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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第4章

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■ 第25話「リーナの朝」

 朝、目が覚めた瞬間、リーナは天井を見た。


 石造りの天井だった。


 夢じゃなかった。


 ゆっくり起き上がって、部屋を見渡した。昨日、集落の人たちが作ってくれたベッド。机と椅子。窓際に飾られた花。テオが選んだらしい紫と白の小さな花だった。


 リーナは膝を抱えて、しばらくそのままでいた。


 安全だ、と思った。


 誰かに傷つけられる心配がない。夜中に起こされる心配がない。「治せ」と叩き起こされる心配がない。ただ、静かに朝を迎えられる。


 それだけのことが、こんなに特別に感じるのは——たぶん、今まで一度もなかったからだ。


 扉がノックされた。


「リーナさん! 起きてる? 朝ごはん食べに行こう!」


 テオだった。


 リーナは思わず笑った。


「起きてるよ。今行く」


―――――


 ガラの作業場の隣に、集落の食堂があった。


 朝から魔族たちが集まって、賑やかだった。リーナが入ると、何人かがちらっと見た。でも昨日と空気が違った。女の子の膝を治したことが広まったのだろう。「あの人間は癒しの力を持っている」「しかも優しい」と。


 テオが俺の隣の席を指差した。


「リーナさんここ!」


 俺はもうそこにいた。シアも向かいの席に座っていた。術式書を読みながら、薬草茶を飲んでいた。


「おはようございます」


「おはよう。眠れたか」


「すごくよく眠れました。ベッドが温かくて」


 シアがちらっとリーナを見た。リーナもシアを見た。


「シアさん、おはようございます」


「……おはよう」


 シアは術式書に目を戻した。


 短いやり取りだった。でもリーナは気づいていた。シアの「おはよう」が昨日の「話は後にしろ」とは、まるで違う声だったことに。


 ガラが湯気の立つ椀を置いていった。


「薬草茶だ。身体に良い」


 リーナは一口飲んだ。ほんのり甘くて、草の香りがした。


「美味しい」


 ガラが少し固まった。


「……そうか」


 ぶっきらぼうに言って、さっさと戻っていった。でもその背中が、心なしか嬉しそうだった。


「ガラさん、照れてる」テオが小声で言った。


「そうなの?」


「ガラばあちゃんの薬草茶、美味しいって言う人あんまりいないから。みんな苦いって言って」


 リーナはまた一口飲んだ。確かに苦みもある。でも、嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。教会で飲まされた薬は、ただ苦いだけだった。でもこの茶には、苦さの奥に優しさがある。作った人の気持ちが入っている味だった。


