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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

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■ 第43話「月夜」

 翌日、ルティアは俺を避けていた。


 朝食の席で目が合ったら、0.3秒で逸らされた。シアの0.5秒より速い。新記録。


 訓練場では、俺が近づくと反対側に移動した。さりげなく。でもバレバレだった。


「ルティア、灯火の最終調整を——」


「父上に頼め」


「ルティアじゃないとわからない場所が——」


「地図を渡す。それで十分だ」


「いや、直接——」


「用があるなら書面で出せ」


 書面。


 書面って何だ。昨日まで一緒に森を歩いてた仲なのに、急に官僚みたいなこと言い出した。


 レナが横で笑いを堪えていた。堪えきれてなかった。


「シアちゃん、見てるよ」レナが小声で言った。


 振り返ると、シアが訓練場の端から俺を見ていた。無表情だった。完璧な無表情。


 昨日からずっとこれだ。


 リーナだけがいつも通りだった。朝食のときにみんなに薬草茶を配っていた。ガラに教わった淹れ方で。ルティアの分も置いていた。ルティアは少し固まってから、黙って飲んだ。


 リーナ、お前がいないと俺は死ぬ。


―――――


 昼過ぎ、ヴァルドに呼ばれた。


 族長の部屋。復活してからのヴァルドは、一日のほとんどを民の相談に費やしていた。半年分の仕事を取り戻すように。


「カイン殿」


「はい」


「娘が変だ」


「…………知ってます」


「何かあったか」


「雨宿りをしただけです」


「雨宿り」


「はい。雨に降られて、木の根元で」


「二人で」


「二人で」


 ヴァルドが俺を見た。深紅の瞳。ルティアと同じ色。


「……それだけか」


「それだけです」


「本当に?」


「本当です」


 ヴァルドはしばらく俺を見ていた。嘘をついていないか見定めるような目だった。


「……まあいい。あの子が誰かを避けるのは珍しい。普段は自分から切り込んでいく性格だからな」


「知ってます。初日に喉元に剣を突きつけられたんで」


 ヴァルドが豪快に笑った。


「あれは娘なりの歓迎だ。許してやってくれ」


 歓迎のハードルが高すぎる。


「カイン殿。一つ、頼みたいことがある」


「何ですか」


「今夜、娘と話してやってくれ」


「避けられてるんですが」


「夜なら大丈夫だ。あの子は夜になると見回りに出る。毎晩、集落の外周を歩く。半年間、一日も欠かしていない」


「族長が戻ったのに、まだやってるんですか」


「やめろと言ったが聞かない。習慣になってしまっている。身体に染みついた緊張が、まだ解けていないんだろう」


 ヴァルドの目が、少し悲しそうだった。


「あの子は半年間、夜も眠らずに集落を守ってきた。私が戻ったのに、まだ一人で見回りをしている。自分が休んでいいと、まだ信じられないんだ」


「……わかりました。行きます」


―――――


 夜。


 月が出ていた。森の木々の隙間から、白い光が差し込んでいる。息吹と月光が混じって、森全体が薄紫に染まっていた。


 集落の外周を歩いた。ルティアの見回りルートを、ヴァルドに教えてもらっていた。


 いた。


 集落の南端、森との境界線。大きな岩の上にルティアが座っていた。


 剣を膝の上に置いて、月を見ていた。鎧じゃなく、昨夜と同じ黒い部屋着。髪を下ろしていた。


「ルティア」


 ルティアが振り返った。俺を見た。


 一瞬、逃げそうな顔をした。でも逃げなかった。岩の上だから逃げ場がないのもあるだろうけど。


「……なぜここに」


「ヴァルドさんに教えてもらった」


「父上が余計なことを」


「余計じゃないだろ。心配してるんだよ」


「心配される筋合いは——」


「ある。毎晩見回りしてるんだろ。族長が戻ったのに」


 ルティアが黙った。


「隣、座っていいか」


「……勝手にしろ」


 岩に登った。隣に座った。昨日の雨宿りほどは近くない。でも手を伸ばせば届く距離。


 月が明るかった。白銀の髪が月光に染まっていた。


「ルティア」


「何だ」


「なんで、まだ見回りしてるんだ」


「……習慣だ」


「それだけか」


 ルティアは膝の上の剣に目を落とした。


「……怖い」


 小さな声だった。俺以外には聞こえないくらいの。


「父上が戻った。灯火もある。民も元気になった。全部良くなった。なのに——夜になると怖い」


「何が怖い」


「また失うことが。目を離した隙に、また誰かがいなくなることが。父上がまた倒れることが。朝になって、全部夢だったとわかることが」


 ルティアの手が、剣の柄を握っていた。


「半年間、毎晩この道を歩いた。歩いている間は、集落を守っているという実感があった。剣を握っている間は、大丈夫だと思えた。でも今は——」


 声が、かすかに震えた。


