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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

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■ 第41話「族長の娘」

 三日後の朝、訓練場に行って目を疑った。


 巨大な男が剣を振っていた。


 上背は俺より頭二つ分は上。腕が丸太みたいに太い。背中の筋肉が鎧の下から盛り上がっている。漆黒の角が後方に反って、朝日を受けて光っていた。


 ヴァルドだった。


 三日前まで寝台で起き上がることすらできなかった男が、訓練場で大剣を振り回していた。


 俺が呆然としていると、ヴァルドがこちらに気づいた。大剣を肩に担いで歩いてきた。地面が揺れる気がした。


 俺の前に立った。見上げる形になった。


 ヴァルドが膝をついた。


「魔王様。トーラの族長、ヴァルド。命の灯火を賜り、娘を支えてくださり、この老体まで癒してくださった。この恩、一生忘れません」


「頭を上げてください。立ってるだけで首が痛いので」


 ヴァルドが顔を上げた。豪快に笑った。


「娘が『変な奴だ』と言っていた意味がわかった」


「お父さんもルティアと同じこと言うんですね」


「血は争えん」


 ヴァルドは立ち上がって自分の腕を見た。隆々とした筋肉が鎧の隙間から見えた。


「リーナ殿に回路を修復していただき、命の灯火の息吹で三日で立ち上がった。一週間かかると聞いていましたが、この通りです。半年前より——いや、十年前より調子がいい」


「命の灯火の効果は想定以上でした」


「想定以上どころではない。私が走り回っているのを見て、民が腰を抜かしていた」


 ヴァルドは豪快に笑った。それから、真剣な顔になった。


「カイン殿。一つ、頼みがある」


「何ですか」


「今日一日、娘を休ませてやってほしい」


「休ませる?」


「あの子は半年間、一日も休んでいない。族長代理として、毎朝素振りをして、民の相談を受けて、偵察を出して、食料の配分を決めて、夜は見回りをして。私が倒れてから一度も、あの子は自分のための時間を使っていない」


