2 若くも愛らしくもない女
(もうっ……本当に、信用できない男!)
フェリスへの苛立ちから、職場へと戻るラフニカの進む足は無意識のうちにどんどん早くなっていた。
その歩みがふと止まったのは、鏡に映る自分と目が合ったからだ。
飾り気なく、ひとつに束ねただけの焦茶色の髪。冴え冴えとした青い瞳、感情のない生真面目な表情――確かに世辞を言うにも躊躇われる、地味で華のない外見だ。
別に、それを気にしてはいないのだけど。
せめて愛想笑いのひとつでも浮かべられたら違うのだろうか――むに、と頬を摘んで引き上げてみる。
でも、無理やり作った表情は笑顔とはほど遠い不恰好なもの。鏡の向こうの自分が呆れたような冷たい視線でこちらを見る。
くだらないことをした、と自分に呆れて鏡から離れたところで、「おや、ラフニカじゃないか」と聞き覚えのある声が背後から掛けられた。
「……ジファール様、お久しぶりですね。名前で呼ぶのは控えてほしいとお願いしているはずですが」
どうして振り返ってしまったのだろう――真っ先にラフニカを襲ったのは、そんな後悔であった。
苦い思いを噛み締めつつ、できるだけ感情を抑えた声でラフニカは挨拶を述べる。
普段であればきっと、聞こえなかったフリをして無視を貫いていたことだろう。
それなのに反射的に振り返ってしまったのは、鏡の前で百面相していた場面を見られたのではという気まずさを誤魔化す、咄嗟の反応によるものであった。
そこに居るのはフェリス以上に会いたくない……できれば名前を聞くことすら避けたい相手。
アルマンド・ジファール伯爵子息。今となっては思い出すのも穢らわしいその男は、かつてラフニカと浅からぬ縁のあった相手であった。
「ははっ、なんだよ。水くさいな。君と僕の仲じゃないか。君だって、前みたいに僕のことをアルマンドと呼んでくれて構わないんだよ?」
ラフニカの冷淡な反応とは対照的に、ジファールは必要以上に朗らかな笑みを浮かべてずかずかと彼女に歩み寄る。ご自慢の金髪をかきあげる仕草は、いかにも気障ったらしい。
「お断りします。私たちはもう、何の関係もない他人ですから」
ぴしゃりと撥ねつけるが、ジファールにその気持ちは通じない。
それどころか、「またまた」と困ったような笑みを浮かべて肩をすくめてみせた。
「そう拗ねるなって。拗ねて可愛いのはもっと若くて可愛い女の子だけだからね?」
あまりにも話が通じない相手に、ラフニカの苛立ちは募っていくばかりだ。
しかしジファールは彼女の反応など意にも介させず、さらに無神経に言い放った。
「仮にも元婚約者という間柄だから、君のためを思って言ってあげてるんだよ。君だってもう、今年で二十三だっけ? ただでさえ嫁き遅れのくせに笑顔のひとつも見せないんじゃ、一生独り身のままになるぞ?」
笑えなくなったのも独り身なのも、全部アンタの所為じゃないか――そんな言葉が反射的に喉元まで出かかって、慌てて飲み込んだ。
こういう手合いに何を言っても無駄なのは、よくわかっている。無為に時間を浪費するだけだ。
それなら、余計なことを言わずに黙って嵐が通り過ぎるのを待った方が良い。
「ご忠告、ありがとうございます。――それでは、次の予定がありますので」
「だから、そういうところが可愛げがないんだって……あ、そうそう。言いたかったのはそんなことじゃなくて。僕、とうとう結婚することになったんだ。僕としてはもう少し自由でいたかったんだけど……リリアからせっつかれちゃってね」
「そうですか、それはおめでとうございます」
「そういう訳だから、ラフニカの気持ちはわかるんだけどさぁ、僕のことはそろそろ諦めてほしいんだよね」
「はぁ!?」
あまりに予想の斜め上のことを言われて、淡々とした反応を心掛けていたはずのラフニカの声が裏返った。しかし、ジファールの顔は真剣そのものだ。
「僕に会いたくて職場の近くをウロウロするなんて健気だとは思うけど、君も新しい出会いに目を向けなくちゃ」
「すみませんが、何をおっしゃっているのか――」
「ああ、もしかして僕が名前を呼ぶから勘違いしちゃった? ごめんね、ラフニカのことは元婚約者として心配していただけで、特別な感情はないんだ。君は婚約者のリリアみたいに若くも愛らしくもないし……」
「失礼します――急いでますので」
これ以上聞いてはいられないと、呆れて相手の言葉を遮る。それでもジファールは「ごめんね、傷つけちゃった?」と見当違いのことを言うだけで、ラフニカの言葉を聞こうとはしなかった。
――ラフニカのことを気遣うフリをしつつ、その実目の前の相手のことを何も考えていないその態度。
彼はただ自分に都合の良い妄想を繰り広げ、そのシナリオに沿って『思いやりのある自分』を演じているだけなのだ。
話の通じなさに頭が痛くなる。
(これなら、フェリス様の方がよっぽどマシ……!)
もう呼び止められたくないと足早に立ち去りつつ、ラフニカはついそんなことまで考えていた。
フェリスの立ち居振る舞いは軽薄ではあるが、相手をちゃんと尊重しているものだ。優しさも気遣いも心配りも、決して独りよがりの暴走ではない。
ラフニカがフェリスに対して苦手意識を持っているのは――これは今、あらためて振り返ってみて気づいたことだけれど――単なる八つ当たりに近いもので、彼本人に問題があるわけではないのだ。
「ただでさえ嫁き遅れ」「可愛げがない」「若くも愛らしくもない」――ジファールに投げつけられた言葉がぐるぐると頭の中で回る。彼自身が、その元凶のくせに。
別に気にしてないはずのその言葉は何故だか頭を離れず……その日一日中、ラフニカは身体が重くなった気がしたのであった。




