表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第5章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/102

■ 第34話「魔王の務め」

 それは、朝食の席で始まった。


 食堂でパンを齧っていると、壮年の魔族の男が俺の前に座った。見覚えがある。東の砦にいた兵士の一人だ。


「魔王様、少しお時間をいただけますか」


「どうぞ」


 男は少し緊張した顔で、咳払いをした。


「実は、うちの娘のことなのですが」


「娘さんが何か」


「今年十八になります。器量よしで、術式の才もあります。魔王様が嫌でなければ、ぜひ——」


 男は俺の目を真っ直ぐ見た。


「——子を成していただけないでしょうか」


 パンが喉に詰まった。


「っ——げほっ」


 シアが横で薬草茶を噴いた。


 レナが「おっ」と言った。ミルが「えっ」と言った。ソルスが眼鏡を落とした。テオが「子を成すって何?」と聞いた。ガラがテオの耳を塞いだ。


 リーナは固まっていた。パンを持ったまま、彫像みたいに動かなかった。


「あの、えっと」俺は咳き込みながら言った。「突然すぎて」


「申し訳ありません。でも魔王様の力を持った子どもが生まれれば、この集落の未来が——」


「フォルク」


 ガラの声が飛んだ。鋭かった。


「朝飯の場でする話か。帰れ」


 フォルクと呼ばれた男は「し、失礼しました」と頭を下げて、足早に去っていった。


 食堂が静まった。


 俺はパンを置いた。食欲が消えていた。


―――――


 問題は、フォルクだけではなかったことだ。


 その日のうちに、三件の同じ申し出があった。


 二件目は広場で声をかけられた。五十代の女性で、「うちの孫娘を」と言った。


 三件目は夕方、訓練場の帰りに若い女性本人が直接来た。「魔王様、私でよければ」と顔を真っ赤にして言った。後ろで友人たちがきゃーきゃー言っていた。


 俺は全部断った。丁寧に。


 でも断るたびに、相手の顔に浮かぶのは怒りじゃなかった。落胆だった。本気で望んでいるのだ。


―――――


 夜、グラザードに聞いた。


「これは、何なんですか」


 グラザードは腕を組んだ。


「魔族の風習だ。強い力を持つ者の血を残す。百年間、魔族は人口が減り続けてきた。強い子どもが生まれにくくなった。息吹が薄くなったせいだ」


「それはわかります。でも俺は——」


「魔王だ。魔族の中で最も強い力を持つ者だ。お前の子どもが強い力を持つ可能性は高い。民がそれを望むのは、自然なことだ」


「自然って言われても」


「俺は民の気持ちを説明しただけだ。強制するつもりはない」


 グラザードは少し間を置いた。


「ただ、一つ言っておく。この風習を馬鹿にするな。民は必死だ。百年間、子どもが減り続けて、集落が縮んで、戦える者がいなくなって。お前の子が欲しいのは、下心じゃない。生存本能だ」


 俺は黙った。


 馬鹿になんてしていない。ただ、困っているだけだ。


「グラザード、俺は本当に魔族なんですか」


「角が生えている」


「でも人間として生まれた。宝玉で角が生えただけで、血が変わったかどうかわからない。俺の子どもが魔族として生まれるのか、人間として生まれるのか、誰にもわからない」


 グラザードは俺を見た。


「わからないことが怖いか」


「怖いです」俺は正直に言った。「もし俺の子どもが人間として生まれたら。息吹に焼かれる身体で生まれたら。魔族の集落で生きていけない子どもを作ることになる。それは——」


 言葉が詰まった。


「それは、無責任だと思う」


 グラザードはしばらく黙っていた。


「……そうか」


「すみません。せっかく民が望んでくれているのに」


「謝るな」グラザードは静かに言った。「お前が考えているのは正しいことだ。わからないまま子を作るのは無責任だと、お前は言った。それは魔族の王として、まっとうな判断だ」


