■ 第15話「日常」
集落が、変わっていた。
朝、宿舎の窓を開けると、木を削る音が聞こえてきた。昨日はなかった柱が、広場の端に立っている。その周りに魔族の男たちが集まって、何か話し合っている。
俺が外に出ると、テオが走ってきた。
「カイン! 見て見て! 家が建ってる!」
「知ってる。昨日から始まってたな」
「あそこ、南の駐屯地にいたフォルクさんの家だって! 集落に住むんだって!」
テオは嬉しそうだった。俺も嬉しかった。
フォルクという名前の兵士を俺は知っていた。南の戦闘のとき、ずっとここで戦ってきたと指揮官が言っていた男だ。三年間、あの砦にいた。
その人が、今ここで家を建てている。
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集落が、にぎやかになっていた。
北、東、南に壁が立ってから、駐屯地にいた兵士たちが続々と集落に戻ってきた。長い間、戦場の近くにしか居場所がなかった人たちだ。家族がいる者は家族のもとへ。家族がいない者は、新しい家を建て始めた。
毎日どこかで木を削る音がして、石を積む音がして、笑い声が聞こえた。
集落が、少しずつ町になっていった。
ガラが薬草を刻みながら言った。
「こんなに人が増えたのは、何十年ぶりかな」
「そんなに久しぶりなのか」
「戦線が迫ってきてからは、危ないから人が集まれなかった。集落はずっと小さいままだった」
俺は窓の外を見た。新しい家の骨格が、広場の向こうに見えた。
「これからはどんどん増えるな」
「そうだな」ガラは俺を見た。「お前さんのおかげだ」
「みんなが建ててるんだよ」
「そのみんながここにいられるのは、お前さんのおかげだろう」
……何も返せなかった。
ガラは鍋をかき混ぜながら、静かに笑った。
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休養の間、訓練は午前中だけになった。
午後は自由だった。
初日、俺が宿舎でぼんやりしていると、扉を叩く音がした。
開けると、シアが立っていた。白い装束、真白の髪。小柄な身体で、何か言いたそうな顔をしていた。
「どうした」
「……市場に行く」
「そうか」
「……薬草の補充が必要で」
「うん」
「……ついてきてもいい」
俺は少し驚いた。シアから誘ってきたのは初めてだった。
「いいよ。行こう」
シアは「そう」と言って、少し俯いた。耳が赤かった。
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集落の市場は、最近になって一気に広くなっていた。
戻ってきた兵士たちが露店を出し始めていた。武具を直す鍛冶屋、乾燥させた食材を売る店、布を扱う店。人が増えると商いが生まれる。当たり前のことが、この集落では長い間できなかったんだと思うと、なんか胸に来るものがあった。
シアは薬草屋の前で立ち止まった。店主の老魔族が、シアを見て深く頭を下げた。
「シア様、いつもありがとうございます」
「必要なものを補充したい。息吹草と青葉根を三束ずつ」
「かしこまりました」
店主がシアの横の俺を見た。目が丸くなった。
「救世主様!」
「あ、どうも」
「いつもありがとうございます! 壁のおかげで安心して商売できます!」
「ありがとう、頑張ってください」
店主が戻ると、シアがちらっと俺を見た。
「どこに行っても声をかけられるな」
「最近そうなんだよ」
「……大変じゃないか」
「まあ、嬉しいけどな」
シアは少し黙ってから、小さく言った。
「……私も、嬉しい」
「え?」
「カインがそう言われてるの、私も嬉しいって言った」
俺はシアを見た。シアは薬草を受け取りながら、前を向いていた。でも耳が赤かった。
俺はなんか、胸が温かくなった。
「ありがとう」
「……べつに」
―――――
市場をひと回りした後、広場の端にある屋台で昼食を取ることになった。
シアが「腹が減った」と言ったのが可愛かった。
屋台のおばさんが串焼きを二本渡してくれた。魔族の肉料理は人間のものと少し違う香辛料を使っていて、最初は慣れなかったが今は好きだ。
並んで腰掛けて、食べた。
「美味しいな」
「……うん」
「シアはここの屋台よく来るのか」
「あまり来ない。一人で来るのは……あまり好きじゃない」
「そうか。じゃあまた一緒に来るか」
シアは串焼きを持ったまま、少し固まった。
「……来てもいい」
「じゃあ決まりだ」
シアは串焼きを一口食べた。それ以上何も言わなかった。でも口元が、ほんの少し緩んでいた気がした。
広場では、新しい家の建設が続いていた。男たちが木材を運んで、女たちが昼食を届けている。子どもたちが走り回っている。笑い声が、あちこちから聞こえてきた。
「賑やかになったな」
「……うん」シアは広場を見た。「前は、こんなじゃなかった」
「どんなだった」
「静かだった。人が少なくて。夜は特に、誰も歩いていなかった」
「それが今は」
「……夜も明かりがついてる家が増えた」シアは少し間を置いた。「いい、と思う」
その声が柔らかかった。
俺はシアの横顔を見た。夕日でも朝日でもない、昼の光を受けたシアの顔。白い肌、銀色の瞳、小さな白い角。いつもより少し口元が緩んでいた。
集落一番の美女が、串焼きを食べながら広場を見ている。
なんか、良い光景だと思った。
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翌日の訓練の休憩中。
俺とシアが並んで地面に座っていると、レナが水筒を持ってきた。
「はい、カイン」
「ありがとう」
レナはシアにも水筒を渡した。シアは「ありがとう」と言った。
レナが「え」という顔をした。
「シアちゃん今ありがとうって言った?」
「言った」
「珍しい」
「……普通に言う」
「今まで言ったことなかったじゃん」
シアは少し黙った。
「……言うようにした」
「なんで?」
「……カインが、当たり前みたいに言うから」
レナが俺を見た。俺はシアを見た。シアは水筒を見ていた。
「いいことだと思うけどな」と俺が言った。
「……うるさい」
でもシアの声は、全然怒っていなかった。
レナがこっそり俺の耳元に来た。
「シアちゃん、どんどん可愛くなってるね」
「そうか?」
「本当に鈍いね、カイン」
レナはため息をついて、自分の水筒を飲んだ。
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夕方、集落の外れを歩いていると、新しく建った家が並んでいた。
まだ木の匂いがする。窓に明かりが灯っている。中から話し声が聞こえた。
シアが横に来た。市場の帰りからずっと、自然に隣にいる。
「あの家、フォルクさんの家だ」
「そうか。できたんだな」
「昨日完成したって聞いた。集落の人たちが手伝ったって」
シアは家を見た。
「魔族はそういうところがある。誰かが家を建てると、みんなで手伝う」
「いいな、そういうの」
「……人間は違うのか」
「全員じゃないけど、そういう文化はあんまりないかな」
シアは少し黙った。
「……カインは、魔族に向いてると思う」
俺はシアを見た。シアは家を見たまま言った。
「家族を大事にして、仲間を守る。カインはそういうことを自然にする。だから、向いてると思う」
「……ありがとう」
「べつに、思ったことを言っただけ」
シアはそう言って歩き出した。
俺はその背中を見ながら、思った。
向いてると思う、か。
この場所に、向いてると思ってもらえるなら。
俺はここにいていいんだな、と。
そう思った。




