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3.初めての会話

 言葉通り、俺は毎晩図書室へ足を運んだ。

 彼女の姿を見つけ、胸が高鳴る。

 今夜も来ている。

 窓際の一番奥の席で、いつものように懐中電灯の小さな光を頼りに本を読んでいる。

 少し離れた席に座った。

 木製の椅子が微かにきしむ。

 彼女の動きが一瞬止まった。

 また逃げてしまうのかと思ったけど、彼女はその場に留まり静かに本のページを捲った。

 それを見て、ふっと胸を撫でおろすように息を吐いた。

 静かで穏やかな時間がゆっくり流れる。

 古い本の匂いと、外からは虫の声が聞こえてくる。

 三十分ほどで、彼女は席を立ち図書室を出ていく。

 その後ろ姿を見送る。

 そんな毎日の繰り返し。

 視線を交わすこともないし、何を話すわけでもなかった。

 ただ同じ空間に居るだけ。

 それでも彼女と一緒の時間を過ごせることが嬉しかった。

 同じ静寂を共有する。

 それだけで胸の奥が満たされるような気持ちになる。

 今日も棚から本を一冊とり、いつものように彼女から少し離れた場所に座った。

 本を捲って冒頭を読み始めた。

 けれど、話が全く分からない。

 登場人物の関係も、背景も、まるで映画を途中から見始めたような感覚だ。

 ふと、彼女の方を見ると、相変わらず懐中電灯の小さな光を頼りに本を読んでいた。

 その集中した横顔に、思わず見とれてしまう。

 この穏やかな時間を壊したくない。

 でも、もう少しこの距離を縮めたい。

 勇気を振り絞って、口を開いた。

「……その本、おもしろい?」

 自分でも驚くほど小さな声だったけど、それでも図書室の静けさの中では、妙にはっきりと響いて聞こえた。

 彼女の肩がわずかに震えた。

 ゆっくりと視線がこちらに向けられた。

 月明かりの下で光った瞳には、戸惑いと警戒心が入り混じっている。

「……あなたには関係ありません」

 冷たい言葉。

 でも、今までみたいに逃げ出さなかったことに、小さく息を吐く。

 これは進歩だと、自分を奮い立たたせる。

「ごめん。でも、俺が読んでる本、ちょっと難しくて……」

 そう言って本を差し出した。

 彼女はちらりと表紙を見ると、すぐに視線を戻した。

 やっぱりダメか――。

 また拒絶されるのかとあきらめかけた時、ふいに彼女から言葉が返ってきた。

「……それ、二作目ですよ」

 返ってきたのは意外な言葉だった。

「え?」

 自分で話しかけておきながら、言葉が返ってきたことに驚いて、思わず聞き返してしまった。

「順番を間違えてます。前の巻を読まないと……内容が分かりにくいと思います」

 冷たい声音なのに、どこかためらいがちだった。

「そうなんだ。どうりで冒頭から意味が分からなかったわけだ」

 俺は思わず笑ってしまった。

 彼女と会話ができたことに嬉しさが込み上げて、自然と声が弾んだ。

 そんな俺とは対照的に、彼女は小さくため息をついた。

 すると、本を閉じ、棚へ向かった。

 迷いなく指を滑らせ、すぐに一冊を抜き取る。

「これが一作目です」

 差し出された本を受け取ると、彼女は再び自分の席に戻り、灯りを頼りにページを開いた。

 それ以上は何も言わなかった。

 けれど、ほんのわずかでも、彼女が俺に関わってくれた。

 それが嬉しくてたまらなかった。

 本を胸に抱きしめそうになって、慌てて思いとどまる。

 その後はいつもと同じように時間が流れ、彼女は図書室を後にした。



 彼女が渡してくれた本を、俺は数日かけて読み切った。

 正直、最初は彼女とともに時間を過ごすためだけに手にした本だった。

 だから、彼女と一緒に居る時間は本よりも彼女のことが気になって、本の内容は全く入ってこなかった。

 けれど、家に帰って読んでみると夢中になってしまい、気づけば深夜0時を過ぎていたってことが続いた。

 こんなにも本の世界に引き込まれたのは初めてだった。

 俺は意を決して、声をかけた。

「この前の本、すごく面白かったよ」

 今回は前回よりも、少し大きな声で話しかけることができた。

 ページを捲っていた彼女の指が止まる。

 やっぱり声をかけたのは失敗だったか……胸がざわついた次の瞬間――。

「……どのあたりが?」

「え?」

 戸惑う俺に、彼女の冷たい視線が刺さる。

「嘘……だったんだ」

 その言葉に、胸が痛んだ。

 これまで適当な言葉を返され傷ついたことがあったのかもしれない。

 でも、俺は違う。

「う、嘘じゃない! 最初の方は分かりにくかったけど、後半、主人公が仲間をだましてひとりで敵に向かって行くところは、すっげーワクワクした」

 思わず興奮気味に答えてしまった。

 驚かせてしまっただろうかと、彼女の様子を伺うと、意外にも彼女の表情は柔らかかった。

 その瞬間、普段の警戒心に満ちた表情とは違う、年相応の少女の顔が見えた。

「……あそこは確かに、手に汗握るっていう展開でした」

「そうなんだ。仲間を欺くんだけど、ズルじゃなくて――」

 興奮する俺の言葉につられた様に、彼女の声も弾む。

「そうなんです。ちゃんと計算していて、主人公の覚悟と戦略が詰まってました」

 普段は冷たく突き放す彼女が、夢中になって次々と言葉を重ねていく。

 目が輝いて、頬にほんのりと赤みがさす。

 こんなにも感情豊かな表情をするのか。

 そのギャップに、俺はただ聞き入ってしまった。

「それに、主人公の心の変化の描写も巧妙で、最初は復讐心だけだったのが、仲間との絆をとして、守りたいものができていく過程が――」

 やがて我に返ったのか、彼女はハッとしたように口をつぐむ。

「……すみません。余計なことを……」

 まるで自分が何か悪いことをしてしまったかのように視線を落とすと、彼女は席を立った。

「もっと……もっと聞きたいんだけど」

 慌てて引き留める。

 彼女の肩がほんのわずかに震えた。

 返事はなかった。

 けれど、今夜初めて彼女は立ち止まった。

 振り返りはしなかったけれど、ほんの少しだけためらうように佇んだ。

 結局彼女はそのまま図書室を出て行ってしまったけど、期待で胸が膨らむ。

 次はもう少し彼女と話せるだろうか……。

 


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