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ヴェルデ・碧の力 —パーティー全員に嵌められ魔族領に捨てられた俺、封印術が覚醒してなぜか魔族に救世主と崇められる—  作者: はやんえでぃ
第3章

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■ 第21話「川へ」

 魔王として初めての軍議は、前と少し違った。


 円卓に着いたとき、将たちが全員立ち上がった。


「魔王様」


 老将が深く頭を下げた。将たちが続いた。


 俺は少し戸惑いながら座った。隣にシアが座る。補佐官として地図と議事書を手元に揃えて、背筋を伸ばした凛とした表情だ。将たちの前のシアはいつもこうだ。


「着席してください。始めましょう」


 グラザードが口を開いた。


「今日の議題は領地拡張の戦略だ。魔王様から方針を示していただきたい」


 俺は地図を広げた。


「奇跡の壁の形を変えながら、外側に押し出していきます。一区画ずつ、少しずつ。押し出した場所に息吹が満ちて草木が戻ったら次の区画へ。これを繰り返す」


「時間がかかる」グラザードが言った。


「かかります。でも以前より速くできます」


 シアが補足した。将たちの前では平坦な声で。


「魔王の宝玉から授かった力で、壁の押し出し速度が上がっている。以前は数日かけていた距離を、一日で押し出せるようになった」


 将たちがざわめいた。


「一日で、ですか」


「試算では、以前の五倍以上の速度が出る」


 老将が俺を見た。


「魔王様、それは本当ですか」


「まだ試してないですけど、感覚的にはそれくらいは出ると思います」


 グラザードが腕を組んだ。


「では最初の目標はどこだ」


 俺は地図を指した。集落から数キロ北東の場所だ。


「川です。昔ここに大きな川があったと聞きました。湧き水の川とは別の、もっと大きな川です。王国に塞がれて今は干上がっている。まずそこまで壁を押し広げる」


 シアが続けた。


「川と息吹には特別な関係がある。川が流れれば息吹が水に溶け込んで、流れに乗って下流まで運ばれる。川沿いの土地が一気に回復する。川が息吹の血管になる」


「さらに」俺は続けた。「川の中に息吹の核を置く。水と息吹が合わされば核の効果が川全体に広がる。集落の広場に置いた核の、川バージョンです」


 しばらく沈黙が続いた。


 老将がゆっくりと口を開いた。


「百年かけて奪われた。取り戻すのに何年かかっても構わない」


 その言葉に、将たちが静かに頷いた。


「異論のある者は」とグラザードが言った。


 誰も立たなかった。


「では決定だ。魔王様の指揮のもと、川奪還作戦を開始する」


―――――


 軍議が終わって将たちが退室した後、俺とシアだけが残った。


 シアは議事書を片付けながら、ふと手を止めた。


「カイン」


「ん」


「川の話……私も聞いたことがある」


「ムルトゥス様から?」


「うん」シアは地図を見た。「小さい頃に。あの川には魚がたくさんいて、子どもたちが泳いでいたって。昔の話だけど」


「取り戻そう」


 シアはちらっと俺を見た。


「どこを最初に取り戻したい? 川以外で」


「え、俺が聞こうとしてたのに」


「先に聞いた」


 俺は少し笑った。


「じゃあ答える。シアが言いたそうにしてた場所」


 シアは少し固まった。


「なんで知ってるの」


「知らないけど、たぶんある気がして」


 シアは俯いた。耳が赤くなっていた。


「東に丘があったらしい。息吹が濃くて、春になると花が咲き乱れたって。ムルトゥス様が一番好きな場所だったって」


「じゃあそこも目標に入れよう」


「いいの」


「魔王の特権だ。好きなところから取り戻す」


 シアはしばらく黙って、それからぽつりと言った。


「ありがとう」


 その声が柔らかかった。将たちの前のシアとは全然違う声だった。


―――――


 翌朝、夜明けと同時に北東の区画から壁の拡張を始めた。


 シアが隣で術式の流れを確認しながら指示を出す。レナが後ろに立って見ている。グラザードも来ていた。


 俺は壁に手を当てて、術式を展開した。


 宝玉から授かった力が、身体の中に満ちている。以前とは全然違う。魔力の底が、見えない。


 白銀の髪が風に煽られた。


「いくぞ」


 壁を押し出した。


 ずずず、と重い音がして、白と紫の光の壁が外側に動き始めた。


「速い」レナが声を上げた。「めちゃくちゃ速い!」


 湧き水の壁を作ったときとは桁違いだった。あのときは百メートルで死にかけた。今は一息で数十メートル動く。あのときの地獄が嘘みたいだ。


「思ったより速いな」シアが呟いた。目が細くなっていた。術式の流れを追っている目だ。


「三重ブーストのおかげか」


「それもあるけど、それだけじゃない」シアは俺の頭を見た。角を見ていた。


「宝玉の前は、カインは全身から息吹を取り込んでいた。角はなかった。でも今は角がある。全身からの取り込みに加えて、角からも息吹を受け取っている。二重の取り込みになっている」


