第93話 急に襲い来るもの
ひな祭りのあった週の土曜日。私は久しぶりに海に潜ろうとして用水路の下までやって来ていた。
まだ肌寒いところがあるのでタイツやブーツは欠かせないけれど、マーメイドの体に戻るためには脱がないといけない。本当に面倒だわね。
服ごと変身させられればいいんだけど、さすがに魔法もそこまでご都合主義とはいかなかったわ。
「買い物と海斗とのランニングの間だから、二時間くらいしかないわ。でも、少しでも調べておいて、戻れるようにならなくちゃ」
正直なところ、海斗と恋仲になれればという期待というものはある。けれど、今の私はマーメイドプリンセスである以上、元の世界のことも放ってはおけない。なんといっても、私しか子どもがいなかったんだからね。
そう、私が元の世界に戻ろうという執着が強い理由は、そこ。
こっちの世界でも私は一人っ子だったから、どうしても責任というものが付いて回っちゃう。異世界だと子どもっていうの存在にかかる期待っていうのが大きいからなぁ。なんといっても王族だものね。
だから、私は必死に向こうの世界に戻る方法を模索しているってわけだ。
(でも、正直なところ、海斗と会うたびにあの頃の想いが再燃してくるのよね。だったら、会うのをやめろと言われるところだろうけれど、会いたくなっちゃうあたり、未練があるのね)
私は脱いだ服をカバンに放り込みながら、そんなことを思って大きなため息をついていた。
下半身の服を脱いだ私は、マーメイドの姿に戻って、自分の体を魔法で包み込む。こうしないと、服が海水でべちゃべちゃになっちゃうからね。
準備を終えると、ざぶんと用水路に飛び込んで、沖を目指して泳ぎ始める。
ステルスの魔法を重ね掛けしてあるから、多分人には気付かれないはず。
冬の間は泳げなかった海の中を、まずは私が高波にさらわれた場所まで向かって泳いでいく。
半年前、こちらに戻って来てからも何度か調べた場所だけど、やっぱりこれといって力を感じることはなかった。魔力であれば感じ取れるはずなんだけど、あの高波は魔法によって発生したものではないみたいだわ。
「まあ、そう簡単にはいかないわよね」
海中で大きくため息をついた私は、離れ小島の方向を確認しながら、高波に襲われた場所から離れ小島へと向けて泳ぎ始める。
なんでこんな行動をとったのか分からないけれど、私はなぜか小島の方向へと向けて泳いでいた。
しばらく泳いでいた私だったけれど、途中からなにやら不思議な感覚を覚え始める。
(なに、この酔いそうな感覚……)
マーメイドであるにもかかわらず、海中で気分が悪くなってきてしまう。
どういうことなのか理解できずに、私は混乱してしまう。だって、こんなことは初めてなんだから。
(ダメだわ、耐えきれない。……これはもう引き揚げた方がよさそうだわ)
あまりの気分の悪さゆえに、私は離れ小島へと向けて泳ぎ続けることを諦めざるを得なかった。
今までにはこんなことが起きたことはなかった。同じ海域だって、何度泳いだか分からない。その時は何もなかったから、はっきり言って油断していたわ。
(うぷっ、気持ち悪い……。早く、陸に戻らなきゃ……)
私は海への出入り口として使っている用水路に、気分が悪くなりながらも引き返していった。
どうにか無事に戻り、体を人間の状態にして服を着ていく。だけど、気分の悪さは完全に治りきらず、立ち上がって服を着るのは難しいようだった。
(これじゃ、自転車もこげないかもしれないわね。仕方がない、しばらくここで休むことにしましょう。海斗とやってるランニングも、回復しなきゃ今日はお休みかな……)
海岸で座り込みながら、私は顔に腕を当ててとにかく休息をとる。
とにかく気持ちが悪い。
春めいてきた日差しが暖かくて気持ちいいはずなのに、とにかくこの酔った感じのせいで台無しだわ。
(あ、ダメ。これは回復しそうにないわ……。海斗には悪いけれど、今日はお休みさせてもらわなきゃ……)
思ったより長引く気持ち悪さに、私はとにかくその場を長く動けないでいた。
三十分後、ようやく体調が持ち直していくる。でも、やっぱりどこか気持ち悪いので、体を動かすのもどうにかという感じだった。
「うう、気持ち悪い……」
どうにもならない体調の中、私は引きずるようにしながら、自転車を押して家へと戻っていく。
途中で海斗の家に寄って、休むことを伝えたわ。海斗もちろんのこと、私のことを嫌っているはずの真鈴ちゃんもずいぶんと心配した表情をしていた。そんなに今の私ってばよろしくないように見えたのかしらね。
結局、家に帰ってきてからもあんまりよくならなかったわ。
心配したおじいちゃん先生に診察してもらったけれど、原因は不明。結果、その日はとにかく安静にすることになったわ。
私は厨房に立つ力もなくて、夕食はおじいちゃん先生の作ってくれたおかゆを食べることになってしまったわ。
でも、体調不良と引き換えに、ひとつ情報を手に入れることはできたわ。
やっぱり、あの離れ小島には何かがある。これは間違いないことよ。
気持ち悪さが続く中、私は調べる対象をはっきりと絞り込むことができた。すぐにでも調べにかかりたいけれど、早くよくならないかしらね……。
意気込みとは裏腹に、その日の夜は気持ち悪さのせいで思うように寝付くことができなかったわ。