「私は好きだな」


 テオが「俺も!」と言った。カインが「俺は苦手だ」と言った。


 シアが術式書の向こうから「私も苦手」と小さく言った。


 四人で笑った。シアが笑ったのは一瞬だったけど、確かに口元が緩んでいた。


―――――


 昼前、集落の広場を歩いていると、声をかけられた。


 壮年の魔族の男だった。鎧に古い傷の痕がいくつもある。左腕の動きが少し悪そうだった。


「あの、リーナ様とおっしゃる方ですか」


「はい」


「癒しの力をお持ちだと聞いて。無理を承知でお願いがあるんですが」


 男は左腕を見せた。


「三年前の戦闘で負った傷です。骨がうまく繋がらなくて、それからずっと腕が上がらない。魔族の医者にも診てもらいましたが、もう治らないだろうと」


 リーナは腕を見た。


 その瞬間、身体が強張った。


 手が震えた。心臓が速くなった。


 癒しの力を使う。それはずっと、怖いことだった。


 引き取り先の家では、力を使うたびに傷つけられた。教会では、治すたびに「もっと」「早く」「次」と言われた。癒す、という行為そのものが、恐怖と結びついていた。


 でも。


 男の目を見た。


 恐れではなかった。命令でもなかった。ただ、縋るような目だった。三年間、腕が上がらないまま生きてきた者の目だった。


 リーナは深呼吸をした。


「……座ってください」


 男が腰を下ろした。リーナはしゃがんで、男の左腕に両手を添えた。


 目を閉じた。


 力を流していく。骨の歪みを感じた。折れた骨が、ずれたまま繋がっている。筋が硬くなって、関節を圧迫していた。これでは動かないはずだ。


 少しずつ、ほぐしていく。骨の位置を正しい場所に戻す。筋を緩める。血の流れを促す。


 時間がかかった。額に汗が浮いた。


 でも確かに、変わっていった。


「……っ」


 男が声を上げた。


「腕が、動く」


 男はゆっくりと左腕を上げた。肩の高さまで。それ以上。頭の上まで上がった。


 三年間、上がらなかった腕が。


「動く……動くぞ……!」


 男の目から、涙が溢れた。


 周りで見ていた魔族たちがどよめいた。


 リーナは手を離した。


 自分の手を見た。


 震えていた。


 でも、前とは違う震えだった。怖くて震えているんじゃない。


 男が深く頭を下げた。声が震えていた。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


 リーナは答えられなかった。


 喉が詰まっていた。


 今まで、誰かに心から「ありがとう」と言われたことが、何回あっただろう。引き取り先ではゼロだった。教会でも、ほとんどなかった。治すのが当たり前だったから。


「ありがとう」という言葉が、こんなに温かいとは知らなかった。


 リーナは泣いていた。


 男が慌てた。


「す、すみません、痛かったですか?」


「違います」リーナは首を振った。「嬉しくて……嬉しくて、泣いてるんです」


―――――


 その日の午後、もう一人来た。


 若い魔族の女性だった。妊娠しているらしく、お腹が大きかった。


「つわりがひどくて……薬も効かなくて……赤ちゃんに影響がないか心配で」


 リーナは女性のお腹に手を当てた。


「赤ちゃんは元気ですよ。心臓が動いているのがわかります」


「本当ですか!」


「本当です。つわりは辛いですよね。少し楽にしますね」


 淡い光が手のひらから滲んだ。女性の顔色が少しずつ良くなっていった。


「……楽になった。すごく楽になった」


 女性は涙ぐんだ。


「あの、リーナ様。赤ちゃんが生まれたら、見に来てくれますか」


 リーナは少し驚いた。


「もちろん。喜んで」


 女性が帰った後、リーナはしばらくその場に立っていた。


 赤ちゃんが生まれたら見に来てくれますか。


 それは、また会いたいという意味だ。ここにいてほしいという意味だ。


 教会では、治療が終わったら「もう帰っていいよ」だった。


 リーナは空を見た。青かった。


―――――


 夕方、レナとミルに捕まった。


 二人がリーナの部屋に押しかけてきた。


「女子トークしようよ!」ミルが言った。


「え?」


「私たち女子少ないから! シアちゃんは誘ったけど『用がある』って断られた!」


「いつも通りだね」レナが笑った。


 三人で床に座った。ガラが差し入れてくれた薬草茶があった。


「リーナさん、教会ってどんなとこだったの?」レナが聞いた。


「……修行と祈りばかりの場所でした。友達は、いませんでした」


「え! 友達いなかったの!?」ミルが驚いた。


「私の力を知ると、みんな距離を置くんです。壊れ物を扱うみたいに。それか、利用しようとするか」


 レナが黙った。ミルも黙った。


「……だからこうやって、女の子同士で話すの、初めてかもしれません」


 ミルの目がうるうるした。


「リーナさん……! 私たち友達になろう! 今日から! 決定!」


「え、そんな急に——」


「急じゃない! もう友達!」


 レナが笑った。「ミルのこういうとこ、嫌いじゃないよ」


 リーナは少し呆然として、それから笑った。ふわりとした、いつもの笑顔だった。


「……ありがとう。嬉しいです」


「よし! じゃあ友達として聞く!」ミルが身を乗り出した。「カインさんのこと、好きですよね?」


 リーナが固まった。


「え、な、なんで——」


「顔を見ればわかります!」


「そんな……」


「カインさんを見るときと、他の人を見るときで目が全然違う。目がきらきらしてる」


 リーナは膝を抱えた。


「……昔から、好きだったんです。パーティーにいたころから」


「やっぱり!」


「カインさんだけが、私を人間として扱ってくれたから。それだけで、好きになってしまって」


 レナが静かに言った。


「カインは鈍いよ。本当に。全然気づかないから」


「知ってます」リーナは苦笑した。


「でも……シアさんもいるし」


 レナとミルが顔を見合わせた。


「シアちゃんのことは……まあ」レナが少し考えた。「シアちゃんはシアちゃんで、カインに対して特別な感情があるのは見てたらわかる。でもシアちゃんは自分の気持ちにまだ名前をつけられてない感じがする」


