アニメが紡いでくれた恋はアルプススタンドから始まった
暑い!
甲子園のアルプススタンドがこんなに暑いとは。
グラウンドではもうしばらくすると熱い戦いが繰り広げられるのだが、こっちはすでに暑い戦いが始まっている。
俺は、浜島真。
高校2年生の16歳だ。
今、俺の通う高校の野球部の応援に、甲子園に来ている。
何せ、県立の普通科高校で28年ぶりの出場だから、応援の生徒や先生といった学校関係者や保護者、OBなどでアルプススタンドはごった返してる。
前の試合が終わって、待機場所から皆と一緒に応援席に向かって進んだが、トイレに行きたくなって離れたのがいけなかった。
用を足してスタンドに入ると、もう空いている席がないではないか。
友達や知り合いの隣なんて言っている場合じゃない。
とにかく座らないと。
上へ上へと階段を上るが、空いた席なんてない。
あっても、荷物が置かれている。
焦りながら、上り続ける。
あった!
しかも、一番手前に。
その隣に座っている女子生徒に尋ねる。
「この席空いてますか?」
「空いてると思いますよ。最初は座ってる人がいたんですけど、もう長い時間戻ってきませんし。いいと思いますよ。」
微笑んで答えてくれた。
「ありがとうございます。」
一つ括りの髪が似合う清楚な感じのかわいらしい子だ。
下級生か、同級生か、上級生かもわからないし、こんな状況で何かを期待してもしょうがない。
彼女の隣に座って、試合が始まるのを待つ。
それにしても暑い。
ただ座っているだけなのに、汗が吹き出して、したたり落ちる。
何気に見てしまったが、彼女の隣の席には、小さなポーチと水筒が置かれている。
一人かな?
尋常でないほどに暑いと聞いていたから、タオルを持ってきておいてよかった。
すでに一本目が絞れるほどなって、二本目に突入している。
顔全体と顔の横、首の後ろと目を閉じて拭いていたら
「えっ、真ちゃん、こんなところにいたの?」
と通路から声が掛かった。
目を開けると、同じクラスの滝川健が立っている。
「あー。ちょっとトイレに寄ったら座るとこなくなってて。やっとここに座れたよ。ケンの近く、空いてない?」
「空いてないな。」
即答された。
隣の子に気付いて
「あっ、村尾さん、久しぶり。」
「久しぶりだね、滝川君。」
「全然会わなくなったな。」
「うん、階が違うから。」
「じゃ、俺もトイレなんで行くわ。でもよかったじゃない真ちゃん、村尾さんの隣って。すげえラッキー。」
ニヤッとしてケンが言い逃げする。
隣の子の顔が赤くなっている。
「ごめん、あんなあやつで。ケンと知り合いなんだね。」
「同じ中学校。3年のとき同じクラスだったの。」
「そう。」
世間は狭い。
というより、同じ2年ってわかったことが先だろ。
1学年が8クラスあるから、知らない子の方が圧倒的に多いのが現実。
特に階が違うとすれ違うことすらない。
対戦相手は、京都の宇治市にある高校。
宇治市と言えば、去年のあの京都アニメーションの事件が思い出される。
アニメが好きな俺としては、京アニの作品はすごく好きな作品が多くて、あの事件には本当に胸が痛んだ。
両校のアルプスがだいぶ落ち着いた頃、突然、相手校のアルプスからソロのトランペットの音が響いた。
耳に届いた瞬間にわかった。
響けユーフォニアムのオープニングの前奏だ。
申し合わせたわけでもないのに、俺たちのスタンドでも一人、また一人と立ち上がり、曲に合わせて胸の前で手を叩く。
みんな、わかっている。
この曲が吹かれている理由が。
俺も、隣の子も立ち上がって手を叩く。
俺は、この作品が好きで、何回転見たかわからない。
歌詞が口をついて出る。
視線を感じて右を向くと、隣の子が俺を見ている。
そして、その子も、しっかりと歌っている。
互いに目を合わせたり前を向いたり、また目を合わせたりで最後まで歌った。
普通、10分ほど前に偶然に隣合わせた男女の高校生が、こんなことをするか?
