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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

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■ 第42話「雨宿り」

 トーラに来て一週間。


 ヴァルドは完全に復活して、毎朝訓練場で大剣を振っている。その姿を見た民の士気が爆上がりしていた。「族長が戻った」という事実の力は、命の灯火に匹敵するかもしれない。


 そろそろヴェルダークに帰る日を決めないといけない。でもまだ灯火の調整が残っている。あと二、三日はかかる。


 ……というのは表向きの理由で、実際は調整なんて半日で終わる。シアもわかってる。リーナもわかってる。レナなんか「カイン、帰りたくないんでしょ」とにやにやしていた。


 うるさい。


―――――


 午前中、灯火の微調整をしていたら、空が急に暗くなった。


「雨が来る」ルティアが空を見上げて言った。「この森の雨は急だ。すぐに戻れ」


 シアたちは集落の中にいた。俺とルティアだけが、集落から少し離れた場所で灯火の効果範囲を確認していた。


 走り出した瞬間、降ってきた。


 豪雨。一瞬で全身ずぶ濡れ。


「こっちだ!」


 ルティアが走った。速い。森の中を獣みたいに走る。俺も必死に追いかけた。枝が顔に当たる。足元がぬかるむ。


 ルティアが大きな木の根元に滑り込んだ。根が張り出して、天然のひさしみたいになっている。


 俺も飛び込んだ。


 狭い。


 二人分のスペースはあるが、ぎりぎり。肩が触れる距離。


「……狭いな」


「文句を言うな。雨宿りできるだけましだ」


 雨が激しく降っていた。木の葉を叩く音がすごい。根のひさしから一歩出たら即ずぶ濡れ。


 で、問題はルティアだった。


 走ったせいで息が上がっている。雨に濡れて、黒髪が顔に張り付いていた。薄い上衣が身体に貼りついて、そのなんというか——


 目を逸らした。


 逸らせ。逸らせ俺。今すぐ逸らせ。


「どうした」


「いや、何でもない」


「変な顔をするな」


「してない」


「してた。見た」


 ルティアが髪を手で搾った。水が滴った。首筋を雨粒が伝っていく。鎖骨のあたりまで流れて——


 ……俺は森の木を数え始めた。一本、二本、三本。うん。木はいい。木は安全だ。


「カイン」


「何」


「顔が赤い」


「走ったからだ」


「もう止まって五分は経つが」


「……暑いんだ。この森は湿度が高い」


 ルティアが怪訝な顔で俺を見た。完全に信じてなかった。


 頼むから気づくな。


―――――


 雨は止む気配がなかった。


 仕方なく、根元に背中を預けて座った。二人並んで。肩が触れてる。どうしようもない。狭いから。物理的にどうしようもない。


 ……肩、温かいな。いや、何考えてるんだ。


「ルティア」


「何だ」


「聞いていいか。お母さんのこと」


 ルティアの肩が、一瞬固くなった。触れてるからわかった。


「……なぜ聞く」


「ヴァルドさんの話は聞いた。でもお母さんの話は誰からも聞いてない。聞いちゃいけないなら聞かない」


 ルティアは雨を見ていた。しばらく無言。


「……死んだ」


「いつ」


「私が八つのとき」


「病気か」


「いや」


 声が低くなった。


「人間だ。王国軍の偵察隊が森に入ってきた。母は私を隠して、一人で偵察隊を引きつけた。追い払ったが、深手を負った」


「……」


「父は東の境界で戦っていた。戻ったときには手遅れだった。母は父の腕の中で死んだ。私はそれを、木の陰から見ていた」


 雨の音が、やけに大きく聞こえた。


「八歳の私には何もできなかった。隠れて、母が死ぬのを見ていることしか」


「ルティア——」


「だから強くなった。二度と、見ているだけにならないように。剣を握った。毎日振った。トーラで一番強くなった」


 ルティアは自分の手を見た。


「それでも父が倒れたとき、また何もできなかった。剣じゃ病気は斬れない」


 俺は黙って聞いていた。


 下手なこと言いたくない。「大変だったな」も「辛かったな」も全部軽い。


「……でも今回は違っただろ」


「何が」


「ヴァルドさんは生きてる。剣じゃ斬れなかったけど、リーナが治した。灯火が力を戻した。一人じゃ無理でも、みんなでやればなんとかなった」


「……そうだな」


「ルティアが半年間守ったから、みんなが間に合った。ルティアが崩れてたら、俺たちが来ても手遅れだったかもしれない」


 ルティアが俺を見た。近い。狭い場所に二人でいるから仕方ないんだけど、この距離は会話しづらい。


「……お前は」


「ん?」


「なんでそういうことを、さらっと言うんだ」


「さらっと? 普通のこと言っただけだけど」


「普通じゃない。私が半年間守ったからとか、そういうことを——」


 ルティアが言葉に詰まった。顔がほんのり赤い。雨で冷えてるはずなのに。


「……恥ずかしいことを言うな」


「恥ずかしいこと言ったか?」


「言った」


「どこが?」


「全部だ」


 ルティアは顔を背けた。反対側を向いた。


 肩はまだ触れていた。


