつ侵攻が来るか。ムルトゥス様と二人で、予言書を読みながら夜を明かすことが多かった」


「今は?」


「今は奇跡の壁がある。灯火がある。カインがいる」


 シアは火を見ていた。


「こうやって野原で火を焚いて、鎧もなく、見張りもなく、ただ座っている。空を見て、虫の声を聞いて。……こういう夜が来るなんて、思っていなかった」


 シアの声が、静かだった。嬉しいとか悲しいとかじゃなく、ただ「信じられない」という声だった。


「当たり前になるよ。こういう夜が」


「……本当に?」


「本当に。壁をもっと広げて、灯火をもっと届けて。全部の集落がこうなるまで」


 シアは少し黙った。


「……カインは、いつもそうやって大きなことを言う」


「大きいか?」


「大きい。でも全部やってきた。だから……信じてる」


 その最後の二文字が、小さかった。


―――――


 シアが寝た。


 毛布にくるまって、焚き火の横で丸くなった。小さかった。本当に小さい。膝を抱えて、顎を膝に乗せるみたいにして眠っている。真白の髪が顔にかかっていた。


 俺は一人で焚き火の番をしていた。


 見張りはいらない。壁の内側だ。でもなんとなく、起きていたかった。


 ルティアのことを考えていた。


 今頃、何をしているだろう。


 見回りは交代制になった。今夜はルティアの番じゃないはずだ。ちゃんと寝ているだろうか。あの岩の上で、一人で月を見ていたりしないだろうか。


 あの石を握っているだろうか。俺が渡した、白と紫に光る小さな石。灯火の欠片。


 握っていてほしい、と思った。


 ——寂しいな。


 不意に、そう思った。


 二週間、毎日顔を合わせていた。朝は訓練場で、昼は修繕で、夕方は食堂で、夜は岩の上で。隣にいるのが当たり前になっていた。


 その「当たり前」が、今夜はない。


 馬で二日の距離。遠くはない。でも隣にはいない。


 ルティアの声が聞こえない。「うるさい」も「黙れ」も「勝手にしろ」も。あの声が聞こえない夜が、こんなに静かだとは思わなかった。


 ……いや、レナのいびきは聞こえてるな。結構うるさい。


 でも、それとは別の静かさだ。


 ルティアがいない静かさ。


 焚き火がぱちりと爆ぜた。


 シアが寝返りを打った。毛布からはみ出した手が、地面を掻いた。寒いのかもしれない。


 俺は自分の毛布をシアにかけた。二枚重ね。シアの手が毛布の中に収まった。


 寝顔を見た。穏やかだった。


 この子も大事だ。リーナも大事だ。ルティアも大事だ。


 全員大事で、全員違う「大事」で、俺はまだその違いに名前をつけられないでいる。


 ……鈍いって言われるわけだ。


 壁の光を見た。白と紫。命の灯火と同じ色。


 明日にはあの光の中に帰る。テオが走ってくるだろう。ガラが薬草茶を出すだろう。ソルスが報告を持ってくるだろう。ミルが騒ぐだろう。グラザードが腕を組んで頷くだろう。ムルトゥスが微笑むだろう。


 帰る場所がある。


 三年前には何もなかった。名前も居場所も仲間も全部奪われた。


 今は全部ある。


 焚き火が小さくなっていく。薪を足した。


 明日、帰ろう。


 そしていつか、また会いに行こう。トーラに。ルティアに。


 「勝手にしろ」が「待ってる」に聞こえた夜のことを、俺はまだ覚えている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