馬鹿どもの王
こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかったんだ。
最初は軽い気持ちだった。金さえ巻き上げられれば、あとはどうだってよかった。俺の立ち上げたセミナーは、家族関係に悩む人々を啓発するためのものから、次第にスピリチュアルな方向へとシフトしていった。なけなしの理論を用意する手間が省けるし、もっともぶった根拠を突かれずに済むからだ。
けれど、受講者に疑念の余地を与えないということは、盲信を強いるのと等しいことに俺は気づかなかった。彼らの一部は俺を崇めるようになっていった。俺が右といえば右を向き、左といえば左へ進む……。幼い頃に夢見た王様になったようで、俺は以前より貢がせやすくなった状況に浸かりながら、阿呆な彼らを嘲笑っていた。
今はもう、その愉悦は欠片も残っていない。
「セミナーが叩かれてるやつ、大丈夫なの?」
ある日の講座が終わった帰り道。ともにセミナーを立ち上げた仲間の一人が、俺へ声をかけた。その声色は、他愛ない会話を投げ出すかのように軽かった。
だが、俺の心臓は強く締め付けられていた。SNS上で受講生の間抜けな言動が炎上し、芋づる式にこのセミナーも批判される羽目になった。非科学的な商品の売り付け、洗脳に近しい受講者への啓発、高額かつ抜け出しにくい料金システム、心の傷を負って盲目になりやすい人々をターゲットとする悪質さ……。
全てその通りだ。俺だって分かっていてやっていた。
こんなセミナー、ぼろぼろに叩かれたって当然の代物だ。それを覚悟で受講者たちを騙していたんだ。大金を得るためには相応のリスクを背負うことになる。この現状だって、頭の片隅ではずっと予想していたものだ。
炎上なんて一過性で、少し時間が経てば忘れ去られるだろう。少しだけ、少しだけ耐えればいい。でも……。
俺の心は限界に近かった。
セミナーの顔となってしまった以上、全ての批判は俺へも突き刺さるのだ。セミナーでの言動だけじゃない、容姿や経歴をもからかわれ、ありもしない発言をでっちあげられ、危うく住所の特定までされかけた。何より、俺は不名誉な肩書を、そして否定しがたい現実を、眼前に突き付けられたのだ。
『あんな奴が信じてる人間なんて、たかが知れてるだろ』
そうだ。俺は今まで、受講者のことを頭の弱い馬鹿だと思っていた。ならば俺は、馬鹿どもの王だ。小学生でも分かる嘘をつけばキャーキャーと褒め称えられ、壁の落書きにも満たない発言を必死な顔で記録され、自分で考えもしない奴らに「導き」を請われる。
そんな奴、道化以外のなんだっていうんだ?
受講生たちに崇拝される日々。一日一日が積み重なるごとに、俺は惨めさを感じるようになった。馬鹿を泳がせている優越感のあったセミナーでも、だんだんと恐怖が湧くようになっていった。彼らが思考を捨てるたびに、俺の滑稽さが増していく。自分が作り出した泥沼に引きずり込まれるようで、簡単に足を切ることも出来なくて、心は無数の鎖に縛り付けられていった。
「……何、本当は炎上してビビっちゃってるの?」
「違うさ。俺は大丈夫だ」
「ま、そっか。受講生たちは味方だもんね」
味方。
その言葉に鳥肌が立つのを感じながら、俺は適当な相槌を打った。
「にしても、よくここまで偉くなったよね。小遣い稼ぎくらいに思ってたのに、今じゃみんな、あんたの言うことなら何でも聞いちゃいそうじゃん」
彼女の発言の一つ一つが最悪な現状を肯定していく。
俺は慎重に、それでいて投げやりに、とある質問を吐き出した。
「なんでも聞きそうって、さすがにないだろ?」
「そりゃ、全員は聞かないだろうけどさ。ブログのコメ欄とかで、なんでもあんたに尋ねてくる奴いるじゃん。そいつなら信じるかもよ?」
「じゃあ……」
沈黙の間に、永遠と思える時間が流れた。
実際には一瞬だったのかもしれない。どうでもいいことだけれど。
「『こんなセミナー、信じるな!』ってのは?」