 さっきより、ルティアの肩が少し温かくなってる気がした。雨で冷えてたのが戻ってきたんだろう。


―――――


 雨がようやく小降りになった。


 立ち上がろうとして、足がもつれた。ぬかるんだ地面に足を取られた。


 バランスを崩した。


 咄嗟にルティアの腕を掴んだ。


 ルティアも立ち上がりかけていた。二人同時にバランスを崩して——


 倒れた。


 俺が下で、ルティアが上だった。


 ルティアの顔が、目の前にあった。


 近い。近い近い近い。


 雨に濡れた黒髪が、俺の頬に触れていた。深紅の瞳が、至近距離で俺を見ていた。息が触れるくらいの距離。


 時間が止まった。


 二秒。三秒。たぶん五秒くらい。でも体感は五分くらいだった。


 ルティアが飛び退いた。


 一瞬で俺の上から離れて、三メートルくらい距離を取った。剣に手をかけていた。反射的に。


 顔が真っ赤だった。耳も。首まで。


「っ——何をしている!」


「こけただけだ! こけただけ!」


「ならさっさと立て!」


「立ってる! もう立ってる!」


 二人とも立っていた。三メートル離れて。雨の中。ずぶ濡れで。


 しばらく沈黙があった。


 雨の音だけが響いていた。


「……帰るぞ」ルティアが言った。


「ああ」


「走るぞ」


「ああ」


「ついてこい」


 ルティアは走り出した。速かった。さっきより速い気がした。逃げるみたいに走っていた。


 俺も走った。


―――――


 集落に戻ると、シアが宿舎の入り口に立っていた。


 ずぶ濡れの俺と、ずぶ濡れのルティアが並んで帰ってきたのを見て、シアの目が一瞬だけ細くなった。


「雨宿りしてたの」


「ああ。豪雨で動けなくて」


「二人で」


「二人で」


「……ふーん」


 シアの「ふーん」が怖かった。


 リーナが奥から出てきた。タオルを二枚持っていた。


「大変でしたね。はい、タオル」


「ありがとう、リーナ」


 ルティアにもタオルを渡した。ルティアは少し固まって、それからタオルを受け取った。


「……ありがとう」


「風邪ひかないように、早く着替えてくださいね」


「ああ」


 ルティアは早足で自分の部屋に向かった。振り返らなかった。


 レナが廊下から「おかえりー」と声をかけた。ルティアは無視して部屋に入った。扉がバタンと閉まった。


 レナが俺を見て、にやっと笑った。


「何かあった?」


「何もない」


「嘘」


「何もないって」


「カイン、顔赤いよ」


「走ったからだ」


「ルティアも赤かったけど」


「走ったからだろ」


「二人とも同じ言い訳するんだね」


 レナはけらけら笑った。


 シアが俺の横に来た。何も言わずに立っていた。でも存在感が重かった。


「シア?」


「別に」


「何か言いたそうだけど」


「別に何もない」


 シアは自分の部屋に戻っていった。足音がいつもより強かった。


 ……なんかまずいことになってる気がする。


 リーナだけが変わらずにこにこしていた。


「カインさん、お風呂沸いてますよ」


「ありがとう」


「ルティアさんにも伝えてきますね」


 リーナは嵐の後の太陽みたいだった。この子がいないとこの場は崩壊する。


―――――


 夜、一人で灯火を見ていた。


 雨が上がった空に、星が出ていた。


 ルティアの母のことを考えていた。八歳で母を失って、剣を握って、一番強くなって。それでも父が倒れたとき、何もできなかった。


 ルティアがどれだけ一人で戦ってきたか。


 足音がした。


 ルティアだった。


 着替えていた。いつもの鎧じゃなく、黒い上衣と長い袴。部屋着だろう。髪を下ろしていた。いつもは一つにまとめている髪が、背中に流れている。


「眠れないのか」


「……ああ。少し」


「そうか。私もだ」


 ルティアは灯火から少し離れた場所に立った。今日の雨宿りの距離感を思い出しているのか、微妙に俺から距離を取っていた。


「……昼間のことだが」


「ああ」


「忘れろ」


「どっち? お母さんの話? それとも——」


「全部だ」


「お母さんの話は忘れたくない。大事な話だった」


 ルティアが俺を見た。


「……大事な話、か」


「ルティアのことを、もっと知りたいと思った。それは忘れない」


 ルティアは黙った。


 灯火の光が、ルティアの髪を照らしていた。黒い髪に、白と紫の光が映っている。


「……もう一つの方は」


「もう一つ?」


「こけて……その……」


「ああ、あれは——」


「あれは事故だ。忘れろ。絶対に忘れろ」


「わかった」


「本当に忘れろ」


「忘れる」


「…………」


「…………」


「……本当に忘れるのか」


 その声が、ほんの少しだけ、寂しそうに聞こえた。


 ……え? 今の、忘れてほしいの? ほしくないの? どっち?


「……ルティア?」


「何でもない。おやすみ」


 ルティアは背を向けて、早足で歩いていった。


 髪が揺れていた。


 俺は一人で灯火の前に立っていた。


 「忘れてほしくない」か。


 ……難しい奴だな、ルティアは。

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