■第1話 「3年間の意味とは。仲間とは。」
頭から糞尿をかぶっている。
柱に縛られたまま、顔を背けることもできない。額から血が出ている。石を投げたのは、昨日まで俺が守っていた民衆だった。
三年間、誰よりも仲間を守ってきた。
その結果が、これだ。
王都の中央広場。数百人の視線が降り注いでいる。
両腕を後ろに回され、胴と足を太い縄で幾重にも巻かれている。魔力封じの枷が両手首に食い込んで、結界も封印術も何も使えない。
周囲の視線は憐れみじゃない。蔑みだ。
「魔族の密通者め」
「勇者様のパーティーに潜り込んでいたのか」
「さっさと瘴気帯に捨ててしまえ」
石がまた飛んできた。
三年間、こいつらを守るために戦ってきた。
今日まで。
―――――
今朝、宿舎で目を覚ますと王国騎士団が待っていた。
「カイン・アーヴェル。魔族への内通の疑いにより、王命で身柄を拘束する」
内通? 魔族へ? 俺が?
意味がわからないまま枷を嵌められた。魔力が消えていく。支援術師として十年かけて積み上げてきた力が、ぷつりと途絶えた。
引きずられながら仲間たちの顔を探した。
アルベルト。ダイゴ。エレナ。ザック。
四人はそこにいた。
助けに来たのではなかった。
―――――
広場の高台に、勇者アルベルトが立っていた。
金の鎧。白銀の外套。民衆が憧れる光の勇者そのものの姿だ。その隣に、教会の枢機卿グレゴリウスが座っている。
アルベルトは俺を見下ろした。その瞳に迷いは一切なかった。
「カイン・アーヴェル。貴様の裏切りを、ここで明らかにする」
アルベルトは民衆に向き直った。
「この男は白銀の髪と、吸い込まれるような碧い瞳で我々の信頼を得ていた。整った顔と穏やかな物腰で、誰もが味方だと信じていた。我がパーティーの華として迎え入れたことを、今は悔やんでいる。だがその裏で、魔族と通じていたのだ」
どよめきが広がった。アルベルトは頷いて見せた。民衆を掌握する仕草が、いちいち堂に入っている。
何を言っても無駄だと、もうわかっていた。
―――――
最初に証言台に立ったのはザックだった。
赤毛の盗賊は泣きそうな顔を作った。見事な演技だった。
「カインが魔族の密使と接触しているところを、俺は見ました。信じたくなくて、報告できなかった。仲間だと思っていたから」
ザックは俯いた。肩が震えている。
「信じてたのにな、カイン……」
野次馬の一人が「ひどい」と呟いた。俺へ向けられた言葉だった。
ザック。お前は三年間、ずっとこういうやつだったのか。
―――――
次はエレナだった。
漆黒の髪を束ねた魔術師が、羊皮紙を取り出した。
「カインの封印術に、魔族由来の技法が混入していることを確認しました。魔族から直接技術を受け取った者にしか再現できない構造です」
エレナは一瞬だけ俺を見た。その目は冷たかった。怒りでも後ろめたさでもない。計算の目だった。
俺の封印術は魔族由来じゃない。独学で開発した人間の術式だ。誰より詳しいエレナが知らないはずがない。
知っていて、嘘をついた。
―――――
ダイゴは短かった。
「カインの結界は一度も役に立ったことがない。足手まといだと、ずっと思っていた」
それだけだった。
ただそれだけで、俺の三年間が「足手まとい」の一言に塗り替えられた。
大剣の柄を握るその手に、俺が補助魔法をかけた傷の痕が残っていた。
―――――
最後にアルベルトが口を開いた。
「俺自身も目撃している。カインが魔族の密使と接触するのを。信じたくなかった。カインは仲間だったから。……甘かったな、俺も」
憂いを帯びた表情。英雄らしい苦悩を、完璧に演じている。
そのとき、俺は口を開いた。
黙っているつもりだった。何を言っても無駄だとわかっていた。でも、一つだけ。
「……リーナに聞いてくれ」
広場が、少しだけ静まった。
「聖女リーナ・フォーレンに確認を取ってくれ。俺が魔族と通じていたかどうか、あいつが一番よく知っている」
リーナは嘘をつかない。パーティーで唯一、俺と本当に気が合った仲間だ。リーナがここにいれば、こいつらの証言の矛盾を全部突いてくれる。
アルベルトの目が、一瞬だけ細くなった。
枢機卿グレゴリウスが口を開いた。穏やかな、しかし一切の隙のない声だった。
「聖女リーナ・フォーレンは現在、遠方の教会にて負傷者の治療にあたっております。本日の審問には間に合いませぬ」
「なら待てばいい。リーナが戻ってからでも——」
「待つ必要はない」アルベルトが遮った。「四人の証言と物証が揃っている。これ以上何を確認する」
民衆が頷いた。もう決まっていた。最初から決まっていた。
