■ 第35話「王の言葉」
問題は、広がっていた。
子どもの話が出てから三日。集落の空気が変わっていた。
食堂に行くと、魔族たちがひそひそ話をしていた。俺が入ると静かになった。それが全部を物語っていた。
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グラザードが朝の軍議で切り出した。
「民の間で議論が起きている。魔王様の子の件だ」
将たちの顔が険しかった。
「二つの意見がある」グラザードは続けた。「一つは、魔王様に子を成していただくべきだという意見。種族の存続のために。もう一つは、魔王様の意志を尊重すべきだという意見」
「割合は」俺が聞いた。
「半々に近い。やや前者が多い」
半々。集落が二つに割れている。
俺が来てから、集落は一枚岩だった。壁を作ったとき、土地を取り戻したとき、みんなが同じ方向を向いていた。それが初めて、俺のことで割れている。
「厄介だな」シアが小さく言った。
「どちらの意見も理解できる」ムルトゥスが静かに言った。「百年間、子どもが減り続けてきた。強い子が欲しいのは当然のことだ。だが、強制は我々の流儀ではない」
俺は黙って聞いていた。
―――――
昼、広場を歩いていると空気でわかった。
俺を見る目が二種類あった。
一つは「魔王様、お願いします」という目。縋るような、切実な目。子どもが減っていく恐怖を抱えた親や祖父母の目だった。
もう一つは「魔王様の自由だ」という目。俺の意志を尊重してくれる、温かい目。でもその奥に、「本当にそれでいいのか」という不安が見えた。
どちらの目も、俺を責めていなかった。どちらも、善意だった。
だから余計に辛かった。
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午後、テオが走ってきた。
「カイン!」
「おう」
「あのさ、昨日、友達のミレアのお母さんが泣いてた」
「泣いてた?」
「ミレアの弟が病気で死んじゃったの。去年。それでお母さん、もう子どもを作れないかもしれないって。息吹が薄いせいで、身体が弱くなってるからって」
テオは俺を見上げた。まっすぐな目だった。
「カインが子どもを作ったら、その子は強いんでしょ?」
「……そう言われてるな」
「じゃあ作ればいいじゃん」
テオはあっけらかんと言った。
「ミレアのお母さん、喜ぶと思うよ。強い子がいれば、集落がもっと元気になるって」
俺はテオの頭を撫でた。
「テオ、ありがとう。でもそんなに簡単な話じゃないんだ」
「なんで?」
「好きな人との間にしか、子どもは作っちゃいけないから」
テオは首を傾げた。
「カイン、好きな人いないの?」
俺は少し固まった。
「……いる、のかもしれない」
「じゃあその人と作ればいいじゃん」
テオの論理は完璧だった。完璧すぎて何も言い返せなかった。
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夕方、ガラのところに行った。
リーナがいた。薬草を刻んでいた。ガラと並んで。
「ガラさん、集落の空気が」
「知ってる」ガラはすり鉢を動かしながら言った。「私のところにも来たよ。『ガラさんから魔王様に言ってくれ』って」
「何て答えたんですか」
「『私は薬師だ、仲人じゃない』って追い返した」
リーナがくすくす笑った。ガラが「笑うな」と言った。
「でもな」ガラは手を止めた。「民の気持ちはわかる。私は六十年、この集落にいる。子どもが減っていくのを、ずっと見てきた」
ガラは窓の外を見た。
「二十年前は、子どもが三十人いた。今は十人だ。テオの世代が最後かもしれないと、みんな思ってる」
三十人が十人。
「息吹の核を置いてから、少し変わった。子どもたちが元気になった。妊婦の体調も良くなった。でも、それだけじゃ足りない。強い血が必要だと、年寄りたちは思ってる」
ガラは俺を見た。
「お前さんを責めてるんじゃないよ。ただ、知っておいてほしかった」
「……知りました」
「リーナ」ガラはリーナを見た。「お前さんも、聞いておけ」
リーナは少し驚いた顔をした。
「この集落の現実だ。魔族の人口が減っている。息吹が薄くなって、子どもが生まれにくくなっている。癒しの力を持つお前さんなら、いずれこの問題にも関わることになる」
リーナは黙って頷いた。
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夜、シアが俺の部屋に来た。
今度はノックした。前のように扉の前で待ち伏せるんじゃなく、ちゃんとノックして「入っていい?」と聞いた。
少しだけ、変わっていた。
「集落の空気、見た?」
「見た」
「カイン、辛い?」
「辛いっていうか……困ってる」
シアは俺の向かいに座った。
「私は魔族だから、子どもを欲しがる気持ちはわかる。百年間、減り続けてきたから。強い子が生まれたら、みんな希望を持てる」
「わかってる」
「でも」シアは俺を見た。「強制されて作る子どもは、幸せじゃない」
その言葉が、静かに落ちた。
「私はムルトゥス様に引き取られた。両親を失って。ムルトゥス様は私を大切に育ててくれた。でも、私が予言の守り手として引き取られたのも事実だ。役割のために引き取られた子どもは、どこかでそれを感じる」
シアの声が、少しだけ低くなった。
「魔王の子だから大事にされる子と、ただの子どもとして愛される子は、違う」
俺はシアを見た。
この子は、自分の経験から言っている。
「カインが子どもを作るなら、その子は『魔王の子だから』じゃなく、『カインの子だから』愛されるべきだ」
「……シア」
「だから、自分で選べ。風習でも王命でも民の願いでもなく、カイン自身が決めろ。そうすれば、その子は幸せになれる」
シアは立ち上がった。