彼女はふわふわした声でうーんと悩んだ後、「さすがに無理じゃない?」と返してきた。
「私たちにすがって生きてるからさ。もたれかかる先がなくなったら、倒れちゃうでしょ?」
「まあ、だよな。結局は自分のために生きてるんだもんな」
そんなセリフを言っていると、ますます自分が哀れな存在に思えてきて、俺はたまらず息をついた。
「あ、そうそう。次に売りつけるやつを考えてほしいの」
「……次?」
「最近受講者も増えてきたし、稼ぐ方法も増やしとくべきかなって。あんたの私物を売るでもいいし、あんたに何かをしてもらう権利でもいいし、案を用意しといてよ」
「……ああ。考えとくよ」
次。その単語を告げられたのは何度目になるだろう。次が終わっても、また次があって、そのまた次もあって、死ぬまで続いていくのかもしれない。
終わりを迎えた時、果たして俺はどうなっているのだろう。ただ金が欲しかっただけの、本来の俺は残っているのか。虚言と妄言を散らす醜いピエロだけが、のうのうと生き汚さを晒しているんじゃないのか。
その日の晩、俺は眠れなかった。
ぼんやりとした不安と恐怖が胸を満たしていたのだ。
どうして引き返せないところまで来てしまったんだ。自問の答えは明白で、単純に金が欲しかったからだ。俺が「馬鹿どもの王」に変わりゆく様は、本来の俺が導いた状況なのだ。
毛布の中でじっと考えていると、何が元の自分で、今の自分がなぜ駄目なのか、ぼやけて曖昧になってくる。そんな現状がおかしいことだけは、直感で理解できていた。
引き返せないのなら、前へ進むしかない。問題は進み方だ。このまま受講者たちに囲まれる日々を送るのか、セミナーのシステムをガラッと変えてしまうか、それとも……。
「全部、ぶち壊すか……」
普段から封印していた考えだった。セミナーの設立者として、大量の盲信者を抱える身として、それはあまりに危険な思想だった。
でも、俺は参っていたんだ。雨粒のような不安が心へ溜まっていって、この夜、とうとう濁流となって溢れ出したんだ。
俺はすっと立ち上がってパソコンへ向かい、セミナーの公式ブログを開いた。スピリチュアルな横文字の羅列に眉をしかめる。その意味を総じて理解できることがなおさら不快だった。
『新商品を売ります(先着3名)』
新しい投稿の題名を綴っていく。
商品。売る。そんな言葉、最近は滅多に使わなくなっていた。あくまで売りつけの目的は利益じゃなく、善意の救済、それのみであった。
俺は破滅へ向かいたかった。盲信してる奴らに幻滅して欲しかった。もう、彼らに都合のいい存在にはなりたくなかった。そんな意思を込めて題名を決めたのだ。
また、先着3名にしたのは理由がある。
これから俺がオンラインショップに追加する商品は、生産方法を鑑みると、あまり大量に供給できない。したくもない。少しでも正気が残っていれば、受講者だろうと絶対に欲しがらないであろう代物だ。
俺は無心で本文を書き進めた。
『昨晩の夢の最中、私に天啓が訪れました。徳を積んだ私は神に等しい存在へと昇格したため、代謝により生産される全ての物体には『聖人の魂』が込められ、至上の美味が付加されるのです。そこで至急、受講者の方への施しとして、以下の神物を創造いたしました。ぜひ癖になる美味をご堪能ください』
それから、オンラインショップに商品を追加した。
『おいしい吐瀉物 1000000円』
サンプルの写真はネットから拾ってきた、なるたけ生々しく汚いゲロを。説明文にはわざとらしく厳かな文章を。そして、全ての過程にありったけの狂気を。
こうすればみんな気づくはずだ。セミナーはまともな団体じゃない。イデアも何もかも想像上の概念で、自分達は騙されていたんだ。こんな狂った奴らから離れてしまいたい。神なんていなかった!、と。
全ての準備を終え、俺はエンターキーを力強く叩いた。
数十秒後に鳴った着信音を無視して寝床につく。気分は清々としていた。自分を取り戻したような、時計が再び針を進め始めたような、爽やかな気分だった。
