■ 第14話「救世主様」
軍議の間に入った瞬間、空気が違った。
いつもは値踏みするような目で迎えられる。人間が混じることへの、隠しきれない警戒心。それが今日は、なかった。
円卓に座っていた将たちが、一斉に立ち上がった。
そして、頭を下げた。
全員が。
あの老将も。最初に異論を唱えた、あの人も。
俺は少し固まった。
「……えっと」
「カイン・アーヴェル殿」老将が顔を上げた。「北、東、南。三方向に壁を張っていただいた。百年間、我々が夢にも思わなかったことを、あなたは成し遂げた。将一同、心より感謝申し上げる」
また頭を下げた。
俺は何を言えばいいのかわからなかった。
「……俺一人でやったわけじゃないです。シアがいなかったら術式の展開も半分の速さだったし、グラザード将軍が兵を動かしてくれたから守れた。俺はその一部です」
老将は顔を上げて、俺を見た。
目が柔らかかった。最初に会ったときとは全然違う目だった。
「それでも、あなたが来てくれたから、今日がある」
グラザードが口を開いた。
「着席しろ。軍議を始める」
将たちが座った。俺も座った。
老将が言った。
「では、救世主様のご意見をまず伺いたい。今後の防衛戦略について」
救世主様。
その呼び方が、軍議の場で使われた。
俺は地図を見た。三方向に壁が立った今、次にやることは決まっていた。
「壁の内側を広げていきます。少しずつ、でも確実に。奪われた土地を取り戻す」
将たちが頷いた。
誰も異論を唱えなかった。
―――――
軍議が終わった後、廊下に出るとシアが待っていた。
壁に背を預けて、腕を組んでいた。
「また待っていたのか」
「……通りかかっただけ」
「この廊下、宿舎と全然違う方向だぞ」
シアは少し黙った。
「……軍議、長かった」
「二刻くらいかな」
「長い」
「そうだな」
シアは俺の隣に並んで歩き始めた。腕を組んだまま、前を向いたまま。
「救世主様って呼ばれてた」
「聞こえてたのか」
「廊下まで聞こえてた」シアは少し間を置いた。「……どんな気分」
「まだ慣れない」
「そう」シアはちらっと俺を見た。「……似合ってると思う、けど」
俺はシアを見た。シアは即座に前を向いた。耳が赤かった。
「ありがとう」
「……べつに」
その「べつに」が、なんか可愛かった。
―――――
翌朝の訓練。
レナが来る前の、俺とシアの二人の時間。
「今日は何をやる?」
シアが答える前に、レナが走り込んできた。
「おはよー! 救世主様!」
「やめてくれ」
「えー、でもみんなそう呼んでるよ」レナはシアを見た。「シアちゃんは何て呼んでるの」
「カインだ」シアは即答した。
「へー。下の名前で呼ぶんだ」
「……何がおかしい」
「いや、おかしくないけど」レナはにやっとした。「将軍でさえ救世主様って呼んでるのに、シアちゃんだけカインって呼んでるなあって」
シアはレナを一瞥した。
「呼びたいように呼ぶ」
それだけ言って、俺の方を向いた。
「訓練始めるぞ、カイン」
「あ、うん」
レナが俺の耳元に寄ってきた。
「シアちゃん、カインって呼ぶとき声のトーン違うの気づいた?」
「気づかなかった」
「鈍すぎ」
レナはため息をついて、訓練の準備を始めた。
―――――
昼過ぎ、ガラのところに顔を出した。
ガラは薬草を刻みながら、振り返りもせずに言った。
「救世主様がいらっしゃった」
「その呼び方やめてほしいんだが」
「慣れろ。集落中そう呼んでる」ガラは俺を見た。「シアはどうだ」
「どうって」
「最近、あの子の顔が変わった。柔らかくなった」
「そうか?」
「お前には見えないのか」ガラは呆れたように言った。「毎日一緒にいるだろう」
「なんか口調が少し変わったかなとは思ってるけど」
ガラは薬草を鍋に放り込んだ。
「あの子がな、昨日ここに来たんだ。頭痛薬を補充しにな」
「そうか」
「で、言っていた。カインが薬を飲みすぎるから、多めに用意しておきたいって」
俺は少し黙った。
「……シアが?」
「そうだ。自分から言いに来た。あの子が誰かのために何かを準備しに来たのは、初めてだ」
ガラは俺を見た。
「わかるか、それがどういうことか」
「……わかる、と思う」
「本当にわかってるなら、ちゃんと大事にしてやれ」
ガラは鍋を火にかけた。それ以上は何も言わなかった。
―――――
夕方、俺は集落の外れで壁の様子を確認していた。
白と紫の光が、静かに輝いている。三方向から集落を囲む壁。
シアが来た。
隣に立って、壁を見た。
「確認に来たのか」
「……うん」
うん、と言った。
シアが「うん」と言ったのを、俺は初めて聞いた気がした。
「最近、口調変わったか?」
シアは少し固まった。
「……変わってない」
「なんか柔らかくなった気がして」
「気のせいだ」
「そうかな」
しばらく沈黙が続いた。
シアが壁を見たまま、小さな声で言った。
「……カインが、変えたんだと思う」
「俺が?」
「……なんでもない。忘れろ」
シアは俺から顔を背けた。白い耳が赤くなっていた。
俺はシアを見た。
なんか言いたいことがあったんだろうな、とは思った。でもシアが言いたくないなら、聞かない。
「……そうか。まあ、変わっても変わらなくても、シアはシアだよ」
シアは黙った。
長い沈黙の後、シアはぽつりと言った。
「……ありがとう」
その声が、いつもより柔らかかった。
二人で、壁を見ていた。
夕日が白と紫の光を橙色に染めていた。
―――――
【シア】
カインが変えたんだと思う、と言いかけて、シアは口を閉じた。
言いすぎた。
でも、本当のことだった。
カインが来る前のシアは、誰かの隣に立つことを考えたことがなかった。誰かのために薬を用意することも、誰かの顔を見て心臓が跳ねることも、全部なかった。
それが今は、全部ある。
シアは壁を見ながら、こっそり胸を押さえた。
カインの横顔が、夕日を受けて輝いていた。
格好いいな、と思った。
思ってしまった。
シアは前を向いた。顔が熱い。でもカインは気づいていない。いつも通り、壁を見ている。
レナの言葉が頭をよぎった。
言わないと一生気づかないよ。
……わかってる。
でも、もう少しだけ。
もう少しだけ、このままでいい。
カインの隣が、温かかったから。
読んでいただき感謝いたします。
作者です。ここらへんで一度挨拶したくなり、書いております。
今は書くのがすごく楽しく書いております。130話あたりにさしかかるところです。
これからもカインの成長、そして周りの取り巻く仲間たち、環境、楽しんでいただけたら嬉しいです。
長くなりました、評価していただけたら励みになります。
ではまた!




