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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

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■ 第38話「灯火、南西に」

 翌朝、トーラの集落の広場に出た。


 広場、と呼ぶには寂しい場所だった。木々に囲まれた小さな空き地に、焚き火の跡が残っている。地面は踏み固められているが、草が疎らに生えていて、あまり人が集まる場所ではないことがわかった。


 それでも、民が集まっていた。


 百人ほど。全員がこちらを見ていた。警戒の目が多かった。敵意もあった。ヴェルダークに初めて来たときとは全然違う。あのときは「カイン様が連れてきた人間なら」という信頼があった。ここには何もない。


 ルティアが民の前に立った。


「魔王を名乗る人間が、灯火とやらを見せるそうだ。見届けろ」


 紹介が雑だった。


 俺は広場の中央に立った。


 シアが横に来た。小声で言った。


「敵意が強い。気をつけて」


「わかってる」


 リーナは少し離れた場所に立っていた。人間が二人いることで、民の緊張が高いのが伝わっていた。レナがリーナの横に立って、さりげなく守っていた。


―――――


 俺は地面に手をついた。


 術式を展開する。命の灯火の構造。放射型の紋様を、地面に刻んでいく。大地の奥から息吹を汲み上げる井戸の構造。自己強化型の循環。


 ヴェルダークで作ったときと同じだ。でも、ここは森の中だ。大地の息吹が森の根を通じて繋がっている。もしかしたら——


 紋様を広げた。


 息吹を引き込む。


 来た。


 ヴェルダークのときより、速い。森の大地は、百年間人間に荒らされていない。息吹が深い場所にたっぷり残っている。汲み上げるまでもなく、向こうから溢れてくる。


「……すごい」シアが呟いた。「息吹の反応が早い。この森の大地、かなり豊かだ」


 紋様が光り始めた。白と紫の光が地面を走る。


 民たちがざわめいた。


「何だあれは」

「光が——」

「地面から何かが——」


 光が収束した。


 広場の中央に、光の柱が立ち上がった。


 ヴェルダークのものより、少し大きかった。根元が太く、先端が細い。白と紫の光が心臓のように脈打っている。


 そして——息吹が溢れ出した。


 波のように広がった。光の柱を中心に、息吹が同心円状に広場を、集落を、森を満たしていく。


 空気が変わった。


 肌で感じるほど、息吹が濃くなった。木々の葉が揺れた。風もないのに。地面の草が、目に見える速さで伸びていった。


 民たちが動けなくなっていた。


 誰も声を出さなかった。


 老いた魔族の男が、両手を広げた。息吹を全身で浴びるように。目を閉じて、唇が震えていた。


 女が子どもを抱き上げた。子どもが笑った。「あったかい!」と叫んだ。


 若い男が自分の角に手を触れた。「角が……震えてる。取り込んでる。こんなに濃い息吹は初めてだ」


 静寂が、ざわめきに変わった。ざわめきが、歓声に変わった。


―――――


 ルティアは動かなかった。


 広場の端に立ったまま、光の柱を見ていた。


 深紅の瞳が、光を映していた。


 民が喜んでいる声が、周りから聞こえてくる。子どもが走り回っている。老人が泣いている。