翌朝。寝ぼけ眼で起きると、携帯の画面が大量の通知で埋まっていた。構う気なんてちっともない。あのセミナーはもうおしまいで、俺は受講生たちに見捨てられていて、もう何の地位も責任もないのだ。
通知を消すために画面へ眼をやる。運営メンバーからの中傷、関係を持っていた受講者からの呆れ、インチキグッズを生産していた会社からの非難……。全ての文面にマイナスな感情が込められている。
そうだ、これでいい。もう誰も俺を褒め称えなくていい。見捨ててくれ、ののしってくれ。俺をあの王座から解放してくれ。
興奮を覚えながらスクロールを続けていると、ふと、ある通知が目に留まった。昨日の帰り道で一緒だったメンバーが、一枚の画像を送信していたのだ。
『あんたは王様以外になれないよ』
俺はやけに気味の悪い感情を覚えた。指が液晶の上で停止する。これを押下してしまえば、考えうる限り最悪の未来がやってくるかもしれない。そんな危惧に駆られていると、新しい通知が届いた。
それはセミナー開設以来の受講生からの連絡で、彼とは個人的な付き合いも出来ていた。そこには普段とは打って変わった無機質な文面で、「縁を切ります。さようなら」とだけ書かれていた。
……うん。俺はもう王様じゃない。大丈夫だ、きっと大丈夫。
そうしてひと思いに、彼女から送られた画像へ目を向けた。
一枚のスクリーンショットだった。よく見覚えのあるオンラインショッピングのサイトで、画面上部には大々的に吐瀉物の写真が映し出され、その下には会員限定のコメント欄が続いていた。
明らかに俺が昨日投稿したものだった。でも、二つ、昨晩目にした光景とは、俺が心の底から願っていた状況とは、異なる点があった。
一つ目。商品は、「おいしい吐瀉物」は売り切れていたのだ。
在庫数は0点となっていた。何度目を擦っても、その事実は変わりなかった。
必死に都合のいい理由を探す。幻滅した会員が悪ふざけで購入したとか、システムのバグだとか、運営メンバーが被害を拡大させないように買ったのだ、とか……。しかし、どれも俺が設定した「百万円」という値段により信ぴょう性を失くしていた。
彷徨うようにサイトをスクロールする。画面下部にはコメント欄が続いていて、そこには会員たちによる大量のコメントがあった。彼らが書き込んでいるであろう誹謗中傷、落胆の声だけが、今や救いだった。だが。
『起床時に確認しましたが、すでに売り切れてしまっていました。ここ数週間はろくなものを食べられておらず、生活も貧しいですが、先生のおっしゃった鍛錬だけは欠かさずに続けています。どうか、普段の行いに免じて、もう少し価格を下げて販売していただけないでしょうか。私も味わってみたいです。』
『購入させていただきました。夫が亡くなって以来、食べ物が喉を通らない日々が続いています。この神物が届くのを楽しみに待っています』
『再び注文できる機会をください。ぜひともよろしくお願いします。』
ああ、やっぱりこいつら。
通知音がピコンと鳴った。
画像の下に、彼女はこう続けた。
『あんたが生んだ奴らだから、責任取ってよね』
……そして俺も。
いや、俺こそが。
馬鹿以外の何者でもないじゃないか。
虚しい涙が瞳を覆う。何をしたって現状を変えることは不可能なんだ。どうしたって俺を信じる人間は消えないんだ。
なぜなら、俺が全てを作り出したから。
死ぬまで俺は馬鹿どもの王だ。それ以外には決してなれない。俺が作り出した阿呆どもの前で、間抜けに踊り狂う人生、俺にはそれしかない。
頭の中が真っ暗になった。絶望という二文字では片付けられないほど、どす黒い感情が全身に渦巻いていた。その場にへたり込んでしまっても、後悔や憂いの嵐は止まなかった。
やがて、俺は吐いた。俺の中の全てを取り除くように吐いた。しかし、吐いたって、吐いたって、現実や絶望が消え去ることはなかった。
口の中は吐瀉物に塗れていた。不味さと気持ち悪さで、俺はまた吐いた。もちろん、美味しさなんて微塵も感じはしなかった。




