■ 第32話「先に動いたのは」
エレナとザックを送り出してから、数日が経っていた。
いつもの日常が戻っていた。訓練をして、壁を広げて、テオに遊ばされて、ガラに薬草茶を出されて。
その日の夕方、シアが俺の隣を歩いていた。
「カイン」
「ん」
「エレナとザックのこと、まだ考えてる?」
俺は少し考えた。
「もう考えてないよ」
「四人全員に決着つけたのに、カインは全然すっきりした顔してなかった」
「そうか?」
「そうだよ。あの日の夜、宿舎に戻ってから、ずっと天井見てたでしょ」
「……見てたのか」
「補佐官だから。見てる」
俺は少し笑った。
「復讐って、やっても何かが満たされるわけじゃないんだなって。それだけだよ。もう前を向いてる」
シアはしばらく俺を見ていた。
「……格好いいね」
「今何か言ったか」
「言ってない」
「言ってたぞ」
「言ってない」
シアはさっさと歩き出した。
―――――
夜、訓練の後片付けをしていると、シアが来た。
いつもより少し遅い時間だった。
「カイン、少しいい?」
「どうぞ」
シアは俺の隣に座った。息吹の核の光が、広場を静かに照らしていた。
しばらく二人で黙っていた。
シアが口を開いた。
「リーナがキスしたこと、まだ気になってる」
俺は少し固まった。
「あれは突然で——」
「わかってる」シアは言った。「突然だったのはわかってる。でも気になってる」
「なんで気になるんだ」
シアは俺を見た。
何か言おうとした。でも言葉が出てこないようだった。口を開いて、閉じた。また開いた。
「……わからない」
「わからないのか」
「わからない。でも、気になる」
俺はシアを見た。シアは膝の上で手をぎゅっと握っていた。
しばらく沈黙が続いた。
シアが急に立ち上がった。
俺の前に来た。背が小さいシアが、俺を見上げた。
「シア?」
シアは何も言わなかった。
背伸びした。
唇が、触れた。
一瞬だった。
シアが離れた。
真っ赤だった。顔も、耳も、首まで。
「……なんでもない」
シアは踵を返した。
「ちょっと待って——」
「おやすみ」
シアは早足で歩いていった。見る見るうちに小さくなって、宿舎の扉の中に消えた。
俺は一人で広場に残った。
しばらく、シアが消えた扉を見ていた。
胸の中に、じわりと温かいものが広がっていた。
なんだったんだ、今のは。
よくわからなかった。
でも悪くない感じがした。
それだけは、はっきりわかった。
―――――
翌朝、訓練場に行くと、シアがもういた。
いつも通りの白い装束、真白の髪。術式書を開いて、背筋を伸ばして立っていた。
俺が近づくと、シアはちらっと俺を見た。
即座に目を逸らした。耳が赤かった。
「おはよう、シア」
「……おはよう」
「昨夜のこと——」
「忘れろ」
「忘れられない」
シアは術式書を強く握った。
「忘れろと言っている」
「なんでキスしたんだ」
「……わからない」
「わからないのか」
「わからないと言っている」
シアはやっと俺を見た。顔がまだ赤かった。
「訓練するよ」
「うん」
「集中しろよ」
「……する」
シアは術式書を開き直した。
でもその口元が、ずっと緩んでいた。
俺はそれを見ながら、術式の準備を始めた。
なんでキスしたのかはわからなかった。
でも、また訓練場に二人でいる。
シアの口元がずっと緩んでいる。
なんか、大事なものに触れた気がした。




