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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

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■ 第39話「産声」

 トーラに来て三日目の朝、騒ぎが起きた。


 夜明け前に叩き起こされた。宿舎の前にトーラの女性が立っていた。息を切らしていた。


「リーナ様! リーナ様はどこですか!」


 リーナが飛び起きて出てきた。髪がぼさぼさだった。


「どうしました?」


「妹が——妹の陣痛が始まって——」


 リーナの目が変わった。寝起きの顔が、一瞬で聖女の顔になった。


「案内してください」


 走り出した。俺も後を追った。


―――――


 家の中に入ると、若い女性が寝台で苦しんでいた。お腹が大きい。汗が額を伝っている。横にトーラの産婆がいたが、顔が青かった。


「逆子です」産婆が言った。「このままでは——」


「見せてください」


 リーナが寝台の横に座った。妊婦のお腹に手を当てた。淡い光が手のひらから滲んだ。


 目を閉じた。


「……赤ちゃんの位置がわかります。確かに逆子ですが、まだ回せます」


「回せる?」


「癒しの力で、赤ちゃんの身体をゆっくり回転させます。痛みはほとんどありません」


 産婆が目を見開いた。


「そんなことが——」


「できます。やらせてください」


 リーナの手が光った。妊婦のお腹の上を、ゆっくりと撫でるように動いていく。


 時間がかかった。五分。十分。妊婦の顔が少しずつ楽になっていった。


「回りました」リーナが言った。「大丈夫。正常な位置に戻ったはずです」


 産婆がお腹を触って確認した。


「本当だ……頭が下になってる」


 リーナは妊婦の手を握った。


「あとは赤ちゃんが自分で出てきます。大丈夫ですよ。元気な子です」


 妊婦が泣きそうな顔で笑った。


「ありがとう、ございます」


―――――


 産声が聞こえたのは、朝日が昇った頃だった。


 力強い声だった。


 家の外で待っていた俺とシアとレナに、その声が届いた。


 しばらくして、リーナが出てきた。汗だくだった。でも顔が笑っていた。


「女の子です。元気な子です」


 リーナの目が潤んでいた。


「泣き声が、すごく大きかった。産婆さんが言ってました。こんなに力強く泣く子は何年ぶりかって」


 俺はリーナを見た。


「お疲れ様」


「いえ、私は少し手伝っただけで。赤ちゃんとお母さんの力です」


 リーナはそう言って、少し照れたように笑った。


―――――


 赤ちゃんを見に行った。


 産婆に許可をもらって、そっと部屋に入った。


 母親が赤ちゃんを抱いていた。小さな命が、母親の腕の中で眠っていた。


 小さかった。でも、顔色が良かった。肌に血の色が通っている。


 そして——額に、小さな突起が二つあった。角の芽だ。生まれたばかりなのに、もう角が芽吹いている。


「角が、もう出てる」俺は小声で言った。


 産婆が頷いた。


「普通は角が見えるまで数ヶ月かかります。生まれた瞬間から芽が出ているのは、私の長い経験でも初めてです」


「命の灯火のおかげだ」シアが小声で言った。「母体に十分な息吹が供給されていたから、胎児の段階で角の形成が進んでいた」


 母親が俺を見た。


 白銀の髪に水色の角。母親が俺を見上げた。


「魔王様、ですか」


「はい」


「魔王様。あの光がなかったら、この子は——」


 母親の声が震えた。


「光が来る前は、お腹の中で赤ちゃんが動かない日がありました。不安で眠れない夜がありました。でもあの光が来てから、赤ちゃんが毎日動くようになって。蹴るのが強くなって。この子は大丈夫だって、思えるようになりました」


