第88話 三月二日
「あれっ、おじいちゃん、何をしているの?」
日曜の朝、おじいちゃん先生が何かをしている。気になった私はつい尋ねてしまう。
「なぁに。明日は午後を臨時休診をするから張り紙を用意しておるのじゃよ」
「えっ?」
おじいちゃん先生の言葉に、私は目が丸くなってしまう。一体どうしてそんなことをするのかが気になるわ。
「せっかくひな飾りを出したというのに、何もしないわけにはいくまいて。それに、そろそろマイがうちにやって来てから半年じゃ。親代わりとして何もしないわけにもいかんじゃろう」
「おじいちゃんってば……」
おじいちゃん先生が話した内容に、私はなんでかちょっとうるっときてしまった。半年間の生活で、おじいちゃん先生と本当に家族になっちゃったような気がするわ。
「そういうわけでな。午前中で診察を終えて、午後はマイが帰ってくるまでにいろいろと準備をしておこうというわけじゃよ」
「ありがとう、おじいちゃん」
微笑みながら話すおじいちゃん先生の姿に、私は本当にただただ嬉しくなるばかりだった。
血のつながりはないし、今の私は異世界帰りの厄介な存在のはずなのにね。実の親にもここまでしてもらったか、ちょっとよく思い出せないけど、記憶にはないかもしれないわね。
にしても、そういうこと全部対象である私に話してしまうあたり、おじいちゃん先生ってば正直で隠し事のできない性格みたいね。私のことは秘密にしてくれているから、私に対して特段甘いのかもしれない。
だけど、おじいちゃん先生がいろいろやってくれるっていうのなら、私はそれを受け入れようかしらね。
「それな、マイ」
「うん、なに、おじいちゃん」
おじいちゃん先生の話には続きがあったみたい。
ちょっとびっくりしながらも、おじいちゃん先生の話の続きを聞くことにする。
「今日、海斗くんと走る際には、明日のことを伝えておくのじゃぞ。わしが構うから、明日はお休みすると、な」
「うん、分かったわ。こればっかりはしょうがないもの」
おじいちゃん先生のお願いを私はすんなり聞き入れた。何も言わずに休んで待たせるわけにはいかないからね。
どの世界でも礼儀は基本だからよ。ましてや、今の私はマーメイドプリンセス。他者の見本とならなきゃいけない存在だから、そこをおろそかにするわけにはいかないもの。
……って、すっかり人間の生活をしているせいで、少し自分がそういう存在だってことを忘れそうになるわ。毎日の生活で水魔法を使うことを心掛けているから、なんとか覚えていられるようなものだわね。ははは……。
とりあえず、今日もやることをやりますか。
おじいちゃん先生との話を終えた私は、いつもの日曜の生活をすることにしたのだった。
そして、夕方を迎える。
今日はちゃんと走るから、私は服を着替えて出かけることにする。
「マイ、気をつけるのじゃぞ」
「うん、おじいちゃん。行ってくるね」
私は玄関から家を出ていく。
暖かくなってきたことに加え、私の体質も改善してきたことで、ちょっとずつ厚着から服装に変化が出てきた。とはいえ、長袖三枚にタイツ二枚重ねとショートパンツというまだまだ分厚い状態なんだけどね。その上からもう一枚羽織っているわ。
先に到着して、私は海斗がやって来るのを待つ。
「あっ、お兄ちゃーん!」
しばらくすると、海斗が真鈴ちゃんと一緒にやって来た。
「よう、マイ」
「マイ、こんにちは」
「うん、こんにちは」
二人とも素っ気なく挨拶をしてくる。だけど、海斗はまだ笑顔なだけマシかな。真鈴ちゃんは、明らかに表情が険しい。やっぱり、仲良くしようなんて気がないじゃないのよ。
とはいえ、私と顔を合わせようとしてくれるのはいい傾向なのかしらね。私はそう思うことにした。
「それじゃ、走るぞ」
「うん」
会うなり、海斗は遠慮なく走り始めた。
練習試合とはいえ、悔しい思いをした。それからというもの、海斗は毎日のように走っている。
何度見ても、その姿はどこかかっこいいなぁと思う。
毎日のように会っていた、前世の同級生の時にはまったく思わなかったことだわ。私だけが経験した、十数年間離れていたという現実が、私の気持ちに変化を与えたんだなって思えるわね。
「どうしたんだよ」
「えっ、な、なんでもないよ」
「嘘ばっかり。お兄ちゃんのことをじっと見てたじゃないのよ」
信号待ちのタイミングで海斗に声をかけられて、私はつい動揺してしまう。そこに真鈴ちゃんが便乗してきて、さらに私は動揺が止まらなくなる。
「だ、だって。お兄ちゃんを見てないとはぐれるかも知れないじゃないのよ」
「そうだぞ、真鈴。あんまり疑いを持つな」
「ぶぅ……」
私の言い訳を海斗がフォローしてくれると、真鈴ちゃんは思いっきり頬を膨らませていた。やきもちなのかな、これって。
この時の私は、とにかく真鈴ちゃんの仕草のことを可愛いなと思っていた。
そうして、走り終えて私は家まで戻ってくる。
「あっ、お兄ちゃん。ちょっといいかな?」
「なんだ?」
「明日、おじいちゃんとの約束があるから一緒に走れないの。ごめんなさい」
私は忘れないように明日のことを伝えておく。
「そうか。それで、あんな張り紙がしてあるんだな」
「え?」
海斗の言葉に私が医院の方へと顔を向けると、そこには『月曜午後は、私用により臨時休診します』との張り紙があった。朝に用意してたやつだわ。
「そういえば、三月三日か。まっ、先生とゆっくりするんだな」
「うん、そうする。ごめんなさいね」
「いいよ。先生はずっと一人だったんだからな。それじゃな」
「うん、またあさってね」
私は手を振って、海斗たちを見送った。
伝えることも伝えたし、安心した私はしばらくにっこりと微笑んでいた。




