■ 第36話「命の灯火」
答えは、意外なところから来た。
リーナだった。
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広場での演説から二日後の朝。リーナがガラの作業場から走ってきた。
「カインさん!」
息を切らしていた。手に薬草の束を持ったまま。
「どうした」
「ガラさんと話していて、気づいたことがあるんです」
リーナは俺の前に立って、早口で言った。
「妊婦さんの体調が悪いのも、子どもが生まれにくいのも、生まれた子が弱いのも、全部同じ原因じゃないですか」
「同じ原因?」
「息吹の濃さです。息吹が薄い場所で暮らしてきたから、母体に力が足りない。胎児にも息吹が届かない。生まれてきた子の角も小さくて、取り込む力が弱い。全部、息吹が足りないせいです」
俺は少し考えた。
「……そうかもしれない」
「息吹の核を広場に置いてから、集落の人たちは元気になりましたよね。テオも『力が強くなった』って言ってた。妊婦さんのつわりも軽くなった。つまり息吹の核が、もっと強力だったら——」
「妊婦が安定して産める。生まれてくる子も強くなる」
「そうです!」
リーナの草色の瞳が、きらきらしていた。
俺はリーナを見た。
聖女の癒しの力と、ガラの薬師の知識が合わさって、この答えに辿り着いた。俺一人じゃ絶対にたどり着けなかった。
「リーナ、天才だな」
「え、いえ、ガラさんが——」
「ガラさんも天才だ。二人とも天才だ」
リーナは真っ赤になった。
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すぐにシアとソルスを呼んだ。
訓練場に四人で集まった。
「今の息吹の核は、広場に一つ。効果は集落全体に及んでいるが、強さとしてはまだ足りない」
ソルスが眼鏡を押し上げた。
「魔王様、現在の息吹の核の出力を数値化すると、自然の息吹の約三倍の濃度を維持しています。これを何倍まで上げたいですか」
「妊婦が安定して産めて、生まれてくる子が強く育つ濃度。ムルトゥス様が言っていた『本来の魔族領の息吹の濃さ』に近づけたい」
「本来の濃度は、今の息吹の核の十倍以上です」シアが言った。「百年前、先代魔王がいた頃の魔族領は、今とは比べものにならないほど息吹が濃かったと記録にある」
「十倍か。宝玉の力を使えば——」
「理論上は可能だ」シアは頷いた。「でも今の息吹の核の構造をそのまま大きくしても、十倍にはならない。構造自体を変える必要がある」
ソルスが術式書を広げた。
「現在の息吹の核は、息吹を一点に集めて固定する構造です。これを放射型——中心から外側に向かって息吹を押し出す構造に変えれば、同じ魔力量でも効果範囲と濃度が大幅に上がります」
「さらに」俺は考えながら言った。「核の中に、俺の封印術を組み込む。息吹を固定するだけじゃなく、大地から息吹を引き上げる効果を持たせる。井戸みたいに。大地の奥から息吹を汲み上げ続ける息吹の核」
シアの目が光った。
「……それなら、息吹の核自体が息吹を生産し続ける。置いた場所の大地が豊かになればなるほど、息吹の核の出力も上がっていく。自己強化型だ」
「永続的に成長する息吹の核か」ソルスが呟いた。「すごい。これは既存の術式体系にはない概念です」
四人で顔を見合わせた。
「名前が要る」俺が言った。
「名前?」
「息吹の核より、もっと強いもの。集落の命を守る核。子どもが生まれて、育って、次の世代に繋がっていくための核」
シアが少し考えた。
「……命の灯火」
全員がシアを見た。
「息吹は大地の恵みだ。でもこの息吹の核が守るのは、命そのもの。母の身体と、生まれてくる子と、この先の世代。それは灯火だ。消えないように、ずっと灯し続ける光」
静寂。
「いいね」リーナが言った。「すごくいい」
「命の灯火か」ソルスが眼鏡を押し上げた。「学術的には自己強化型の放射する息吹の核とでも呼ぶべきですが、命の灯火の方が百倍いいですね」
「決まりだ」俺は言った。「命の灯火を作る」
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グラザードとムルトゥスに報告した。
ムルトゥスの目が大きく見開かれた。
「大地から息吹を汲み上げ続ける息吹の核……。そのようなものが作れるのか」
「宝玉の力と、全身取り込みの特性を使えば。俺にしかできない術式になりますが」
「カイン殿」ムルトゥスは杖を握る手に力を込めた。「それは——百年前の魔族領を取り戻すどころではない。百年前以上の豊かさを生み出す可能性がある」
「そこまでは保証できませんが、少なくとも妊婦が安定して産める環境は作れます。生まれてくる子どもも、十分な息吹の中で育てば、強く健康に生まれる」
ムルトゥスの目が潤んだ。
「子どもが……強く生まれる」
「はい」
「もう、弱い子が生まれて苦しむ母を見なくていいのか」
「そうなるように作ります」
ムルトゥスは深く頭を下げた。
グラザードが口を開いた。
「ヴェルダークだけじゃなく、イルガにも必要だな」
「そうです。それと、以前地図で確認した他の集落にも。トーラにも、まだ見つかっていない小さな集落にも。命の灯火を届けたい」
グラザードは腕を組んだ。
「全部の集落に、か」
「全部に。魔族が暮らす場所すべてに。これが俺の子どもの問題への答えだ」
「答え?」
「民は魔王の子を望んだ。強い子が欲しいから。でも俺一人の子で解決する問題じゃない。集落の子ども全員が強く生まれてくる環境を作る。そうすれば、魔王の血に頼らなくても、全員の子どもが強くなる」