俺はアルベルトを見た。
こいつが日を選んだのだと、そのとき確信した。リーナがいない日を。リーナがいれば黙っていなかったから。唯一の味方を遠ざけた上で、この茶番を仕組んだのだ。
俺の中で、何かが静かに冷えた。
熱い怒りじゃない。もっとずっと冷たい何かが、胸の奥に落ちていく感覚だった。
「光の神の御名において、カイン・アーヴェルを魔族への内通罪で断罪する」
歓声が上がった。拍手まで起きた。
俺は柱に縛られたまま、ただ空を見ていた。
―――――
「刑の執行を始める」
枢機卿グレゴリウスの声が広場に落ちた。
騎士が二人、近づいてくる。一人の手に膨らんだ革袋があった。漂ってくる臭いで何かわかった。嫌でもわかった。
「待て。俺は何もして――」
革袋の口が開いた。
頭から全部かぶった。
どろりとした重さが頭皮を伝って顔を覆った。髪に絡みつき、額の傷口に染みて、目元に滲んでくる。臭いが鼻腔に叩き込まれた。吐き気が込み上げる。
ただ降り注ぐものを全部受け続けるしかなかった。
もう一人の騎士が二つ目の袋を持ち上げた。固形のものが混じっていた。それが何かは、考えたくなかった。
「ざまあみろ!」
「魔族の犬にはお似合いだ!」
「汚らわしい!」
俺は目を閉じた。
瞼の裏で三年間が浮かんだ。ダイゴを守った夜。エレナの魔力切れに付き添った夜。アルベルトの突撃を何度も援護した日々。
全部、この一瞬で汚された。
アルベルトが高台から俺を見下ろしていた。
「本当の地獄はここからだ、カイン」
その瞳に、昏い満足感が宿っていた。
こいつは最初から俺を消すつもりだった。理由はリーナだ。リーナが俺に懐いているのが許せなかったんだろう。
馬鹿らしい。そんな理由で、三年間が終わった。
―――――
最後にザックが近づいてきた。俺の顔の前にしゃがんで、小声で言う。
「荷物、もらっとくな。置いといても腐るだけだし」
返事を待たず立ち上がって、宿舎に向かっていった。
リーナのお守りも、あの中に入っていた。旅の安全を願って、リーナが手縫いで作ってくれたものだ。
―――――
縄を解かれ、丸太ごと荷馬車に押し込まれた。枷は外されなかった。
行き先は、瘴気帯。
人間が踏み込めば数時間と保たない、呪われた霧の地帯だ。瘴気は人間の魔力と反発して、皮膚から侵食し、体内の魔力回路を焼き切っていく。最初は熱い。次第に燃えるように痛くなる。そして内側から崩れるように死ぬ。
丸太に縛られたまま放り込まれれば、逃げることも助けを呼ぶこともできない。ただ焼かれながら死を待つだけだ。
荷馬車の揺れに身を任せながら、俺は空を見ていた。
相変わらず、晴れていた。
怒りはあった。悲しみもあった。恐怖も、あった。
でもそれより強く胸を占めていたのは、冷たい確信だった。
――いつか、必ず。一人ずつ。そいつにとって、一番痛い方法で。
俺はまだ、死んでいない。
―――――
瘴気帯の入り口で荷馬車が止まった。
騎士たちが丸太ごと俺を担ぎ上げて、霧の縁まで運んでそのまま放り投げた。
地面に叩きつけられた衝撃で息が詰まる。丸太に縛られているから何もできない。顔を上げれば白い霧が視界を覆っていた。
もう霧の中だった。
騎士たちの足音が遠ざかっていく。振り返ることもなく、言葉一つかけることもなく。
当然だ。死人に言葉は要らない。
瘴気が肌に触れた。身構えた。焼かれる痛みを、覚悟した。
だが。
熱くない。冷たくもない。
温かかった。
まるで、ずっと探していた何かが、やっと手の届く場所に来たような感覚だった。
魔力封じの枷が、かすかに軋んでいた。封じられているはずの魔力が、霧の中で何かに反応している。瘴気と魔力が反発するのではなく——引き合っている。
意味がわからなかった。ただ、確かなことが一つあった。
俺は、死んでいない。
霧が濃くなっていく。普通の人間なら限界のはずだ。それなのに、じわじわと何かが満ちてくる感覚があった。
そのとき。霧の奥から、足音が聞こえた。
「……いた。人間だ」
低い声だった。人間のものではない、微妙に音域が違う声。
霧の中から現れたのは、三つの影だった。
頭に、角が生えていた。
意識が途切れる寸前、俺は思った。
魔族か。
ここで魔族に殺されれば、アルベルトたちの嘘が本当になる。皮肉だな、と思った。
だが次の瞬間、俺の身体を抱え上げた腕は、思いのほか丁寧だった。
「生きている。急げ、領内に連れて帰る」
「でも、人間ですよ? なんで息吹帯の中を歩いて……」
「わからん。だが、死にかけを見捨てるのは、我らの流儀じゃない」
その声を最後に、俺の意識は落ちた。