「全部良くなったのに、剣を置けない。怖くて」


 俺は黙って聞いていた。


 下手なこと言いたくない。でも今回は、黙ってるのも違う気がした。


「ルティア」


「何だ」


「剣、貸して」


「……は?」


「いいから。貸して」


 ルティアは怪訝な顔をしたが、剣を俺に渡した。


 俺はその剣を受け取って、岩の下に置いた。手の届かない場所に。


「何をする」


「今夜は剣なしだ」


「おい——」


「大丈夫。俺がいるから」


 ルティアが固まった。


「お前がいるから、何だ」


「俺がいるから、今夜は剣がなくても大丈夫だ。誰かが来たら俺が壁を作る。封印術で止める。ルティアが剣を握らなくても、今夜は誰も失わない」


 ルティアは俺を見ていた。月明かりの中で、深紅の瞳が揺れていた。


「……お前に、何がわかる」


「わからない。でも隣にはいられる」


「…………」


「一人で見回りしなくていい。一人で怖がらなくていい。今夜は俺がいる」


 ルティアは黙った。


 長い沈黙だった。


 月が動いた。木の影が少し移った。


 ルティアの手が、膝の上で開いた。剣を握っていた手が、力を抜いた。


「……一晩だけだぞ」


「一晩でいい」


「明日からは自分で見回りをする」


「それはルティアが決めればいい」


「……ふん」


 ルティアは月を見た。


 しばらく二人で月を見ていた。何も言わなかった。


 静かだった。虫の声と、遠くで命の灯火が脈打つ音だけが聞こえていた。


「……カイン」


「ん」


「昨日のこと」


「どっちの」


「……全部」


「忘れろって言ってなかったか」


「言った。でも——」


 ルティアが少し俯いた。


「忘れないでほしい、のかもしれない」


 ……え。忘れろって言い続けてたのに。


「……ルティア、今——」


「何でもない。忘れろ」


「忘れないでほしいって言ったばかりだろ」


「うるさい。黙れ」


 ルティアが顔を背けた。耳が赤い。月明かりでもわかるくらいに。


 俺は少し笑った。


「忘れない」


「……」


「忘れないよ。雨宿りも、お母さんの話も、こけたことも。全部」


 ルティアは何も言わなかった。


 でも、背けていた顔が少しだけ戻った。横顔が見えた。


 口元が、ほんの少しだけ、緩んでいた。


―――――


 そのまま、二人で月を見ていた。


「……月が綺麗だな」ルティアが言った。


「ああ」


「この岩から見る月が好きだった。見回りの途中で、いつもここで少し休んだ」


「一人で?」


「一人で」


 ルティアは膝を抱えた。剣のない手が、所在なさそうに膝の上に置かれていた。


「……眠くないのか」俺が聞いた。


「眠くない」


「嘘だろ。半年間まともに寝てないんだろ」


「寝てないわけじゃない。少しは寝ている」


「少しって何時間だ」


「……二時間くらい」


「それは寝てないって言うんだよ」


「うるさい。私はこれで十分——」


 ルティアの言葉が、途中で止まった。


「ルティア?」


「……十分、だ」


 声が小さくなっていた。さっきまでとトーンが違う。


 しばらく黙って月を見ていた。


「……カイン」


「ん」


「お前は……いつまで、ここにいるんだ」


「明後日には帰る。でもまた来る」


「……そうか」


 返事が遅くなっていた。間が伸びていく。


「……また来るなら……いい」


「何がいい?」


 返事がなかった。


「ルティア?」


 横を見た。


 ルティアの目が、半分閉じかけていた。膝を抱えた姿勢のまま、頭がゆっくり傾いていた。


「おい、ルティア」


「……起きてる」


「起きてない。目が閉じかけてる」


「閉じて、ない……」


 頭がさらに傾いた。俺の肩の方に。


 ゆっくりと。


 何度か首が戻りかけた。ルティアが無意識に抵抗している。寝てたまるか、と身体が言っている。でも半年分の疲れには勝てない。


 戻って、傾いて、また戻って、また傾いて——


 ——ふ、と。


 ルティアの頭が、俺の肩に触れた。


 軽かった。思ったより、ずっと。


 黒い髪が、俺の首筋にかかった。


 寝息が聞こえた。静かな、穏やかな寝息。


 一瞬で落ちた。半年分の疲れが、全部来たんだろう。


 寝顔を見た。


 起きてるときの鋭さが全部消えていた。年相応の、ただの女の子の寝顔だった。眉間の皺がない。唇が少し開いている。


 半年間、まともに寝ていなかった子が、ようやく眠れたんだ。


 動けない。動いたら起きる。起こしちゃいけない。


 俺は肩を動かさないように、じっとしていた。


 月が傾いていく。夜が更けていく。


 肩が痺れてきた。でも動かない。


 ルティアの寝息が聞こえた。静かな、穏やかな寝息。


 こんな安心した顔で寝るのは、半年ぶりなのかもしれない。


 だったら、肩の一つくらい。


 朝まで、ここにいよう。

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