 ヴァルドの深紅の瞳が、穏やかだった。


「私が戻った。もう背負わなくていい。でもあの子は、言わなければ休まない。誰かが連れ出してやってくれ」


「俺が、ですか」


「あなたの言うことなら、あの子は聞く」


「聞きますかね」


「聞く。父親にはわかる」


―――――


 ルティアは訓練場にいた。当然のように素振りをしていた。


「ルティア」


「何だ」


「今日、集落の周りを案内してくれないか。森の中を見たい」


 ルティアの素振りが止まった。


「なぜ私が」


「トーラの森を一番知ってるのはルティアだろ」


「案内役なら他にもいる」


「ルティアがいい」


 ルティアが俺を見た。白銀の髪に木漏れ日が落ちている。少し怪訝な顔だった。


「……何を企んでいる」


「何も企んでない」


「嘘をつくな。お前は理由もなく人を誘ったりしない」


 鋭い。


「じゃあ正直に言う。ヴァルドさんに頼まれた。お前を一日休ませてやってくれって」


 ルティアの表情が、一瞬だけ揺れた。


「……父上が」


「半年間一日も休んでないだろうって」


「休む必要はない。族長代理として——」


「族長が戻った。もうお前は代理じゃない」


 ルティアが黙った。


 剣を握る手が、少し緩んだ。


「……一日だけだ」


「十分だ」


―――――


 二人で森に入った。


 シアが「私も行く」と言いかけたが、リーナがシアの袖を引いた。小声で何か言った。シアが少し不満そうな顔をしたが、黙って引き下がった。


 リーナ、ありがとう。


 森の中は静かだった。巨大な木々の間を、息吹の霧が漂っている。命の灯火ができてから、霧が濃くなっていた。紫がかった光が、木漏れ日に混じっている。


「綺麗だな」


「当然だ。トーラの森は魔族領で一番美しい」


「自信あるな」


「事実だ」


 ルティアは先を歩いていた。足取りが軽かった。訓練場にいるときの緊張感がない。森の中だと、少しだけ肩の力が抜けているように見えた。


「ルティアはこの森で育ったのか」


「ああ。生まれてからずっとここだ。この木も、この道も、全部覚えている」


 ルティアは大きな木の幹に手を触れた。


「この木は私が生まれた年に父上が植えた。私と一緒に育った」


「でかくなったな」


「私もだ」


「まあ、強くなったな」


「それだけか」


「他に何がある」


「……何もない。忘れろ」


 ルティアはさっさと歩き出した。耳が少し赤かったが、暗い森の中でよく見えなかったことにした。


―――――


 森の奥に、小さな泉があった。


 木々の隙間から光が差し込んで、水面がきらきら光っていた。息吹が水に溶けて、薄い紫の光を帯びている。


「ここは」


「私の場所だ」


 ルティアは泉のほとりに座った。鎧の留め具を外して、肩当てを取った。その下は薄い黒の上衣だった。首筋が見えた。


「子どもの頃から、ここに来ていた。誰にも教えていない場所だ」


「俺に教えていいのか」


「…………」


 ルティアは答えなかった。泉を見ていた。


 俺は隣に座った。少し距離を空けて。


 水の音だけが聞こえた。


「……父上が倒れた日」ルティアが口を開いた。「ここに来て泣いた。一度だけ」


「一度だけ?」


「一度だけだ。その後は泣かなかった。泣いている暇がなかった。翌日から族長代理になった」


 ルティアは水面を見ていた。


「毎朝、素振りをした。民の前に立った。偵察を出した。食料を分けた。子どもが減っていくのを数えた。戦士が弱っていくのを見た。何もできなかった。できることは剣を振ることと、顔を険しくすることだけだった」


 俺は黙って聞いていた。


「険しい顔をしていれば、民が不安にならないと思った。族長代理が弱い顔を見せたら、集落が崩れる。だから——」


 ルティアは自分の手を見た。


「ずっと、力を入れていた。剣の柄を握るみたいに。顔も、声も、全部」


「疲れただろ」


「……疲れた」


 小さな声だった。初めて聞く、力の抜けたルティアの声。


「もうすぐ半年だった。あと少しで限界だったと思う。民の前で崩れるか、ここで一人で壊れるか。そのどちらかだった」


「でも壊れなかった」


「お前が来たから」


 ルティアが俺を見た。


 深紅の瞳が、泉の光を映していた。


「灯火が来て、リーナが父を治して、お前が——」


 言葉が止まった。


「俺が?」


「……お前が、いた」


 小さかった。


「お前がいたから、崩れなかった。それだけだ」


 俺は何を言えばいいかわからなかった。


「ルティア」


「何だ」


「もう一人で背負わなくていい」


「知ってる。父上にも言われた」


「俺からも言う。もう一人で背負うな」


 ルティアは黙った。


 泉を見ていた。


「……お前に言われると」


「うん」


「……なんか、腹が立つ」


「え、なんで」


「わからない。腹が立つ」


 ルティアは立ち上がった。顔がほんのり赤かった。


「帰るぞ。長居しすぎた」


「まだ昼だぞ」


「昼でも帰る」


「せっかくの休みなのに」


「お前と二人でいると落ち着かない」


 言ってから、ルティアが固まった。


 自分が何を言ったか気づいた顔だった。


「……今のは」


「聞こえた」


「聞くな」


「聞こえたものは聞こえた」


「忘れろ」


「忘れられない」


 ルティアが俺を睨んだ。でも目が怒っていなかった。困っていた。自分の感情の扱い方がわからないという顔だった。


 シアと同じ顔だ、と思った。


「帰ろう」俺は立ち上がった。「帰り道、他に見せたい場所があったら寄っていいぞ」


「……ない」


「本当に?」


「…………ある」


「じゃあ寄ろう」


 ルティアは黙って歩き出した。


 少し歩いたところで、ルティアが振り返らずに言った。


「この泉のこと、誰にも言うなよ」


「言わない」


「絶対だ」


「絶対だ」


「……特にシアとリーナには」


「なんであの二人が名指しなんだ」


「うるさい。黙って歩け」


 ルティアはさっさと歩いていった。


 耳が赤かった。


 暗い森の中でも、はっきり見えるくらいに。

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