グラザードは少し黙った。
それから、珍しく口元を緩めた。
「……魔王らしい答えだ。また」
「また、って何ですか」
「いつもそうだ。お前は個人の問題を、全体の解決に変える。壁もそうだった。息吹の核もそうだった。そして今回もだ」
俺は少し照れた。
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翌日から、命の灯火の制作に入った。
場所はヴェルダークの広場の中央。今ある息吹の核を、命の灯火に作り替える。
シアが術式の設計を担当した。ソルスが構造の計算を行った。リーナは妊婦や子どもの身体データをガラと一緒にまとめて、「この濃度なら安全」「これ以上は逆に強すぎる」という基準を作った。
全員で作る息吹の核だった。俺一人の力じゃない。
三日かかった。
三日間、広場で術式を展開し続けた。シアが横で指示を出し、ソルスが数値を確認し、リーナが俺の体調を見ていた。ガラが薬を用意していた。テオが水を運んできた。レナが見張りに立った。ミルが記録を取った。
四日目の朝。
命の灯火が、完成した。白と紫の光が、俺の水色の角に映り込んでいた。
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息吹の核とは、見た目からして違った。
前の息吹の核は、拳大の光る石だった。淡い白と紫の光を放っていた。
命の灯火は、地面から生えた光の柱だった。高さは大人の腰くらい。根元が太く、先端に向かって細くなっている。全体が白と紫の光で脈打っていて、その脈動がゆっくりと、心臓のように繰り返している。
そこから息吹が溢れ出していた。
前の息吹の核とは桁違いの量だった。光の柱を中心に、息吹が波のように広場全体に広がっていく。地面に触れた息吹が、草を揺らし、花を咲かせ、木々の葉を艶やかにしていく。
そして、それだけじゃなかった。
脈動のたびに、大地の奥から新しい息吹が汲み上げられているのがわかった。柱の根元が光るたびに、地面が微かに震えて、深い場所から温かいものが上がってくる。
自己強化型。大地が豊かになるほど、灯火も強くなる。灯火が強くなるほど、大地が豊かになる。永遠に続く循環。
民たちが広場に集まっていた。
光の柱を見ていた。
「温かい」誰かが言った。
「すごく温かい」
「前の息吹の核より、ずっと——」
妊婦の女性が、お腹に手を当てていた。リーナが横に寄り添っていた。
「どうですか」
「……赤ちゃんが、動いてる。いつもよりたくさん動いてる」
リーナが笑った。
ミレアの母親がいた。テオが教えてくれた、弟を亡くした女性。
その女性が、光の柱を見て泣いていた。
声を上げて泣いていた。
テオが走ってきた。
「カイン! なんかすごい! 身体がぽかぽかする! 角がびりびりする!」
「角がびりびりするのは、息吹をたくさん取り込んでるからだよ」
「すごい! 強くなった気がする!」
テオは広場をぐるぐる走り回った。
ムルトゥスが光の柱の前に立った。
老人は手を伸ばして、光に触れた。
目を閉じた。
「……これは」
掠れた声だった。
「百年前の……いや、百年前よりも濃い。この息吹は、先代魔王の時代よりも豊かだ」
ムルトゥスは目を開けた。涙が流れていた。川のときと同じだった。
「命の灯火、か。良い名だ。シアがつけたのか」
「はい」シアが少し照れたように言った。
「シアらしい名だ」
ムルトゥスはシアを見た。それからリーナを見た。ソルスを見た。全員を見た。
「みんなで作った灯火だ。カイン殿一人の力ではない。それが何より嬉しい」
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グラザードが来た。
「次はイルガだな」
「はい。それからトーラにも。他の集落にも、全部」
「時間がかかるぞ」
「かかっていい。急がなくていい。一つずつ、丁寧に」
グラザードは頷いた。
「全ての集落に命の灯火が灯ったとき——」グラザードは光の柱を見た。「魔族は、もう二度と子どもが減ることを怖がらなくていい」
「そうなるようにします」
「ああ」グラザードは静かに言った。「信じている」
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夜、広場で命の灯火を見ていた。
光の柱が、静かに脈打っている。心臓みたいに。集落の心臓だ。
シアが来た。
「カイン」
「ん」
「良い名前だったでしょ」
「すごく良かった。命の灯火」
「……ムルトゥス様が泣いてた」
「泣いてたな」
「私も、ちょっとだけ」
「知ってる。見てた」
「見るな」
俺は笑った。
シアが隣に座った。
「これで、子どもの問題は解決するかな」
「全部じゃないと思う。でも、一番大きな原因は取り除ける。息吹が濃ければ、母体が安定して、子どもが強く生まれる。魔王の血に頼らなくても」
「……でも」シアは少し間を置いた。「カインの子どもが見たくないわけじゃないよ」
俺は少し固まった。
「それは——」
「なんでもない。忘れろ」
「忘れられない」
「忘れろと言っている」
シアは立ち上がって、さっさと歩いていった。
耳が真っ赤だった。
俺は一人で光の柱を見ていた。
命の灯火。
この光が、全ての集落に届けばいい。
子どもたちが強く生まれて、安全に育って、笑って走り回れる世界になればいい。
そのために、まだやることがある。
でも今夜は、この光を見ていたかった。
温かかった。最初からずっと、温かかった。