 シアは術式書に何かを走り書きしながら続けた。


「しかも角は息吹を魔力に変換する器官だ。全身から取り込んだ息吹を、角が効率的に魔力に変えている。以前は取り込んだ息吹をそのまま術式に流していたけど、今は角で変換された高純度の魔力も乗っている。出力が跳ね上がるのは当然だ」


「宝玉+全身取り込み+角の変換か」


「三重のブーストだ。湧き水のときの五倍どころじゃない。十倍は出てる」


 シアは少し悔しそうな顔をした。


「集中しろ。まだ川まで距離がある」


「はいはい」


 レナが「魔王様がはいはいって言ってる」と笑っていた。


 グラザードは無言で壁を見ていた。その目が、静かに光っていた。


―――――


 一日目の夕方までに、川の手前二キロまで壁を押し出した。


 以前の速度なら一週間かかる距離だった。


 俺は地面に膝をついた。さすがに魔力を使い果たした。今日はここまでだ。


 シアがすぐに来た。膝をついて俺の顔を覗き込む。


「顔色悪い」


「そうか」


「薬」


「くれ」


 シアが瓶を押しつけた。飲んだ。苦い。


「明日、川まで届く」


「届く」シアは頷いた。「今日の速度なら午前中には」


「じゃあ午後に息吹の核を置こう」


「準備してある」


 俺はシアを見た。


「昨日の夜から準備してたのか」


「軍議が終わってから」


 つまり俺が「取り戻そう」と言った直後から準備していた、ということだ。


「シア」


「なに」


「ありがとう」


 シアは顔を背けた。耳が赤かった。


「補佐官の仕事だ」


 レナが後ろで「えっかわいい」と言っていた。シアがレナを睨んだ。


―――――


 二日目の朝、夜明けと同時に再開した。


 昨夜の回復で魔力が戻っていた。宝玉の力のおかげか、回復も以前より速い気がする。


 壁を押し出す。息吹が満ちる。草木が戻る。その繰り返し。


 午前中に、壁が川の跡まで届いた。


 湧き水の川とは規模が全然違った。かつてここを流れていた川は、幅が十メートルほど、深さは大人の腰くらい。今は乾いた溝になっている。底に石が積み重なって、長い間水が流れていなかったことがわかった。