 ルティアは微動だにしなかった。


 剣の柄を握る手だけが、白くなっていた。


 俺はルティアに近づいた。


「どうだ」


 ルティアは俺を見なかった。光の柱を見たまま。


「……これが、命の灯火か」


「そうだ」


「ヴェルダークにも、これがあるのか」


「ある。イルガにも作った」


 ルティアは黙った。


 長い沈黙だった。


「……民が笑ってる」


「そうだな」


「子どもが走ってる」


「元気だな」


「この集落で子どもが走り回るのを見たのは、いつぶりか覚えていない」


 ルティアの声が、少しだけ掠れた。


 俺は何も言わなかった。


 ルティアは光の柱を見続けた。


「……期待はしないと、言った」


「言ってたな」


「撤回する」


 それだけだった。


 顔は見せなかった。こちらを向かなかった。声は平坦に戻っていた。


 でも剣の柄を握る手が、まだ白かった。


―――――


 効果は、時間が経つほど明らかになっていった。


 昼前。広場の端で、老いた魔族の男が立ち上がった。杖をついていた男だった。腰が曲がって、ここ数年はまともに歩けなかったという。


 男は杖を置いた。


 一歩、二歩。ゆっくりと。


 三歩目で、杖なしで歩いた。


 四歩目で、背筋が伸びた。


 男は自分の身体を見下ろした。信じられないという顔だった。


「腰が……痛くない。何年ぶりだ」


 周りの民が駆け寄った。男は歩き続けた。歩幅が広くなっていった。やがて、走り出した。老人が走っていた。広場を横切って、木の下まで走って、息を切らして笑っていた。


「走れる! 走れるぞ!」


 ガラがいたら「老人が急に走るな」と怒っただろう。でもガラはここにいない。誰も止めなかった。


―――――


 同じ頃、集落の戦士たちに異変が起きていた。


 トーラの戦士は十五人ほどいた。全員が息吹不足で本来の力を出せずにいた。森の息吹だけでは、戦士が戦える魔力を維持できなかったのだ。


 命の灯火が灯ってから二時間。


 戦士の一人が訓練場で剣を振った。いつもと同じ素振りのつもりだった。


 剣圧で、前方の木が折れた。


 戦士は自分の剣を見た。


「何だ今の——こんな力、出したことがない」


 別の戦士が術式を展開した。普段は手のひら大の光しか出せない術式が、身体の周り全体を包むほどの光になった。


「魔力が……溢れてくる。角からどんどん取り込んでる。止まらない」


 戦士たちが顔を見合わせた。


 レナが横で見ていた。目を丸くしていた。


「これ、やばいね。全員が一気に強くなってる」


「息吹が十分に供給されれば、魔族の本来の力が戻る」シアが言った。「トーラの戦士たちは弱かったんじゃない。息吹が足りなくて、力を出せなかっただけだ」


―――――


 古傷が治り始めた者もいた。


 右足を引きずっていた女性が、昼過ぎには普通に歩いていた。「十年前の戦闘で折れた骨が、ずっとうずいてた。それが消えた」と言っていた。


 片目の視力が落ちていた老婆が、「遠くの木の葉が見える」と泣いていた。


 息吹が身体に満ちることで、長年かけて蓄積した損傷が、少しずつ修復されていく。リーナの癒しの力のような劇的な回復ではない。でも、息吹が自然に身体を癒していく。本来の魔族の身体は、そうやって自己修復するようにできていたのだ。息吹が足りなかっただけで。


