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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

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■ 第40話「目覚め」

■ 第40話「目覚め」


 その日の夜遅くだった。


 赤ちゃんの名前が「灯」に決まって、集落が温かい空気に包まれていた夜。


 産婆が宿舎に走ってきた。


「ルティア様! 族長が! 目を——」


 ルティアは走った。


 俺が今まで見た中で、一番速かった。木の上から降ってきたときより速かった。剣を鞘に収める動作すら省いて、片手に剣を持ったまま走った。


 俺たちも後を追った。


 部屋の前に着いたとき、ルティアはもう中にいた。


 扉が開いていた。


 中が見えた。


―――――


 ヴァルドが、目を開けていた。


 半年ぶりに。


 寝台の上で、ゆっくりと首を動かしていた。灰色だった顔色に、少しだけ血の色が戻っていた。目の焦点が、ぼんやりと部屋を泳いでいた。


 ルティアが寝台の横に膝をついていた。父親の手を、両手で握っていた。


「父上」


 ヴァルドの目が、ルティアに止まった。


 しばらく、焦点が合わなかった。


 ゆっくりと、瞼が何度か瞬いた。


「……ルティア」


 掠れた声だった。半年間使っていなかった喉から出た、かすかな声。


「はい」


「……大きく、なったな」


 ルティアの肩が、震えた。


「半年です。半年しか経っていません」


「そうか……半年か」


 ヴァルドの目が、部屋を見回した。窓から入る光を見た。


「……明るいな。息吹が、濃い」


「命の灯火です。魔王が、集落に灯してくれました」


「魔王……?」


「はい。人間の、魔王です」


 ヴァルドの目が少し動いた。理解が追いついていないようだった。半年間眠っていたのだから当然だ。


「……人間の、魔王」


「話すと長くなります。後で全部説明します。今は——」


 ルティアの声が、詰まった。


「今は、起きてくれたことが——」


 言葉が続かなかった。


 ヴァルドの手が、ゆっくりと動いた。痩せた指が、ルティアの頭に触れた。黒い髪の上に、大きな手のひらが乗った。


「……よく、守ったな。トーラを」


 その一言で、ルティアが崩れた。


 声は出さなかった。唇を噛んで、必死に堪えていた。でも肩が震えていた。目から涙が溢れていた。止められなかった。


 族長代理の顔が、消えていた。


 父親の前でだけ見せる、ただの娘の顔があった。


「ごめんなさい……父上が倒れてから、私、ずっと……」


「謝るな」ヴァルドの声は弱かったが、はっきりしていた。「お前は謝ることなど何もしていない」


「でも、子どもが減って……民が疲れて……私一人じゃ何もできなくて……」


「お前一人で、半年間守ったのだろう」


「守れてなんか——」


「守った」ヴァルドの手が、ルティアの頭を撫でた。弱い力だった。でも確かに、撫でていた。「お前は立派に守った。父として、誇りに思う」


 ルティアが声を上げて泣いた。


 半年間、一度も泣かなかった娘が。


 族長代理として、一人で集落を背負って、弱さを見せず、泣かなかった娘が。


 父親の手の下で、子どものように泣いていた。


―――――


 俺たちは廊下にいた。


 扉は閉めていた。


 中から泣き声が聞こえていた。


 リーナが目を拭いていた。レナも目元が赤かった。シアは無表情だったが、俺の袖を掴んでいた。力が強かった。


 しばらく、誰も何も言わなかった。


 泣き声が、少しずつ小さくなっていった。


―――――


 夕方、ルティアが部屋から出てきた。


 目は赤かった。でも顔は、トーラに来てから一番穏やかだった。


 俺たちが廊下に立っているのを見て、少し固まった。


「……いたのか」


「いた」


「どれくらい」


「最初から」


 ルティアの顔が、みるみる赤くなった。


「聞いてたのか」


「扉越しだから細かくは聞こえてないよ」


「嘘をつくな。泣き声が聞こえてただろう」


「まあ」


「……最悪だ」


 ルティアは顔を手で覆った。


 レナが小声で「かわいい」と言った。ルティアが「黙れ」と唸った。


 リーナがそっと近づいた。


「ヴァルド様、お元気そうでしたか?」


 ルティアは手を下ろした。リーナを見た。


「……元気とは言えない。まだ起き上がれない。でも意識がはっきりしてる。話ができる」


「それなら順調です。魔力が満ちていけば、少しずつ動けるようになります」


「どれくらいかかる」


「一週間もあれば、起き上がって歩けるようになると思います。命の灯火がありますから」


 ルティアはリーナを見た。


 三日間、毎日父親の治療をしてくれた人間の聖女。隈を作りながら、一日も休まずに。


「リーナ」


「はい」


「……父が、礼を言えと言っていた。自分の声ではまだうまく言えないから、娘に代わりに言えと」


「そんな、お礼なんて——」


