5 甘やかしのライススープ
――翌朝。
呼び鈴の鳴る音に、ラフニカは鈍い頭の痛みと共に目を覚ました。
普段だったらスッキリ目が覚めるのに、今日はなんだかやたらに布団が恋しい。頭の芯で疼く痛みが、このまま布団にこもっていようと誘惑をする。
その声に甘えて居留守を決め込もうと考えたタイミングで、それを邪魔するようにもう一度呼び鈴が鳴らされた。室内に鳴り響く高い音が、ラフニカを追い立てる。
――今日は休日だったはずだ。プライベートで会う知り合いも居ないし一体誰が……そんなことを思いつつ、しぶしぶ身支度を軽くととのえる。
そうしてまだ頭も十分に回っていない状態で扉を開けたところで、ラフニカは息を呑んだのだった。
「おはようございますっと、ラフニカちゃん。昨日は随分飲んでましたけれど、体調はどうです? もし良かったら、朝飯一緒に食いません?」
そこに居たのは、私服姿のフェリス。その姿を目にした瞬間、昨日交わした会話が一気に蘇ってくる。
「……フェリス様、どうして」
「どうしても何も、俺たち恋人になったじゃないですか。休日に恋人の家に来るのは、普通のことでしょう? あ、ラフニカちゃんって生姜苦手だったりします?」
「いえ、生姜はむしろ好きな方です。……って、そうじゃなくて」
「ほら。俺がどんな男性が好みかって聞いたら、『自分だけを見てくれる、甘やかしてくれる人が良い』って言ってたじゃないですか。だから俺が、ラフニカちゃんをうんと甘やかそうと思いまして」
「…………」
そんなこと、言っただろうか。覚えていない。
でも、その小っ恥ずかしい「理想のタイプ」は確かに自分が心の奥底に隠し持っていた憧れで。
だからこそラフニカは、咄嗟にその言葉を否定することができない。
混乱して明確な否定の言葉を出せずにいるうちにフェリスは室内へと上がり込み、手際よく調理を始めていった。
ほどなくして食欲を刺激する匂いが立ちのぼり、優しい香りのライススープが食卓に並べられていく。
「ほら、冷めないうちに食べましょう? ラフニカちゃん、普段は全然お酒飲まないって言うから二日酔いも初めてかと思って」
「……ありがとうございます」
押し付けがましくはない程度の強引さと、優しさ。その温もりに翻弄されそうで、ラフニカは慌てて自分を戒めた。
――あまり心を許しては、いけない。これはあくまで偽の関係なのだから。
「……美味しい」
そう思っていたはずなのに、ひと口さじを運んだ瞬間に率直な感想が口からこぼれ出た。
素直な賛辞に、フェリスは嬉しそうに目を細める。
「でしょう? パン粥も良いんですけど、酒飲んだ翌日ってミルクが重く感じる時もあって。その点、こいつは優秀。するっと入って腹に溜まる。生姜のおかげで身体もあったまりますしね」
「なんか意外です。フェリス様って料理するんですね」
「俺、わりと食の好みがうるさいんですよ。鶏肉は好きだけど鶏皮が食えなかったりとか。だから自分で作った方が、好みに合わせられて早いなって」
フェリスは苦笑いで照れくさそうに言う。
やはり猫というのは偏食なものなのだろうか。懐かしい気持ちになって、ラフニカも軽く微笑む。
――ああ、そうだ。昔飼っていた猫も偏食で……ラフニカはご飯をあげるにも苦労していたのだった。
「ってわけで普段仕事場も俺、弁当を作って行ってるんですよ。ラフニカちゃんも、今度からは一緒にメシ食いません? 二人分作ってきますから」
「いえ、そこまでご迷惑かける訳には」
「違う、違う。俺がやりたくて言ってるだけですよ。職場なんて一番見せつけるのに都合が良い場所ですし。もちろん、ラフニカちゃんが嫌なら諦めますけど」
「……」
フェリスの表情からは嘘を言っているようには見えない。
そういえば、この偽の恋人関係というのはフェリスにも必要だと言っていた。彼がそこまで前向きなのも、そのためなのだろう。
しばらく迷って、ラフニカは頷いた。
きっと周囲に好奇の目で見られることにはなるだろうが、仕方ない。自分だって、そういう存在が必要でフェリスと手を組んだのだから。
「やった!」
――無邪気に喜ぶフェリスを見ていると、そんな前提を忘れそうになってしまうけど。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
そうしてゆっくりとライススープを食べ終えると、片付けを済ませたフェリスはあっさりと立ち上がった。
「――それじゃ俺、そろそろ帰りますね」
「もう、ですか? まだ何もお返しできてないのに……」
彼の言葉にホッとしながらも何処か残念な気持ちを覚える自分に、ラフニカは内心で驚きを覚えた。
元来、ラフニカは他人が近くに居ると落ち着かない性分だ。今朝フェリスが家に来た時も、正直大事な休日を邪魔されたと感じていたはずなのに。
「ラフニカちゃんの様子が見られたから、それで十分ですよ。――それに、今日行ってクギ刺しとかないとラフニカちゃん、恋人になったの無かったことにしちゃうんじゃないかと心配で」
何気ない調子で言われたフェリスの指摘に、ぎくり、と反射的に肩が跳ねる。
どうして、そこまで自分のことを見透かしているのだろう。確かに今日フェリスに会わなければ、昨日のことは酔っ払いの戯言だとなかったことにしていたと思うけど……。
「やっぱり、会いに来て正解でしたねぇ。貴重な寝起き姿も見られましたし? まっ、そういうわけで仕事場でもよろしくってことで。――昼の約束、忘れないでくださいよ?」
じゃ、と言ってラフニカを見下ろしていたフェリスはぐい、と無造作に顔を寄せた。
その行動に、リラックスしていた身体が反射的にこわばる。
遊ぶ人のフェリスにとって、キスは普通の挨拶みたいなものなのかもしれない。でも、ラフニカにとってはそうではなくて――。
バッと顔を背けたラフニカの、肩のあたりにぐい、と何かが押しつけられる感触がした。
「……?」
予想外の感触に、そっと目線を向ける。そんな彼女の目に映ったのは、ぐりぐりとラフニカの身体に頭を擦りつけるフェリスの姿。
彼の背中越しに見える尻尾は、満足そうにゆっくりと左右へぱさり、ぱさりと振れていて。
(あ、そっか。猫……)
ぶわりと湧き上がった警戒心が嘘のように落ち着いていき、逆になんだか優しい気持ちが込み上げてくるのがわかった。すぐそこにあるサラサラの金色の髪を撫でてみたい、なんてことをふと思う。
――これは異性を相手にした時ではなく、動物を前にした時に覚える情動。
「じゃ、俺のラフニカちゃん。次は仕事場で会うのを楽しみにしてますぜ?」
しばらくそうしてから、目線だけ上げてフェリスはそう言った。
その顔に浮かぶ、イタズラな笑み。そして彼は、最後に油断しきっていたラフニカの頬にすり、と掠めるように頬擦りをしていく。
咄嗟に反応できなかったラフニカを尻目に、「それじゃ」とフェリスは軽い足取りでその場を立ち去っていった。
「っ…………これだから、猫って生き物は……!」
ラフニカがなんとかそう言葉を絞り出したのは、もう玄関の扉が閉まってからしばらく経ってからのことで。
――油断ならない、タチの悪い、掴みどころのない困った生き物。
頭では思うのに、それでもなお頬の熱はおさまらない。
頬に残るくすぐったさを拭うように、気づけばラフニカは何度も顔を触っていたのだった。