 壁が溝を覆った瞬間、息吹が溝の中に満ちていった。


 しばらくして、溝の底から水が滲み出してきた。


 最初はほんの少しだった。でも少しずつ増えていった。


「水が出てきた」レナが声を上げた。


「息吹の核を置こう」


 シアが石を取り出した。川底の中央に固定するための、息吹の核だ。昨日準備していたやつだ。


「カインがやれ。あなたの魔力で固定した方が息吹との親和性が高くなる」


「わかった」


 俺は溝に降りた。川底の中央に息吹の核を置いて、封印術で固定する。息吹を込めていく。


 石が光った。白と紫の光が、滲み出した水の中で揺れた。


 次の瞬間、水量が一気に増えた。


 細い流れが、太くなった。石の間から水が溢れ出して、溝を満たしていく。水が流れ始めた。


 せせらぎの音が、乾いた大地に響いた。


 川が戻ってきた。


 周りにいた魔族の兵士たちが、誰も声を出せなかった。


 一人が水に手を入れた。


「冷たい……本物の水だ」


 声が震えていた。


 老兵士が川べりに膝をついた。両手で水を掬って、顔を洗った。そのまま、肩を震わせた。


 川沿いの枯れた土が水を吸って、色が変わっていく。茶色から濃い黒へ。そこから小さな緑が顔を出し始めた。


 息吹が水に乗って、川の流れに沿って広がっていく。下流に向かって、どこまでも。


 グラザードが川を見下ろしていた。


「川が、戻ってきた」


 その声が、珍しく掠れていた。


 シアが俺の隣に立っていた。川を見ていた。


 しばらく、何も言わなかった。


 水の音だけが聞こえていた。何十年も枯れていた溝に、今、水が流れている。息吹を含んだ水が光を帯びて、川べりの草を揺らしている。


 シアの口元が、わずかに震えた。


「……ムルトゥス様が」


 声が小さかった。


「この川の話を、何度もしてくれた。私が小さい頃。夜、眠れないとき」


 俺は黙って聞いていた。


「魚がたくさんいたって。子どもたちが泳いで遊んでいたって。水がすごく綺麗で、川底の石が全部見えたって」


 シアは川を見たまま、続けた。


「私はそれを聞くのが好きだった。見たことのない景色だけど、ムルトゥス様が話すと、目の前に見えるような気がした」


 風が吹いた。川面が揺れた。


「でもいつも最後に、ムルトゥス様は悲しそうな顔をした。もう見せてあげられないな、って」


 シアの声が、掠れた。


「私は……ずっと予言書を読んでいた。予言の者が来れば、全部変わると書いてあった。だから待っていた。ムルトゥス様と二人で、ずっと」


 その白い頬を、一筋の涙が伝った。


 シアは拭おうとしなかった。


「……本当に来た」


 もう一筋、涙が落ちた。


「本当に、川が戻った」


 俺はシアを見た。


 いつもの無表情が、崩れていた。泣いているのに、口元が笑おうとしていた。泣き方がわからないみたいに、顔がぐちゃぐちゃになっていた。


 この子は、泣き慣れていないんだ。


「シア」


「うん」


「泣いてるぞ」


「泣いてない」


「泣いてる」


 シアは川から目を離さなかった。


「目に、水が入っただけだ」


「川の水はそこまで飛んでこないだろ」


「……うるさい」


 声が震えていた。


 俺は何も言わずに、シアの隣に立ち続けた。


 しばらくして、シアの肩が俺の腕に触れた。少しだけ、寄りかかるように。


 俺はそれを受け止めた。押し返さなかった。何も言わなかった。


 シアは川を見ていた。涙を拭かないまま。


「……ムルトゥス様に、見せたい」


「見せよう。連れて来よう」


「うん」


 その一言が、やっと泣き止んだ後の、最初の言葉だった。


 川の音が、静かに広がっていった。


 まだ三十分の一しか取り戻せていない。でも川が戻った。息吹が流れ始めた。


 大地が、生き返っていく。


―――――


 日が傾き始めていた。


 本来ならここで切り上げるべきだった。魔力は使い果たしているし、身体も重い。


 でも、川が流れているのを見たら、止まれなくなった。


「もう少しだけ広げておく」


「カイン、今日はもう——」


「川の下流側をあと五百メートルだけ。息吹を川に乗せておけば、明日までに自然に定着する」


 シアが何か言おうとした。でも俺はもう術式を展開していた。


 壁に手を当てる。息吹を引き込む。押し出す。


 三百メートル。四百メートル。


 五百——


 視界が、白くなった。


 膝が折れた。地面に手をついた。呼吸が荒い。心臓が変な速さで打っている。指先の感覚がない。


「カイン!」


 シアの声が遠くに聞こえた。


 目の前が二重に見える。身体の中を何かが逆流しているような感覚。宝玉の力と、自分の魔力と、息吹が、身体の中でぐちゃぐちゃに渦を巻いている。制御できない。


 地面に倒れた。


 空が見えた。夕焼けだった。


「カイン! カイン!」


 シアの顔が上から覗き込んできた。さっきまで泣いていた顔が、今度は青ざめていた。


「動くな。魔力回復薬を——いや、これは魔力切れじゃない」


 シアの手が俺の額に触れた。冷たくて、気持ちよかった。


「魔力回路に負荷がかかりすぎている。宝玉の力と自分の魔力が衝突している。角からの取り込みと全身からの取り込みが同時に暴走して——馬鹿。馬鹿。なんでもう少しだけとか言うの」


 シアの声が震えていた。怒りなのか、恐怖なのか。


「大丈夫。ちょっと休めば——」


「大丈夫じゃない」シアは俺の胸に手を当てた。「魔力回路が熱を持っている。無理に動いたら回路が焼き切れる可能性がある。今夜は絶対に術式を使うな」


 レナが走ってきた。


「カイン! 何があった!」


「魔力回路の過負荷だ」シアがレナに向かって言った。声は平坦に戻っていたが、俺の胸に当てた手だけが震えていた。「運ぶのを手伝って。集落に戻る」


「了解」


 レナが俺を担ぎ上げた。軽々と。レナの腕力に助けられるのはこれが初めてだった。


「カイン、重いね」


「今それ言う必要あるか」


「あるよ。反省してほしいから」


 レナの声はいつも通りだったが、表情は笑っていなかった。


 運ばれながら、俺は空を見ていた。夕焼けが消えかけている。


 シアが横を歩いていた。俺の手を握っていた。小さくて冷たい手だった。


 握る力が、強かった。


「……ごめん」


「謝るなら二度とやるな」


「やらない」


「嘘。カインは絶対またやる」


「……やらないように努力する」


「努力じゃなくてやるな」


 シアの声は怒っていた。でも手は離さなかった。


 集落に戻ったとき、ガラが玄関先で待っていた。


「また無茶したか、この馬鹿者」


「すみません」


「すみませんで済んだら薬師はいらん」


 ガラはシアを見た。


「シア、手を離さなくていい。魔力回路が安定するまで、誰かの魔力に触れていた方がいい」


 シアは何も言わなかった。手を離さなかった。


 俺はガラの作業場に運び込まれて、寝台に転がされた。


 苦い薬を三種類飲まされた。身体が重い。でも意識ははっきりしていた。


「ガラさん、明日には——」


「三日は術式禁止だ」


「三日!?」


「文句があるなら倒れるな」


 ガラは容赦なかった。


 シアはまだ手を握っていた。寝台の横に座って、俺の手を膝の上に置いたまま、じっとしていた。


「シア、もう大丈夫だから——」


「黙れ。寝ろ」


 俺は黙った。


 寝ることにした。


 シアの手の温度が、じわりと伝わってきた。


 冷たかった手が、少しずつ温かくなっていた。

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