■ 第20話「宝玉の試練」
魔王就任の声明が出てから三日間、集落はずっと賑やかだった。
どこを歩いても声をかけられた。
「魔王様、おめでとうございます!」
「救世主様、本当によかった!」
「やっと魔王様が来てくださった! 百年待ってた甲斐がありました!」
俺はその度に頭を下げて、ありがとうと言い続けた。正直、まだ実感がなかった。
テオが俺の外套を引っ張った。
「カイン、集落の入り口のおじいさんが泣いてた! 生きてるうちに魔王様が来てくださったって!」
「そうか」
「カインが魔王でよかった!」
テオは笑顔で駆けていった。
俺はその背中を見送りながら、空を見上げた。
魔王、か。
まだ、本当の意味での魔王じゃない。
グラザードに言われていた。正式な魔王になるには、宝玉の試練を受けなければならないと。
―――――
宝玉の試練について、ムルトゥスから説明を受けたのは二日前だった。
老長老は俺を部屋の奥に招いて、静かに話し始めた。
「魔王の宝玉は、先代魔王が力を込めた特別な石だ。歴代の魔王はすべて、この宝玉に触れて力を授かった。宝玉は触れた者の資質を確かめる。魔王に相応しいと判断すれば、力を授ける。相応しくないと判断すれば——」
「拒否する」
「そうだ。宝玉が拒否した場合、正式な魔王にはなれない」
俺は黙って聞いた。
「一つ、正直に言っておかなければならない」ムルトゥスは続けた。「宝玉は歴代、魔族にしか力を授けたことがない。人間がこの試練を受けるのは、あなたが初めてだ。宝玉が人間であるあなたを弾く可能性は……低くない」
将たちの間に、重い沈黙が落ちた。
老将が口を開いた。
「正直に言えば、我々も懸念している。宝玉は魔族の力の結晶だ。人間の身体がそれを受け入れるかどうか、誰にも確証がない」
グラザードも腕を組んだまま黙っていた。その表情が、珍しく険しかった。
「ただ」ムルトゥスは続けた。「宝玉が拒否したとしても、あなたが我々の救世主であることは変わらない。指導者として、救世主として、民を救ってくれればいい。宝玉の結果がどうであれ、我々はあなたについていく」
それを聞いたとき、グラザードも将たちも補佐官たちも、全員が頷いた。
シアが俺を見た。
「結果なんて関係ない」シアは静かに言った。「これだけ民が喜んで、育って、協力してくれている。宝玉がどう言おうと、カインは私たちの魔王だ」
レナが腕を組んだ。
「気楽にやれよ。失敗してもみんないるから」
老将も頷いた。
「我々将一同、結果がどうであれカイン・アーヴェル殿を魔王として支持する。それは変わらない」
俺はみんなの顔を見た。
真剣な目だった。でも、温かかった。
「……わかった。やってみる」
―――――
儀式の日、広場に集落の全員が集まった。
中央に台が設けられた。その上に、布に包まれた何かが置かれていた。
ムルトゥスが台の前に立った。
広場が静まった。風の音だけが残った。
「本日、カイン・アーヴェルが魔王の宝玉の試練を受ける。宝玉が力を授ければ、正式な魔王として認められる。どうか静かに見守ってほしい」
ムルトゥスは布をゆっくりと取り除いた。
宝玉が現れた。
拳大の石だった。深い紫色で、内側から微かに光っていた。表面はなめらかで、長い年月を経た重さが見た目からも伝わってくる。先代魔王の力が込められた、百年前の遺物。
俺は台の前に立った。
全員の視線が集まっていた。
正直、緊張していた。弾かれたらどうなるのかも、まだわからない。宝玉が人間を拒否したとき、ただ光が消えるだけなのか、それとも反発して俺が吹き飛ぶのか。ムルトゥスも「経験がないからわからない」と言っていた。
広場を見渡すと、民たちの顔に祈るような表情があった。子どもを抱いた母親が目を閉じていた。老いた兵士が手を組んでいた。みんな、弾かれないことを願っていた。
グラザードが俺の隣に来た。小声で言った。
「気負うな」
「……わかってます」
