9.また君と話したくて
あの日以来、図書室で彼女の姿を見ることはなくなった。
でも、俺は毎日学校の帰りに彼女の家を訪ねた。
「元気?」
「ごはんちゃんと食べてる?」
最初はどんな言葉をかけていいのかわからずに、そんな言葉しかかけられなかった。
次の日、昼間に大雨が降った。
道端の水たまりがまだ光っている。
静かな窓に向かって、笑みを含んだ声を投げる。
「今日は雨がすごかったよ。君なら、きっと物語の挿絵みたいだって言うんだろうな」
静けさの中に俺の声だけが響く。
俺の声は彼女に届いているのだろうか。
不安に押しつぶされそうになるけど、図書室で彼女の好きそうな本を見つけると、やっぱり彼女に会いたいと思った。
「図書室で新しい本を見つけたんだ。君が好きそうな物語だよ」
沈黙しか返ってこなかったけど、諦めずに声をかけ続けた。
けれど、やっぱり寂しさは募る。
「……君に会えないと、毎日がつまらないんだ」
俺の声は、独り言のように響いて消えた。
今日はどんな言葉をかけようか……そんなことを考えながら門の前に立った。
その時、二階の窓に影が揺れたのを見た気がして、胸が熱くなった。
「桃花ちゃんッ!」
すると、窓が少しだけ開いた。
久しぶりに見た彼女は、痩せ細っていたけれど、瞳は前と同じきれいなままだった。
「……もう、私のことは放っておいて」
その声は震えていた。
薄暗い部屋の中から漏れる彼女の声は、まるで自分自身を追い詰めているように聞こえた。
俺は息を吸い込み、真っすぐに答えた。
「放ってんなんておけないよ。俺は何度だって来るよ。君に会いたいから」
「なんで……なんで私なんかに」
その呟きには、呪いへの恐れと、自分を信じられない苦しさが混ざっているようだ。
俺は、正直な気持ちを言葉にのせる。
「また君と、本の話をしたいんだ」
彼女の緊張が少しだけ和らいだ気がした。
そして、どうしても彼女に伝えたかった言葉を口にした。
「この前のクッキー、美味しかったよ」
彼女の瞳が、驚きに見開かれた。
「……食べてくれたの?」
「うん、できれば、また作ってほしい。今度は一緒に食べよう」
彼女の大きな瞳が揺れ、ポロポロと大粒の涙が零れ落ちた。
触れられそうで触れられないこの距離が、余計に胸を切なくさせた。
「……ごめんなさい」
震える声でそう言うと、彼女は部屋の奥に姿を消してしまった。
でも、言葉とは逆に、孤独から逃れようとする彼女の気配が伝わってくる気がした。
「また明日。じゃあね」
俺はできるだけ明るい声で、彼女が消えた部屋に声を投げた。
図書室でいつものように彼女を待っていた。
やっぱり今日も来ない……そう思ったとき、遠慮がちに扉が開いた。
そこには緊張に肩を強張らせた彼女が立っていた。
彼女が一歩足を踏み入れた瞬間、ほのかに甘い香りが漂った。
遠慮がちに差し出された手には小さな包み紙。
「……この前のお詫び……」
「やった! クッキーだ」
思わず喜んでしまったけど、彼女の言葉が気になった。
「お詫び?」
首を傾げる俺に、彼女の顔が曇る。
「この前……驚かせてしまったから……」
この前のことを口にするのは、彼女にとっては勇気のいる事だっただろう。
ここへ来るのにもきっと、すごく悩んだに違いない。
でも、俺は彼女が図書室に来てくれたことが嬉しくて、また彼女と一緒に本の話ができることに喜びを感じていた。
「そんな事、ぜんぜん気にしてないよ。それより、これ食べていいの?」
彼女が微かにほほ笑んだ。
「あの物語に出てきたクッキーって、最後の一枚のクッキーを半分こにしてさ、仲間になって一緒に冒険に出発したんだよね」
俺はクッキーを半分にして、彼女に差し出す。
彼女は一瞬ためらったが、そっと手を伸ばしてクッキーを掴む。
「さあ、俺たちの冒険の始まりだ!」
恥ずかしかったけど、物語の主人公のセリフを真似た俺を、彼女は一瞬目を見開いたあと、クスッと笑った。
その笑顔を見ていると、胸の奥が温かくなる。
彼女が抱えているものの重さを知っているからこそ、この瞬間がより大切なものに感じた。