 赤ちゃんが小さな声を上げた。母親が優しく揺らした。


「ありがとうございます。この子の命を、ありがとうございます」


 俺は何も言えなかった。


 ただ、その小さな命を見ていた。


 これだ、と思った。


 壁を作ったのも、土地を取り戻したのも、命の灯火を灯したのも。全部、この瞬間のためだった。


―――――


 部屋を出ると、廊下にルティアが立っていた。


 壁に背を預けて、腕を組んでいた。いつもの姿勢だった。


 でも目が赤かった。


「ルティア」


「何だ」


「泣いたのか」


「泣いてない」


「目が赤い」


「朝が早かったからだ」


 俺はそれ以上聞かなかった。


 ルティアは腕を組んだまま、小さく言った。


「……産声が聞こえた」


「聞こえたな」


「あんなに力強く泣く子を、この集落で聞いたのは初めてだ」


「命の灯火のおかげだと思う」


「わかってる」


 ルティアは少し黙った。


「トーラで最後に子どもが生まれたのは、二年前だ。その子は生まれたとき泣かなかった。声が出なかった。息吹が足りなくて、身体が弱くて」


「……その子は」


「生きてる。でも他の子より小さくて、すぐ熱を出す。母親がずっと心配してる」


 ルティアの声は平坦だった。でも、その平坦さを保つのに力がいっているのがわかった。


「今日生まれた子は違った。泣き声が大きかった。角の芽がもう出ていた。顔色が良かった。強い子だった」


「ああ」


「……お前のおかげだ」


 小さかった。最後の一言だけ。


 俺は少し驚いた。ルティアから「おかげ」という言葉が出るとは思っていなかった。


「俺だけじゃない。リーナが逆子を直してくれた。シアが術式を設計してくれた。みんなの力だ」


「……そうか」


 ルティアは壁から背を離した。歩き出した。


 二歩目で立ち止まった。振り返らなかった。


「二年前に生まれた子——ナリアっていう。あの子も、命の灯火があれば強くなるか」


「なると思う。息吹が十分にあれば、身体が少しずつ強くなっていく。古傷が治った人もいただろう」


「昨日、十年間引きずっていた足が治った女がいた。走り回ってた」


「それと同じだ。ナリアも少しずつ強くなる」


 ルティアは黙った。


 それから、小さく頷いた。振り返らないまま。


「……わかった」


 歩いていった。


―――――


 午後、ヴァルドの治療の三日目だった。


 リーナが部屋から出てきたとき、顔が明るかった。


「回路の修復、ほぼ終わりました。あとは息吹が自然に満たしてくれれば、数日で意識がはっきりしてくるはずです」


 ルティアが立ち上がった。


「父が——目を覚ますのか」


「もう少し時間はかかります。でも、回路は修復できました。あとは命の灯火の息吹が魔力を満たしてくれるのを待つだけです」


 ルティアは部屋に入った。


 寝台のヴァルドの顔を見た。


 三日前より、顔色が良くなっていた。灰色だった肌に、少し血の色が戻っていた。呼吸も深くなっている。


 ルティアは寝台の横に座った。


 父親の手を取った。


 大きな手だった。かつてはトーラ最強の戦士だった男の手。今は痩せて、力がない。でも温かかった。


「父上」


 小さな声だった。


「もうすぐ目が覚めます。目が覚めたら、見せたいものがあります。広場に光の柱が立っています。子どもが走り回っています。今朝、赤ちゃんが生まれました。すごく元気な女の子です。泣き声が大きくて、集落中に聞こえました」


 ルティアの声が、震えた。


「父上が守ってきたトーラが、元気になっています。だから——早く起きてください」


 俺は廊下にいた。扉の隙間から、ルティアの背中が見えた。


 肩が震えていた。


 俺は扉を閉めた。静かに。


 シアが横に立っていた。何も言わなかった。


 リーナも立っていた。目が潤んでいた。


 三人で、廊下に立っていた。


 扉の向こうから、かすかに、嗚咽が聞こえた。


―――――


 夕方、ルティアが広場に来た。


 目は赤くなかった。完璧にいつもの顔に戻っていた。


 俺の前に立った。


「カイン」


 名前で呼ばれたのは、初めてだった。


「魔王」でも「人間」でも「お前」でもなく。


「ん」


「もう少しだけ、トーラにいてくれるか」


「もちろん」


「父が目を覚ますまで」


「いるよ。それくらい」


 ルティアは少し黙った。


「……それと」


「ん」


「『気持ちが悪い』は、撤回する。……正式に」


 俺は少し笑った。


「もう撤回してなかったか」


「あれは灯火の話だ。これはお前自身の話だ」


 ルティアは俺をちらっと見た。深紅の瞳が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「お前は——悪い奴じゃなかった」


 それだけ言って、歩いていった。


 シアが俺の横に来た。


「聞こえた」


「何が」


「名前で呼んだ」


「ああ」


「…………」


 シアは何も言わなかった。


 ただ、俺の袖をぎゅっと掴んでいた。


―――――


 その夜、赤ちゃんの名前が決まったという報告があった。


 母親が選んだ名前だった。


 (あかり)


 命の灯火の下で生まれた、最初の子ども。


 集落の民が広場に集まっていた。命の灯火の光の下で、赤ちゃんを囲んで。


 老人が泣いていた。若者が笑っていた。戦士たちが不器用に拍手していた。子どもたちが赤ちゃんの顔を覗き込んで「ちっちゃい!」と叫んでいた。


 ルティアは輪の外に立っていた。腕を組んで。いつもの姿勢で。


 でもその目が、赤ちゃんを見ていた。柔らかい目だった。族長代理の目じゃなく、ただの女の子の目だった。


 命の灯火が、静かに脈打っていた。


 心臓みたいに。集落の心臓。


 この光の下で、命が生まれた。強い命が。力強く泣く命が。


 これが、命の灯火の意味だ。


 壁でも、土地でも、戦いでもない。命を繋ぐこと。それが、俺がここにいる意味だった。

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