 グラザードは立ち上がった。


「ムルトゥス殿に相談しろ。あの方なら、お前の身体のことを一番よく知っている」


―――――


 ムルトゥスの部屋を訪ねた。


 老長老は予言書を読んでいた。俺が入ると、金色の瞳が上がった。


「カイン殿。顔色が悪い」


「ちょっと、相談が」


 事情を話した。


 ムルトゥスは最後まで黙って聞いていた。


「なるほど」ムルトゥスは予言書を閉じた。「民の気持ちはわかる。だが、カイン殿の懸念ももっともだ」


「俺の子どもは、魔族として生まれますか」


「魔族として、かどうかはわからん」ムルトゥスは正直に言った。「前例がない。人間でありながら宝玉の力を受けて角を得た者は、歴史上あなたが初めてだ」


「じゃあ——」


「ただ」ムルトゥスは俺をまっすぐ見た。目の色が変わった。百年以上の知恵を込めた、確信の目だった。


「一つだけ、断言できることがある」


「断言?」


「カイン殿。あなたの身体は全身から息吹を取り込んでいる。角からも取り込んでいる。息吹はあなたの血にも骨にも溶け込んでいる。あなたにとって息吹は毒ではなく、恵みだ」


「はい」


「相手が魔族であれば、その者も息吹を恵みとして取り込む身体を持つ。息吹を恵みとしている者同士から生まれた子が、息吹を恵みとして取り込む体質で生まれることは——間違いない」


 ムルトゥスの声に、迷いはなかった。


「角が生えるか、全身から取り込むか、その形は私にもわからん。だが息吹に焼かれる子が生まれることは、絶対にない。それだけは断言する」


 俺は息を吐いた。知らないうちに止めていたらしい。


「……息吹に焼かれない。確実に」


「確実にだ。百年の研究と、この手であなたの身体を確かめた経験から言っている。息吹を恵みとする者の血は、息吹を拒絶しない。これは魔族の根本原理だ。例外はない」


 それだけで、胸の中の一番重い石が一つ落ちた。


 息吹に焼かれる子どもが生まれるかもしれない。それが一番怖かった。魔族の集落で生きていけない子を作ることが。


 でも、それはない。ムルトゥスが断言した。


「ただし」ムルトゥスは続けた。「人間の身体の特徴も受け継ぐ可能性はある。角がないかもしれない。全身取り込みかもしれない。あなたと同じ、人間でも魔族でもない——新しい存在になるかもしれない」