「わかってない顔をしている」
俺は少し笑った。
シアが反対側から近づいてきた。俺の袖をそっと引っ張った。
その指先が、少し冷たかった。シアも緊張していた。
「カイン」
「ん」
「大丈夫」シアは俺を見た。銀色の瞳が、真っ直ぐに俺を見ていた。「絶対大丈夫だから」
その一言で、肩の力が抜けた。
「ありがとう」
シアは頷いて、一歩下がった。
俺は宝玉に向き直った。
深呼吸をした。
手を伸ばした。
宝玉に、両手を乗せた。
―――――
次の瞬間、熱が来た。
手のひらから、身体の中に何かが流れ込んできた。
熱い、とは違う。
温かかった。
ものすごく、温かかった。
川が流れ込んでくるみたいだった。いや、川じゃない。もっと大きい。海みたいな、果てのない何かが、俺の身体の中に流れ込んでくる。
力強かった。でも、優しかった。
押しつぶされるような強さじゃない。包み込まれるような、受け入れられるような感覚だった。
まるで、ずっと探していた何かが、やっと手の届く場所に来たみたいな。
俺は目を閉じたまま、その流れを受け止めていた。
どれくらい経ったかわからなかった。
そのとき、宝玉が光った。
まぶしいくらいの白い光が、宝玉から溢れ出した。広場全体が白く染まった。
誰かが息を飲んだ。
―――――
光が収まった。
シアが駆け寄ってきた。
「カイン! 宝玉が答えた! よく耐えたわね! 辛かったでしょう!?」
俺は目を開けた。
「いや」
「え?」
「心地よかったよ。ものすごく」
シアが固まった。
広場がざわめいた。
「心地よかった……?」
「うん。温かくて、気持ちよかった」
ムルトゥスが目を丸くした。将たちが顔を見合わせた。レナが「は?」という顔をしていた。
「普通は激痛に近い感覚のはずなのだが……」
グラザードが低い声で言った。
「規格外だな、本当に」
そのとき。
「魔王様!」
テオが叫んだ。
「角が! 角が生えております!!」
広場が一気に騒然となった。
「本当だ!」
「角が!」
「髪の間から!」
俺は慌てて自分の頭に手を触れた。
あった。
白銀の髪の間から、左右に一本ずつ。長さは指一本分ほど、細くてなめらかな角だった。髪の中に半ば埋もれるくらいの小ささで、言われなければ気づかないかもしれない。でも確かにある。指先で触れると、なめらかで、温かかった。
ルナリアが両手で口を覆った。目が潤んでいた。
「根元が白くて……先が水色です……」
俺は頭に手を当てたまま、固まっていた。
角が、生えた。
俺に、角が。
「……俺、魔族になったのか?」
ムルトゥスが静かに言った。
「人間のままだと思う。でも、宝玉の力と、あなたの力が融合した。人間でも魔族でもない、新しい何かになったのかもしれない」
「新しい何か」
「予言にもそう書かれていた。『人の身でありながら我らの力と交わる者』——人間であることは変わらない。でも、我らの力を持つ。そういう存在だ」
俺は自分の手を見た。
魔力が、以前とは全然違う感覚で満ちていた。身体の奥から溢れ出してくるような、底なしの力の感覚があった。
広場の全員が、俺を見ていた。
静寂の後、老将が跪いた。
「魔王様」
将たちが続いた。全員が跪いた。
民たちも、一人ずつ頭を下げていった。
テオが跪きながら、でも顔を上げてにっと笑った。
「角、似合ってるよ! カイン!」
俺は少し笑った。
「ありがとう、テオ」
シアが俺の前に来た。
みんなと同じように跪いた。
でも顔を上げて、真っ直ぐ俺を見た。
「……魔王様」
その口調はいつも通りだった。でも目が、少し潤んでいた。
「シアはカインでいいって言っただろ」
シアは少し黙った。
「……カイン」
その声が、やっと来た、と言っているみたいだった。
俺は頭の角に手を触れた。
根元が白くて、先が水色。
魔族でも人間でもない、新しい何か。
でも、ここが居場所だということだけは、はっきりわかった。




