■ 第27話「補佐官」
夜、宿舎に戻ったとき、シアが部屋の前に立っていた。
腕を組んで、壁に背を預けていた。
俺を見た瞬間、すっと目が細くなった。
「シア? どうした」
「入れ」
「え?」
「部屋に入れ」
有無を言わさなかった。怖い。
―――――
部屋に入ると、シアが扉を閉めた。
向き直って、俺を見た。
無表情だった。でも目の奥に何かが燻っていた。何をしたんだ俺は。
「何かあったか」
「ある」
「何が」
シアは少し黙った。
「リーナ・フォーレンに、キスされた」
「あれは突然だったから——」
「突然ならいいの」
「え?」
「突然ならいいのかって聞いてる」
俺はシアを見た。シアは俺を見ていた。
なんで怒られているのか、よくわからなかった。
「まあ……突然だったし、すぐ防護結界の話になったから」
「なったから、何」
「なんか問題あったか?」
シアの眉が、わずかに動いた。
「問題ある」
「どんな問題が」
「……」
シアは黙った。
俺も黙った。
沈黙が続いた。
「シア、俺何かまずいことしたか」
「まずいことはしてない」
「じゃあなんで——」
「まずいことはしてない」シアは繰り返した。「ただ、なんか、むかつく」
「なんで」
「わからない」
俺は完全に困惑した。
怒ってるのか。怒ってない? でもむかついてる? 何に? 俺に? なんで?
シアも困惑しているようだった。自分でも理由がわからなくて、でもむかついているという顔だった。なんだその顔。
「リーナと仲良さそうにしてるのも」シアは続けた。「なんか、むかつく」
「リーナは大変な過去があって——」
「知ってる」
「知ってて、それでも」
「むかつくものはむかつく」
シアは腕を組み直した。自分でも何を言っているかわからなくなってきているようだった。
「……もういい」
「もういいって」
「忘れろ」シアは顔を背けた。「ただ、一つだけ言う」
「何が」
シアは俺を見た。
「私が補佐官なの、忘れないでよね」
シアの銀色の瞳が、俺の碧い瞳を真っ直ぐ見ていた。
その言葉が、静かに落ちた。
怒りじゃなかった。
なんだろう。なんか違うものだった。胸のあたりに引っかかる何か。
「忘れてないよ」
「……わかればいい」
シアは扉に向かった。
「シア」
「なに」
「怒ってたのか」
シアは少し止まった。
「怒ってない」
「そうか」
「……怒ってない」
シアは出ていった。
俺は部屋に一人残った。
……なんだったんだ今の。
怒ってたのか怒ってなかったのか。むかついてるのかむかついてないのか。全部わからない。
でも「補佐官」って言い方だけが、なんか引っかかった。
あれは普通の「補佐官」じゃなかった気がする。もっと別の何かを言いたかったような。
……わからん。
―――――
翌朝の訓練場。
シアはいつも通りだった。完全にいつも通り。昨夜のことなど何もなかったような顔。
切り替え速すぎないか。俺まだ引きずってるのに。
訓練が一段落したとき、シアが地面に座ってレナと話していた。
レナが俺に気づいてにやっとした。
「魔王様、昨夜シアちゃんに怒られたって本当?」
「怒られたのかどうかもよくわからなかった」
「ははは」レナが笑った。「わからないんだ」
「シアはわかるのか」
「女の子はみんなわかるよ」
シアがレナを一瞥した。
「余計なことを言うな」
「はいはい」
レナはけらけら笑いながら立ち上がって行った。
シアは前を向いた。
俺はシアの隣に座った。
「シア」
「なに」
「昨夜はごめん。何に怒らせたかわからないけど、なんかごめん」
シアは少し黙った。
「怒ってない」
「そうか」
「……謝られると、なんか変な気分になる」
「どんな気分」
「……わからない」シアは膝の上に手を置いた。「カインはほんと鈍い」
「よく言われる」
「自覚あるなら直せ」
「何を直せばいいかわからない」
シアはため息をついた。
でもその口元が、ほんの少し緩んでいた。
―――――
昼過ぎ、シアと二人で地図を確認していた。
ソルスが壁の術式データを持ってきて、三人で確認する予定だったが、ソルスが来る前の少しの時間だった。
「ねえ、カイン」
「ん」
「昨日の決闘、他の人の魔力回路も全部奪えばよかったんじゃないの」
俺は地図から目を上げた。
「ダイゴとザックも、ってこと?」
「そう。抵抗してきたわけでもないのに見逃した」
「あいつらは戦ってこなかったから」
「でも向こうが攻めてきたらどうするの」
「攻めてきたらする」俺は言った。「抵抗してきたら全員の魔力回路を封じる。でも向こうから手を出さないなら、こちらからもしない」
シアは少し考えた。
「……それがカインのやり方なの」
「そうだよ。魔族は争いたいわけじゃないだろ。俺も同じだ」
シアはしばらく黙って地図を見ていた。
「……まあ、いいけど」
「よくない?」
「いい、って言った」シアはちらっと俺を見た。「でも向こうが来たら容赦しなくていいよ」
「わかってる」
「ダイゴはまた来る気がする。剣士としてのプライドがあるから、このままじゃ終われない」
「そうだな」
「そのときは封じていい。剣を振る力ごと」
シアの声が、静かだった。感情的じゃなかった。ただ、真剣だった。
「カインを傷つけようとするなら、容赦しなくていい」
俺はシアを見た。
シアは地図を見ていた。白い横顔が、真剣だった。
「……ありがとう」
「補佐官の仕事だ」
シアはそう言って、また地図を指差した。
「次はここの壁を広げる予定だったよね。ソルスが来たら確認しよう」
普通の口調だった。
でもその「補佐官の仕事だ」が、昨夜の「私が補佐官なの、忘れないでよね」
シアの銀色の瞳が、俺の碧い瞳を真っ直ぐ見ていた。と繋がった気がした。
同じ言葉なのに、違う意味に聞こえる。なんだそれ。暗号か。
―――――
夕方、リーナが俺に声をかけてきた。
「カインさん、シアさんと何かあったんですか」
「なんで」
「なんとなく、今日シアさんの様子が」
「普通だったろ」
「普通なんですけど、なんか、いつもと違う普通というか」
リーナは難しい顔をした。
「……私のせいですか」
「違うと思う」
「本当に?」
「たぶん」
リーナはしばらく黙っていた。
「カインさんって、本当に鈍いですね」
「シアにも言われた」
「二人から言われてるなら本当に鈍いんですよ」
リーナは苦笑した。草色の瞳が、少し困ったように笑っていた。
「私も人のことは言えないですけど」
「リーナも鈍いのか」
「違います。鈍くないから余計につらいんです」
俺にはその意味がよくわからなかった。
……鈍くないから余計につらい? どういうこと?
リーナはため息をついて、「おやすみなさい」と言って部屋に戻っていった。
俺は一人で夜空を見上げた。
今日一日を振り返った。シアにむかつかれて、レナに笑われて、シアに鈍いと言われて、リーナにも鈍いと言われた。
全員から何かを言われた気がするけど、何を言われたのか一つもわかってない。
……これが鈍いってことか。