 新しい存在。


 俺と同じ。人間でも魔族でもない何か。


「ムルトゥス様、それは——良いことなんですか」


 ムルトゥスは少し考えた。


「悪いことだとは思わん。あなたは人間と魔族の橋渡しになると、予言が言っている。あなたの子どもが、その橋をもう一つ架けることになるかもしれない」


 俺はしばらく黙っていた。


「……今は、まだ答えを出せません」


「急ぐ必要はない」ムルトゥスは穏やかに言った。「カイン殿、あなたは若い。子どものことは、大事な人が見つかってから考えても遅くない」


 大事な人。


 シアの顔が浮かんだ。リーナの顔が浮かんだ。


 ムルトゥスは何も見逃さなかった。老人の目が、少しだけ笑った。


「もう見つかっておるようだがな」


「……いえ、その」


「私に隠しても無駄だぞ。百年以上生きた老人の目を甘く見るな」


 俺は何も言い返せなかった。


―――――


 宿舎に戻る途中、シアが廊下に立っていた。


 腕を組んで、壁に背を預けて。リーナのキスの件で問い詰めに来たときと同じ姿勢だった。


「シア」


「聞いた」


「何を」


「全部」


 シアの声は平坦だった。でも目が怒っていた。


「朝の食堂の件、午後の三件、全部聞いた」


「あれは俺が望んだことじゃ——」


「知ってる」シアは腕を解いた。「カインが断ったのも知ってる。全部断ったのも知ってる」


「じゃあ何で怒ってるんだ」


 シアは少し黙った。


「怒ってない」


「怒ってるだろ」


「……怒ってるかもしれない。でもカインに怒ってるんじゃない」


「じゃあ誰に」


「わからない」シアは俯いた。「ただ……子どもを作ってくれって言われたカインが、困った顔をしてたのが……なんか……」


 シアは言葉を探していた。


「むかつく」


「また、むかつく」


「むかつくものはむかつく」


 俺はシアを見た。シアは俯いたまま、装束の裾をぎゅっと握っていた。


「シア」


「なに」


「俺は断ったよ。全部」


「知ってる」


「これからも断る。少なくとも今は。自分が何者かもわからないのに、子どもなんて作れない」


 シアはゆっくり顔を上げた。


「……本当に?」


「本当に」


 シアは俺を見た。銀色の瞳が、まっすぐ俺を見ていた。


「じゃあ一つだけ聞く」


「何」


「もし子どもを作るとしたら。相手は自分で選ぶの」


 俺は少し考えた。


「当たり前だろ。風習だろうが王命だろうが、そういうことは自分で選ぶ」


 シアは少し黙った。


 それから、小さく——本当に小さく——頷いた。


「……そう」


「そうだよ」


「……わかった」


 シアは壁から背を離した。歩き出した。


 三歩進んで、立ち止まった。振り返らずに言った。


「カインが自分で選ぶなら、それでいい」


 その声が、少しだけ柔らかかった。


 シアは歩いていった。


 俺はその背中を見ていた。


 なんだろう。「それでいい」の言い方が、すごく大事なことを言われた気がした。


 でも何が大事なのか、まだわからなかった。


―――――


 リーナは翌朝、薬草茶を淹れてくれた。


「カインさん、昨日は大変だったみたいですね」


「聞いたのか」


「集落中の話題ですよ。『魔王様に子どもを作ってほしい』って」


「勘弁してくれ」


 リーナはくすくす笑った。


「でも気持ちはわかります。強い王様の子どもが欲しいっていうのは、追い詰められた種族としては自然な願いですよね」


「グラザードにも同じこと言われた」


「グラザードさんは正しいです。でもカインさんが断ったのも正しい」


 リーナは薬草茶を俺の前に置いた。


「カインさんは自分が何者かわからないって言ってましたよね。人間でも魔族でもない、新しい何かだって」


「うん」


「私はそれ、素敵だと思いますよ」


「素敵?」


「だって、誰にも決められないってことじゃないですか。人間の枠にも魔族の枠にも収まらない。だから自分で決められる。子どものことも、生き方のことも、全部」


 リーナはにっこり笑った。


「カインさんらしいです」


 俺は薬草茶を飲んだ。ガラの茶とは少し違う味だった。リーナが淹れると、苦みが少し柔らかくなる。


「リーナ」


「はい」


「ありがとう」


「何にですか」


「わからないけど、ありがとう」


 リーナは笑った。草色の瞳が、三日月みたいに細くなった。


「どういたしまして」


―――――


 午後、ガラのところに寄った。


「ガラさん、一つ聞いていいですか」


「なんだ」


「魔王の子を望む風習って、断り続けたら問題になりますか」


 ガラはすり鉢を動かしながら答えた。


「問題にはならん。強制じゃない。ただ」


「ただ」


「民が望んでいるのは事実だ。お前さんが一生独り身を通すなら、いずれ別の方法を考えなきゃいけなくなる」


「別の方法って」


「後継者を育てる、とかな。血が繋がらなくても、力を継げる者を見つける方法は他にもある。宝玉がそうだったろう」


 俺は少し考えた。


「焦らなくていい」ガラは言った。「でもいつかは向き合え。魔王ってのは、そういう仕事だ」


 ガラは振り返らなかった。


「それと」


「何ですか」


「相手を選ぶときは、ちゃんと選べよ。薬草茶が美味いと言ってくれる子がいい」


 俺は少し笑った。


「ガラさん、それリーナのことですか」


「私は何も言っとらん」


 ガラはすり鉢を動かし続けた。背中が少しだけ揺れていた。笑っているのかもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