「だから代わりに言う」


 ルティアは真っ直ぐリーナを見た。深紅の瞳が、真剣だった。


「ありがとう。父を返してくれて」


 リーナの目が潤んだ。


「……はい。よかったです。本当に」


―――――


 夜、広場の命の灯火の前にいると、ルティアが来た。


 隣に立った。


 腕は組んでいなかった。珍しく、両手が体の横に下がっていた。武装が解けた姿だった。


「カイン」


「ん」


「父が目を覚ました」


「ああ」


「灯火を作ってくれたから。リーナが治してくれたから」


「うん」


「私一人じゃ、どうにもできなかった」


 ルティアは灯火を見ていた。


「半年間、ずっと思っていた。私が強ければ。私がもっと力があれば。一人でなんとかできたはずだって」


「一人でなんとかする必要はないだろ」


「トーラは誇り高い一族だ。外に頼ることは——」


「誇りで民が救えるか」


 ルティアが俺を見た。


 怒るかと思った。でも怒らなかった。


「……救えない。わかってる。わかっていて、それでも頼れなかった。頼り方がわからなかった」


 その言葉が、誰かに似ていると思った。


 シアだ。「行き方がわからなかった」と言ったシアに。


「ルティア」


「何だ」


「頼っていいんだよ。誰かに。俺でもいいし、リーナでもいいし、レナでもいい」


「……慣れてない」


「慣れなくていい。頼りたいときに頼ればいい」


 ルティアは黙った。


 灯火の光が、ルティアの横顔を照らしていた。いつもの鋭い顔ではなかった。剣を下ろした、素の顔だった。


「……お前は、なぜそうなんだ」


「何が」


「誰にでも手を差し伸べる。困ってる奴がいたら助ける。裏がない。見返りもない。そんな奴、見たことがない」


「前も言ったろ。そういう奴だってだけだ」


「お前、自分のことまだ人間だと思ってるのか」


 俺は少し止まった。


「……どういう意味だ」


「角が生えている。息吹を恵みとして取り込んでいる。魔族の王として民を守っている。魔族のために灯火を作った。魔族の集落に住んで、魔族の子どもに慕われている」


 ルティアは俺を見た。


「見た目も、やることも、心も。全部魔族だ。お前はもう、人間じゃないだろう」


 俺は黙った。


 ルティアの言葉が、胸の中に落ちていった。


 人間か魔族か。ムルトゥスは「人間でも魔族でもない新しい何か」と言った。俺自身も、ずっとわからないまま過ごしてきた。


 でもルティアの言葉は違った。理屈じゃなく、目の前の事実を並べただけだ。お前がやってきたことを見ろ、と。


「……魔族、か」


「違うのか」


「わからない。ずっとわからなかった。でも」


 深い碧の瞳を閉じた。この瞳の色は人間のものか、魔族のものか。自分の角に触れた。根元が白くて、先が水色の、小さな角。


「お前にそう言われると、そうなのかもしれないな」


「かもしれない、じゃない。そうだ」


 ルティアの声に、迷いがなかった。


「少なくとも私はそう思う。お前は魔族だ。人間の体で生まれたかどうかなんて、関係ない」


 その言葉が、胸の一番深いところに落ちた。


 ムルトゥスの「新しい何か」より、グラザードの「規格外」より。


 ルティアの「お前は魔族だ」が、一番まっすぐだった。


 ずっと、どこかで怖かった。


 人間に捨てられた。糞尿をかぶせられて、仲間に裏切られて、息吹帯に放り込まれた。人間として生きてきた三十年が、あの日に全部否定された。


 魔族に拾われた。壁を作って、土地を取り戻して、魔王になった。みんなが「魔王様」と呼んでくれた。でも心のどこかで、ずっと思っていた。俺は本当にここにいていいのか。人間の体で生まれた俺が、魔族の王を名乗っていいのか。


 宝玉で角が生えた。でも角があるから魔族、というわけでもない。ムルトゥスは「新しい何か」と言った。優しい言葉だったけど、それは「魔族ではない」という意味でもあった。


 ルティアは違った。


 理論でもなく、優しさでもなく、ただ目の前の事実を見て言った。


 お前の角は魔族の角だ。お前の見た目はもう魔族のそれだ。お前のやってきたことは魔族のそれだ。お前の心は魔族のそれだ。だから魔族だ。生まれなんて関係ない。


 ——ああ、そうか。


 俺は、これが欲しかったのかもしれない。


 「新しい何か」でもなく、「人間でも魔族でもない存在」でもなく。ただ「お前は魔族だ」と、迷いなく言ってくれる誰かが。


 初めて会ったときに「気持ちが悪い」と言った奴が、今は「お前は魔族だ」と言っている。その変化の重さが、そのまま言葉の重さだった。


 目の奥が、少し熱くなった。泣きはしない。でも、近かった。


 俺は少し笑った。笑ったのは、泣きそうだったからだ。


 ルティアが俺をちらっと見た。


「笑うな」


「笑ってない」


「笑ってた」


「少しだけ」


「……ふん」


 ルティアは前を向いた。


 灯火の光の中で、深紅の瞳が少しだけ柔らかく見えた。


 少しだけ。


 でも確かに。

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