よく、甲子園には魔物がいると球児や監督が言うが、甲子園のアルプスに潜む魔物が、俺たちの気持ちを異常なまでに昂らせたせいに違いない。
演奏が終わるや否や、球場全体から大きな歓声が上がり、しばらく拍手が鳴り止まなかった。
みんなが座るのに合わせて、俺たちも座る。
「僕、この曲好きでね、フルコーラス歌えるよ。」
前から知っている友達のように、自然に話せるのが自分でも不思議だ。
「私も好き。・・・あの・・・あのね・・・アニメって好き?」
かなり慎重に、探るように聞いてくる。
この様子じゃ、普通に返事をしたのでは、警戒が解けずに本当のことを言ってもらえそうにない。
「好き。すごく好き。家でサブスクを契約してて見まくってる。」
全部をぶつけた。
それを聞いて、彼女はまるで無防備な幼い女の子のようにパっと明るくなった。
「私も、アニメがとっても好きなの。うちでもサブスクを契約して見てるよ。でもこれは、お兄ちゃんんが契約してるのを使わせてもらってるんだけど。」
さっきまでとはまるで別人のような人懐っこい微笑み。
普通に話しながらも、そういえば、俺は彼女のことは、村尾さんということと、ケンと同じ中学校の卒業ということくらいしか知らない。
村尾さんも、もちろん俺のことは何も知らない。
ケンの友達の真ちゃんという以外は。
「僕、2年2組の浜島真。」
「私は6組。村尾早紀っていいます。」
なぜか、最後だけ丁寧語。
ここは頑張ってみる。
「村尾さん、この後、学校でもアニメの話してもらえる?」
「えっ!いいの。そんなの初めて。」
「うん。ていうか、村尾さんって、アニメに詳しそう。いい作品を教えて欲しいな。」
「私なんて、全然詳しくないよ。好きなのを好きに見てるだけ。」
「僕もそう。いいものはいいよね。理屈じゃない。」
早紀の表情が少し曇る。
「でもね、うちの学校って、アニメが好きって言ったら馬鹿にする人、いない?」
いる。
本当に腹が立つほどに、そういうヤツらがいる。
進学校で頭がいいヤツが多いだけに、自分の価値基準だけが全てで、気に入らないものを何でも切り捨てるヤツがいる。
「いるよな。アニメだっていうだけで。」
「うん。入学して最初の頃にアニメが好きって言ったら、幼稚だみたいなこと言われて、それ以来、誰にも言えなくなったの。」
「俺は言ってるよ、アニメが好きって。そこで何か言われても、気にしない。そんな残念なヤツには何を言ってもしょうがないから。でも、日本のアニメって、ジャパニメーションっていう言葉があるくらいに、クオリティーが高くて海外からも評価が高いよね。日本のアニメを見て、日本に来たくなった人もいっぱいいるし。少し前に何かで見たんだけど、日本のアニメの中のような高校生活をしたいと思って日本に留学したどこかの国の女子高生もいたよ。」
「そうなの?」
「うん、ちょっとびっくりした。みんなと同じ制服を着て、一緒に登下校して、一緒に高校生活を過ごしたいって思ったんだって。」
「ふーん。私たちには当り前だけど、外国の女の子にはあこがれる子がいるんだね。」
「そうらしいな。」
試合が始まった。
1点取ったら、その裏に1点取られるシーソーゲーム。
5対5で9回に入る。
ラッキーな内野安打で、表で1点が入った。
裏の攻撃を抑えたら勝ちだ。
だが、その裏、2アウトながら、2,3塁。
ワンヒットで逆転サヨナラ負けの場面。
俺も早紀も息を飲み、戦況を見つめる。
ピッチャーが投げる。
ボール。
これでフルカウントになった。
早紀が俺を見る。
瞳が揺れている。
震えている早紀の左手に、俺の右手を重ねる。
その上に早紀が右手を重ねる。
その手も震えながらギュッと俺の手を握ってくる。
ピッチャーが投げる。
ストライク、バッターアウト、ゲームセット。
「あー!」
胸の前で手を組んで、大きな歓声を上げる早紀。
その後、早紀とハイタッチ。
本当は、ハグしたかったけど。
次の試合の応援団との入れ替わりで、大急ぎで出なければならない。
早紀と並んで歩く。
「あの、村尾さん。」
「何?」
「次の試合も、隣に座っていいかな?」
「うん。もっといっぱい話がしたいな。アニメ以外の話も。」
嬉しそうで恥ずかしそうな早紀。
思ってもみなかった最高の返事。
ここでいかなきゃどこでいく。
今まで生きてきた中で、一番頑る。
「早紀ちゃんって、呼んでいい?」
「えっ?」
そりゃ、驚くわな。
でも、すぐに笑顔に戻る。
「うん、いいよ、真ちゃん。」
暑いアルプスに、心地いい風が吹いた。