「それだけ言いに来た」
「シア」
「なに」
「……ありがとう」
シアは少し黙った。
「別に。補佐官の仕事だ」
扉を開けて、出ていこうとした。
「シア」
「まだあるの」
「お前が言ったこと、明日みんなの前で言っていいか」
シアは振り返った。少し驚いた顔をしていた。
「……好きにしろ」
扉が閉まった。
―――――
翌朝、俺はグラザードに頼んだ。
「民を集めてほしい。話がある」
グラザードは俺を見た。
「決まったか」
「決まった。俺の言葉で、ちゃんと話す」
グラザードは頷いた。
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広場に、集落の者たちが集まった。
ほぼ全員いた。兵士も、老人も、女たちも、子どもたちも。テオが最前列にいた。ガラが後ろの方で腕を組んでいた。ムルトゥスが杖をついて立っていた。
シアが俺の横に立った。リーナが少し離れたところにいた。レナとミルとソルスが後ろにいた。
俺は広場の中央に立った。白銀の髪が朝の光を受けて輝いていた。
全員の目が、俺を見ていた。
緊張した。壁を作ったときより、敵と戦ったときより、緊張していた。
深呼吸をした。
「みんなに、話したいことがあります」
広場が静まった。
「子どもの件で、集落の空気が変わったことは知っています。俺に子を成してほしいと思っている人たちがいることも。それは当然のことだと思います」
縋るような目が、あちこちにあった。
「百年間、子どもが減り続けてきた。息吹が薄くなって、強い子が生まれにくくなった。ミレアのお母さんが泣いていたと、テオが教えてくれました。弟を亡くして、もう子どもを産めないかもしれないと」
テオの友達の母親が、群衆の中で目を伏せた。
「その苦しみは、俺にはわからない。でも、わかりたいと思っています」
俺は全員を見渡した。
「正直に言います。俺は今、答えを出せません」
どよめきが起きた。小さなどよめき。
「俺は人間として生まれました。角が生えたのは宝玉のおかげで、俺の子どもがどんな姿で生まれるか、誰にもわかりません。ムルトゥス様は、息吹を恵みとする者同士の子なら息吹に焼かれることはないと断言してくれました。それは確かです。でも角があるか、全身取り込みか、どんな力を持つか。わからないことが多い」
民たちが聞いていた。真剣な顔で。
「でも、わからないから作らないんじゃありません」
俺は少し間を置いた。
「俺が今すぐ子どもを作らない理由は、一つだけです」
広場が静まった。
「子どもは、愛する人との間に作りたい。風習でも、王命でも、種族のためでもなく。俺自身が心から選んだ相手との間に」
静寂。
「魔族は仲間を大切にする種族だと、グラザードに教わりました。家族を大切にする種族だと。なら、家族の始まりも大切にさせてほしい。強い子を作るためじゃなく、愛する人との子どもを育てるために。それが俺のやり方です」
しばらく、誰も何も言わなかった。
最初に動いたのは、フォルクだった。初日に「うちの娘と」と言ってきた男だ。
フォルクは深く頭を下げた。
「……失礼しました、魔王様。急かしてしまった」
「急かしたんじゃない。心配してくれたんだろう。ありがとう」
フォルクが顔を上げた。目が潤んでいた。
ミレアの母親が、群衆の中から声を出した。
「魔王様。私は……急いでほしいと思っていました。でも今の言葉を聞いて、恥ずかしくなりました」
「恥ずかしくないですよ。子どもを思う気持ちは、恥ずかしいことじゃない」
母親は泣いていた。
ムルトゥスが杖をつきながら前に出た。
「民よ。魔王様の言葉を聞いたか」
老長老の声が、広場に響いた。
「我々は百年間、多くのものを失った。土地を、命を、子どもを。だからこそ、取り戻すときは正しく取り戻さねばならない。力で奪うのではなく、愛で育てる。それが我々の流儀だったはずだ」
民たちが静かに頷いた。
「魔王様は、我々にそれを思い出させてくれた。待とう。魔王様が心から選ぶその日まで」
ムルトゥスは俺を見た。金色の瞳が、温かかった。
グラザードが腕を組んだまま、小さく頷いた。
テオが叫んだ。
「カイン! 好きな人と子ども作ってね!」
広場が、笑いに包まれた。
俺も笑った。
シアが横で、真っ赤になっていた。リーナも少し赤かった。
レナが「テオ最高」と言っていた。
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夜、一人で壁を見ていた。
今日はうまくいったと思う。民の気持ちを否定せず、自分の気持ちも伝えられた。
でも問題は消えていない。
子どもが減っている。息吹の核で少しは改善されたが、根本的な解決にはなっていない。魔王の子に頼るのではなく、集落全体で子どもを増やせる環境を作る必要がある。
それは壁を広げることよりも、もしかしたら難しいかもしれない。
足音がした。
二つ。
シアとリーナだった。左右から来た。同時に。
三人で並んで、壁を見た。
「今日のカインさんの言葉、すごく良かったです」リーナが言った。
「そうか」
「あなたらしかった」
シアは何も言わなかった。ただ、俺の隣に立っていた。
しばらく三人で黙っていた。
「カイン」シアが口を開いた。
「ん」
「今日、『愛する人との間に』って言った」
「言った」
「……もう決まってるの。相手」
俺はシアを見た。シアは壁を見ていた。耳が赤かった。
リーナも俺を見ていた。草色の瞳が、静かに揺れていた。
「……まだ、決まってない」
正直に言った。
「でも」
二人を見た。
「大事な人は、ここにいる」
シアの耳がもっと赤くなった。リーナが少し笑って、目を伏せた。
三人で、壁を見た。
白と紫の光が、静かに輝いていた。
答えはまだ出ていない。
でも、この光の中にいる限り、急がなくていい気がした。