「私はもうつけちゃってるんです」リーナは小さく笑った。「ずっと前に」


「じゃあどうするの?」ミルが聞いた。


「何もしません。……いえ、嘘です。あの、実は昨日——壁の前で——キスしてしまって」


 レナとミルが同時に固まった。


「キス!?」

「キスしたの!?」


「感情が溢れてしまって……二千人の前で……」


「二千人!!」


「二千人の前で!!」


 レナが腹を抱えて笑い始めた。ミルが「すごい! すごすぎる!」と叫んでいた。


 リーナは真っ赤になりながら両手で顔を覆った。


「シアさんも見てて……すごく申し訳なくて……」


 レナが笑いを収めて言った。


「シアちゃんの気持ちもわかるけど、リーナの気持ちもわかるよ。死んだと思ってた人が生きてたら、そうなるよ」


「シアさんにも同じこと言われました」


「シアちゃんが?」レナが驚いた。「シアちゃんが『気持ちはわかる』って言ったの?」


「はい」


 レナはしばらく黙って、それから言った。


「シアちゃん、変わったな。前のシアちゃんなら、そんなこと絶対言わなかった」


「カインさんの影響ですか?」


「たぶんね」


 三人で静かになった。薬草茶の湯気が立ち上っていた。


「リーナさん」ミルが言った。「私は応援するよ。リーナさんもシアちゃんも、二人とも幸せになってほしい」


「二人とも?」


「だってカインさん、両方のこと大事にしてるのは見てたらわかるから。どっちかだけが幸せになるのは違う気がする」


 レナが頷いた。「ミルにしてはいいこと言うね」


「にしては、はいらない!」


 三人でまた笑った。


―――――


 夜、廊下でカインとすれ違った。


「リーナ、フォルクさんの腕、治したんだって? 妊婦さんも診たって聞いたぞ」


「はい」


「集落で話題になってるよ。すごいって。ありがたいって」


 リーナは少し俯いた。


「カインさん、私、今日初めて気づいたことがあります」


「何が」


「癒しの力を使って、感謝されたのが、今日が初めてだったかもしれないんです。本当の意味で。ありがとうと言ってもらえて、また来てほしいと言ってもらえて、友達になろうと言ってもらえて」


 リーナは手を見た。


「この力って、誰かを幸せにするためにあったんだって。やっとわかった気がします」


「そうだよ」カインは言った。「その力は、そのためにあったんだと思う」


 リーナはカインを見た。白銀の髪の間から、根元が白くて先が水色の角がわずかに見えた。


「カインさん」


「ん」


「ここに、いていいですか。もう少しだけ」


「もう少しだけじゃなくていい。ずっといろ」


 リーナは少し黙った。


 それから、笑った。今日一番の、柔らかい笑顔だった。


「……はい」


「おやすみ、リーナ」


「おやすみなさい、カインさん」


 リーナは部屋に戻った。扉を閉めて、背中を扉に預けた。


 胸がうるさかった。


 でも今夜のこの温かさは、胸のうるささとは別のものだった。


 ここにいていい。ずっといろ。


 その言葉を、何度も反芻した。


 窓の外で、息吹の核が静かに光っていた。


 リーナは布団に潜り込んだ。昨日の石の床と毛布一枚とは、全然違う温かさだった。


 テオが選んでくれた花が、窓際で揺れていた。


 ガラの薬草の匂いが、枕からまだかすかにした。


 リーナは目を閉じた。


 こんなに安心して眠れるのは、生まれて初めてかもしれなかった。

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