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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第3章

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■ 第22話「丘の花」

川奪還の翌日、集落に二人の魔族が訪ねてきた。


 一人は男だった。歳は二十代後半くらい。細身で、丸眼鏡をかけていた。髪は短い黒で、角は細く真っ直ぐ上に伸びている。手に分厚い術式書を抱えていて、目つきが鋭い。整った顔立ちだが、表情がずっと真剣だった。


「ソルスといいます。王都の外れで魔術の研究をしています。魔王様の封印術と息吹の共鳴現象について、ぜひ直接見学させていただきたくて」


 もう一人は女だった。歳はソルスより少し下か。栗色の髪を高く結んで、大きな緑の瞳がくるくると動いている。角は短めで、先端がわずかに外側に曲がっていた。顔立ちは元気そうな印象で、俺を見た瞬間ぱっと笑顔になった。


「ミルです! ソルスの助手やってます! 魔王様、すごく若くてかっこいいですね! あと角! 水色の角はじめて見ました! 近くで見ていいですか!?」


 一息で全部言い切った。


 シアが俺の隣で、無言でミルを見ていた。目が少し細かった。


「歓迎します。一緒に来てください」


―――――


 その日の午後、東の丘に向かった。


 シアが以前言っていた場所だ。昔、息吹が濃くて春になると花が咲き乱れたという丘。ムルトゥス様が一番好きだった場所。


 壁を押し広げながら、丘を目指した。


 ソルスは術式の展開を見ながら、手元の術式書に何かを書き込み続けていた。


「魔王様、今の紋様の展開順、人間の術式体系には存在しない構造ですね。これは独自に開発されたものですか」


「元々は人間側の封印術です。それが息吹と共鳴して変質した感じで」


「変質、ですか」ソルスの目が光った。「つまり術式が息吹に適応して進化したということですか」


「そういう表現が正しいかどうかはわからないですが、感覚的にはそんな感じです」


「面白い。術式が生き物みたいに環境に適応する。そんな事例は文献にも存在しない」


 ソルスはもの凄い速さで術式書に書き込んでいた。歩きながら。ぶつかりそうになりながら。


 隣でミルが俺の横に並んできた。


「魔王様って普段どんな訓練してるんですか」「息吹ってどんな感触ですか」「角って生えたとき痛かったですか」「シアさんって魔王様の幼なじみですか」


 矢継ぎ早に聞いてきた。


「ミル、魔王様が困っている」シアが静かに言った。


「あ、すみません! でも気になることが多すぎて!」


「一つずつにしろ」


「はい! じゃあまず——」


「休憩してから聞け」


 ミルは「はーい」と言って大人しくなった。


 俺はシアを横目で見た。シアは前を向いていた。耳が少し赤かった。


 幼なじみかどうか聞かれたのが引っかかったのかもしれない。


 俺は何も言わなかった。


―――――


 丘が見えてきた。


 まだ壁は届いていない。丘の上は枯れていた。草も木も、全部灰色だった。


 でもシアが、その丘を見て立ち止まった。


「ここだ」


 静かな声だった。


「ムルトゥス様が言ってた丘か」


「うん」シアは丘を見上げた。「枯れてる。全部枯れてる。でも、ここだ」


「取り戻そう」


 俺は術式を展開した。壁の端を丘に向けて押し出していく。宝玉から授かった力が満ちている。息吹を引き込む。温かい。


 壁が丘の麓まで届いた。


 息吹が丘を包んでいく。


 ソルスが息を飲んだ。


「すごい。土の色が変わっていく」


 灰色だった土が、濃い茶色に変わっていった。そこから、緑が芽吹き始めた。最初は小さかった。でもどんどん広がっていく。枯れていた木の枝に、小さな緑の葉が出てきた。


 そして。


 丘の頂上から、色が広がった。


 花だった。


 紫と白の小さな花が、丘の上に一斉に咲き始めた。息吹が戻った土から、眠っていた種が一気に目を覚ましたみたいに。


 風が吹いた。花びらが舞った。


 ミルが「わあ」と声を上げた。ソルスが術式書を閉じて、ただ丘を見ていた。


 シアは動かなかった。


 丘の花を、じっと見ていた。


 俺はシアの横顔を見た。白い肌に、花びらが一枚落ちてきた。銀色の瞳が、花で埋め尽くされた丘を映していた。


 シアの口元が、ゆっくりと緩んだ。


 本当に、はっきりと笑った顔だった。


「綺麗だ」


 シアが言った。俺じゃなくて、丘に向けて。でも俺には聞こえた。


「ムルトゥス様に見せたいな」


 俺はシアを見た。


「見せよう。明日連れてこよう」


 シアは俺を見た。


「いいの」


「当然だ」


 シアは少し黙った。それから、また丘を見た。


「……ありがとう」


 その声が、今日一番柔らかかった。


―――――


 帰り道、ソルスが俺の隣に来た。


「魔王様、一つお願いがあります」


「何ですか」


「魔王様の術式を、正式に研究させていただけませんか。今まで存在しなかった術式体系です。記録に残す価値がある」


「構いませんよ」


「本当ですか!」ソルスは珍しく声を上げた。「ありがとうございます。必ず後世に残る研究にします」


 ミルが俺の反対側に来た。


「私も来ていいですか! 見学じゃなくて訓練に参加したい!」


「訓練は毎朝やってます。来たいなら来てください」


「やった!」


 シアが前を歩きながら、小声で言った。


「賑やかになるな」


「嫌か」


「……別に」


 でも、その声が嫌そうじゃなかった。


 花びらがまだ、風に乗って飛んでいた。


―――――


 夜、ムルトゥスのところに寄った。


「明日、丘に花が咲きました。見に行きましょう」


 老長老は俺を見た。金色の瞳が、静かに揺れた。


「……花が、咲いたのか」


「シアが取り戻したかった場所です」


 ムルトゥスはしばらく黙っていた。


 それから、深く頭を下げた。


「……ありがとう、カイン殿」


 その声が、震えていた。


 ……頷くのが精一杯だった。


―――――


 ムルトゥスの部屋を出たとき、グラザードが廊下に立っていた。


 いつもの無表情だったが、目つきが違った。何かあったときの目だ。


「報告が入った」


「何ですか」


「今日の夕方、丘の南東で人間の偵察兵が二人確認された。壁の外から丘を観察していた。近づく前に逃げたが——」


「こちらの動きを見ていた」


「そうだ。おそらく川の水が下流に流れ始めたことで、人間側が異変に気づいた。偵察を送ってきたのだろう」


 俺は少し黙った。


「壁を広げれば広げるほど、人間側に目立つ」


「そういうことだ」グラザードは腕を組んだ。「土地を取り戻すことと、人間側を刺激することは表裏一体だ。今日の偵察は、向こうが本格的に動き出す前触れかもしれん」


「どれくらいで来ると思いますか」


「偵察の報告が王都に届くまで二日。判断と動員にさらに数日。早ければ一週間以内に、何らかの動きがある」


 廊下の窓から、遠くに奇跡の壁が見えた。白と紫の光が、暗闇の中で静かに輝いている。


 丘に咲いた花。戻ってきた川。取り戻した土地。


 それを守らなければいけない。取り戻した分だけ、失うわけにはいかない。


「準備しましょう」


 グラザードは頷いた。


「そのつもりだ」

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