―――――


 そしてルティア自身にも、変化があった。


 俺は見ていた。朝、広場でルティアが剣の柄を握っていたとき。あの手が白くなっていたのは、感情のせいだけじゃなかったのかもしれない。


 午後、ルティアが訓練場の端で剣を抜いた。


 素振りを一つ。


 空気が裂けた。


 文字通り、空気が裂けた。剣圧が地面の土を巻き上げて、五メートル先の木の幹に亀裂を入れた。素振り一つで。


 ルティアは自分の剣を見た。


 それから自分の手を見た。


 角に手を触れた。漆黒の角が、微かに光っていた。息吹を大量に取り込んでいるのだろう。


「……これが、本来の力か」


 小さな呟きだった。誰にも聞こえないほどの。


 でも俺には聞こえた。


 ルティアは強かった。昨日、レナですら反応できなかった速さで木から降ってきた。それは息吹が足りない状態での強さだった。


 命の灯火の下での、本来のルティアの強さ。それがどれほどのものか。


 レナが俺の隣に来た。小声で。


「カイン、あの子。本気出したら私より強いかも」


 レナが他人をそう評するのは、初めて聞いた。


―――――


 午後、ルティアが俺のところに来た。


 顔は完全にいつもの鋭い表情に戻っていた。朝の揺れは、跡形もなかった。


 でも目が、朝とは違った。昨日の敵意でも、朝の動揺でもない。何かを決めた目だった。


「一つ聞く」


「どうぞ」


「昨夜、父を診せてくれると言った。あの話、まだ有効か」


「もちろん」


「……頼む」


 最後の三文字が、小さかった。


―――――


 ヴァルドの部屋に案内された。


 族長は寝台に横たわっていた。


 大柄な男だった。ルティアの身長を超える体躯。腕が太く、かつては相当な戦士だったことがわかる。角は大きくて黒い。ルティアの角と似ている。親子だ。


 だが今は、顔色が灰色だった。頬がこけて、目の下が黒い。呼吸が浅かった。


 ルティアが寝台の横に立った。俺に向かって話しているが、目は父親を見ていた。


「半年前に倒れた。それからずっとこうだ。意識はあるが、起き上がれない。食事もほとんど取れない」


 リーナが寝台に近づいた。


「失礼します」


 リーナはヴァルドの手を取って、両手で包んだ。目を閉じた。


 淡い光が手のひらから滲んだ。


 しばらく黙っていた。


「……魔力回路の衰弱ですね」リーナが目を開けた。「回路自体は壊れていません。ただ、回路を動かすための魔力が枯渇している。長期間、息吹が足りない状態で魔力を使い続けた結果、回路が空回りしている状態です」


「治せるのか」ルティアが聞いた。声が少し速かった。


「回路の修復はできます。ヴェルダークの兵士さんの古傷を治したのと同じ原理です。ただ」


「ただ?」


「回路を修復しても、魔力の元になる息吹が足りなければ、また同じことになります。でも——」


 リーナは光の柱の方を見た。窓の向こうで、命の灯火が光っていた。


「今は、息吹がありますよね」


 俺は頷いた。


「命の灯火がある。息吹は十分だ。回路を修復してもらえれば、あとは息吹が自然に満たしてくれる」


 リーナはヴァルドに向き直った。


「時間がかかります。一日では終わりません。三日、できれば五日ください」


 ルティアが俺を見た。


 初めて、俺の目をまっすぐ見た。昨日の敵意ではなかった。怒りでもなかった。


 縋るような目、でもなかった。


 覚悟の目だった。


「……頼む」


「任せてくれ。リーナは腕がいい」


「人間の癒しが、魔族に効くのか」


「効く。リーナの力は種族を選ばない。それは俺が保証する」


 ルティアは少し黙った。


「……お前の保証を信じる理由がない」


「じゃあリーナを信じてくれ。リーナは嘘をつけない人間だから」


 リーナが少し驚いた顔をした。


 ルティアはリーナを見た。リーナはルティアを見た。


 しばらく見つめ合っていた。


「……わかった」ルティアは言った。「人間の聖女、父を頼む」


「はい」リーナは頷いた。「必ず」


―――――


 リーナの治療が始まった。


 ヴァルドの寝台の横に椅子を置いて、リーナが座った。両手をヴァルドの胸に当てて、ゆっくりと魔力回路をほぐしていく。


 時間がかかる作業だった。俺たちは部屋を出た。


 廊下で待っていると、ルティアが壁に背を預けて立っていた。腕を組んで。


 俺とシアが並んで立った。沈黙が続いた。


 ルティアが口を開いた。


「一つ聞く」


「どうぞ」


「お前は何者だ」


「カイン・アーヴェルだ。元人間の——」


「そういうことを聞いてるんじゃない」


 ルティアは俺を見た。


「なぜこんなことをする。トーラはヴェルダークの傘下に入ったわけじゃない。同盟すら結んでいない。なのに命の灯火を作って、父の治療までして。見返りは何だ」


「見返りはない」


「嘘をつくな」


「嘘じゃない」


「見返りなしに、ここまでする人間がいるわけがない」


 ルティアの声が、少し荒くなった。


「私は知っている。人間がどういう生き物か。百年間、我々の土地を奪い、草木を枯らし、墓を荒らしてきた。お前も人間だ。何を考えている」


 俺は少し考えた。


「ルティア、一つだけ言っていいか」


「何だ」


「俺も人間に裏切られた。仲間だと思っていた奴らに嵌められて、糞尿をかぶせられて、息吹帯に捨てられた。人間のひどさは、お前より知ってるかもしれない」


 ルティアが少し目を見開いた。


「でも魔族に拾われた。死にかけの俺を、種族が違うのに助けてくれた。あのとき、拾ってくれた兵士が言ったんだ。『死にかけを見捨てるのは、我らの流儀じゃない』って」


 あの声を、今でも覚えている。


「俺もそうありたいだけだ。困ってる奴がいたら、助ける。それだけだよ。見返りとか恩返しとか、そういう話じゃない」


 ルティアは黙った。


 長い沈黙だった。


「……困ってる奴がいたら助ける、か」


「そうだ」


「そんな人間、見たことがない」


「いるよ。ここに」


 ルティアは俺から目を逸らした。


 壁を見ていた。


「……変な奴だ」


「よく言われる」


「褒めてない」


「知ってる」


 ルティアは少し黙った。


 それから、ほんの少しだけ——本当にほんの少しだけ——口元が緩んだ。


 一瞬で戻った。鋭い顔に。


 でも俺は見た。シアも見た。


 シアが俺の袖をそっと引いた。小声で。


「……見た?」


「見た」


「…………」


 シアは何も言わなかった。ただ、袖を引く力が少し強くなった。


―――――


 夕方、リーナが部屋から出てきた。額に汗が浮いていた。


「今日の分は終わりました。回路の半分くらいまで修復できました」


「あと何日かかる」


「三日あれば」


 ルティアがリーナの前に立った。


「父は」


「眠っています。回路の修復中は身体に負担がかかるので、今夜はゆっくり休ませてあげてください」


 ルティアは頷いた。


 リーナに何か言おうとした。口が開いて、閉じた。また開いた。


「……ありがとう」


 小さな声だった。


 リーナはにっこり笑った。


「まだお礼は早いですよ。治ってからです」


「治るのか。本当に」


「本当に」


 ルティアはリーナを見た。敵意はなかった。疑いも、もうほとんどなかった。


「……お前、名前は」


「リーナです。リーナ・フォーレン」


「リーナ」ルティアは小さく繰り返した。「覚えた」


 リーナは少し嬉しそうに笑った。


―――――


 夜、宿舎の前で星を見ていた。


 森の木々の隙間から、星がちらちらと見えた。


 レナが横に来た。


「ルティア、変わってきたね」


「そうか?」


「朝は『気持ちが悪い』って言ってたのに、夕方には『ありがとう』って言ってた。一日でこれだけ変わる子、初めて見た」


「変わったんじゃなくて、元々ああいう子なんだと思う。硬い殻を被ってただけで」


「カインにしては鋭いこと言うね」


「にしては、は要らない」


 レナは笑った。


 シアが宿舎の入り口に立っていた。


「カイン」


「ん」


「明日も命の灯火の調整がある。早く寝ろ」


「はいはい」


「はいは一回」


「はい」


 シアは宿舎の中に戻っていった。


 レナが小声で言った。


「シアちゃん、ルティアのこと気にしてるよね」


「気にしてるか?」


「カインの隣に誰かが立つと、シアちゃんは必ず反応する。今日も広場でルティアがカインに近づいたとき、シアちゃんの足が半歩動いてた」


「……レナはなんでそんなことに気づくんだ」


「戦士だから。人の動きを見る癖がある」


 レナは星を見上げた。


「カイン、あんたモテるね」


「モテてない」


「モテてるよ。シアちゃんと、リーナと」


「二人だけじゃないか」


「二人もいれば十分モテてるよ」


 俺は何も言い返せなかった。


 星が、静かに光っていた。


 森の中で、命の灯火が脈打っていた。


 あと三日。ヴァルドの治療が終わるまで。


 この森で、もう少しだけ時間を過ごす。

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