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11.鬼の脅威

 それからの夜の図書室は、少しだけ温かさを取り戻しつつあった。

 遠慮がちだった彼女は、好きな本の話になると声が弾むようになっていた。

 ふと、彼女が自分の手をじっと見つめているのに気が付いた。

「どうしたの?」

「……昔、村瀬さんが教えてくれたことがあるんです」

 彼女の声は震えていた。

「鬼の指は三本だけ……貪欲と嫉妬と、愚痴、人を傷つける心しかないって」

 自分の小指と薬指を折って、残りの三本を見せた。

「でも、人間には仁と愛があるから五本なんだって……」

 そう言って、ゆっくり五本の指を開いた。

「君は鬼になんかならない。ほら、ちゃんと指が五本ある」

 一瞬、彼女の表情が明るくなった。

 けれど、その時――月の光がゆっくりと図書室に差し込む。

 空を見れば夜空に満月が浮かんでいた。

 床や本棚を白い光が刺す。

 その光から逃れるように、彼女は身を屈める。

「大丈夫?」

 彼女の視線は宙を泳ぎ、わずかに手が震えだす。

「……大丈夫……です。だいじょう……ぶ……」

 自分に言い聞かせるように、震える声で繰り返す。

 ――だが、その時。

 不意に彼女の肩が大きく震えた。

 息が乱れ、苦しそうに胸を押さえる。

 次の瞬間、瞳が赤黒く濁り、笑顔の代わりに苦悶の表情が浮かんだ。

「……だめ……だめッ!」

 叫んだ彼女の声が獣の唸り声に変わる。

 瞳の色が赤く染まり、爪が鋭く伸びる。

 それでも必死にもがく彼女を、俺は思わず抱きしめた。

 すると、耳元で苦し気な声が聞こえてきた。

「……お願い……逃げて……、あなたを……傷つけたくないの……」

 そう言って俺を突き飛ばした。

 見ると彼女の姿は鬼へと変貌していた。

 そのときだった。

 不意に、墓地で感じたのと同じ冷たい風が吹き抜ける。

 背筋を貫く殺気。

 闇の奥から、あの男の影がじわりと浮かび上がった。

「ククク……結局、その娘は鬼になる」

 怨霊の声が闇から伸び、俺を絡めとろうとする。

 けれど俺は、拳を握りしめた。

「違う……! 彼女は、……鬼じゃない。鬼になんかならないッ!」

 怨霊の瞳が赤くぎらつき、あざ笑うように歪む。

「否定したところで、現実は変わらぬ。桃太郎の血を継ぐ者は、呪いから逃れられぬのだ」

「逃れられないなら……俺が、その呪いごとすべてを受け止める!」

 声が震えた。

 恐怖がないわけじゃない。

 心臓は今にも破れそうに脈打っていし、膝もガクガクと震えている。

 けれど、怯えて背を向ければ、彼女はひとりで闇に沈んでしまう。

 それだけは絶対に嫌だった。

 怨霊の輪郭が夜の闇に溶け、次第に膨れ上がっていく。

 冷気が地面を這い、足元から血を凍らせるようだ。

「そんな戯言、いつまで口にしていられるかな」

 怨霊が彼女に何か合図を送った。

 すると、彼女は大きく飛び跳ね俺に襲い掛かってきた。

 鋭い爪のように変わった指先が俺の腕を切り裂いた。

「――ッ!」

 熱い痛みが走る。

「桃花ちゃん!」

 彼女の名を必死に叫んだ。

 けれど、赤く濁った瞳は俺を見ない。

 鬼の怨霊に操られるかのように、ただ憎悪と苦しみに囚われている。

 血が流れる腕を押さえながら、それでも俺は必死に手を伸ばした。

「やめろ……! 君は……君なんだ! 桃花ちゃんはずっと、桃花ちゃんのままだ!」

 その呼びかけに、一瞬だけ彼女の動きが止まった。

 その顔には、鬼の憤怒と、人間としての哀しみが同時に浮かんでいた。

 彼女の瞳から、ふっと赤い濁りが消えた。

 怨霊に操られていた糸が、プツっと切れたように。

 すると、鋭く伸びていた爪も、細い指へと戻っていた。

 自身の手が赤い血で濡れていることに気づくと、ガタガタとその身を震わせた。 

 そして、恐る恐る俺を見た。

 腕から血を流す俺を見るなり、彼女は叫んだ。

「いやぁぁああああああッ!」

 彼女は後ずさり、膝が崩れそうになりながら首を振った。

「桃花ちゃん……」

 手を伸ばす俺を避けるように、彼女は一歩二歩と後退る。

 傷つく彼女の姿を、怨霊が嘲笑う。

「おもしろい」

「うるさいッ! 黙れッ!」

 怨霊の笑い声が耳障りでしかなかった。

 けれど、鬼は楽し気に口を歪めた。

「その娘、間もなく完全に鬼となる……それまで存分に足掻くといい」

 笑いながら、怨霊の影が闇に溶けるように消えていく。

 冷気だけをその場に残して。

「ごめんなさい……ごめんなさい」

 彼女は泣き叫びながら謝る。

「君が悪いんじゃない。君はただ操られていただけ――」

 彼女を責める気なんてこれっぽちもない。

 彼女の心の傷に比べたら、こんな腕の傷なんてたいした傷じゃない。

 けれど、どんな言葉も、今の彼女には届かない。

 一歩前に踏み出す俺を、彼女は全身で拒絶する。

「来ないで! ……お願い」

 訴えるように声を絞る彼女の瞳には、深い恐怖と絶望。

「……これ以上……あなたを傷つけたくないの」

 彼女はそのまま闇への中へ駆けだした。

「待って!」

 伸ばした手は、彼女には届かなかった。

 傷口から血が滴り落ちる。

 痛みよりも胸を締め付けられる喪失感の方がずっと苦しかった。

 けれど、俺は決してあきらめない。

「必ず……連れ戻す……どんな闇に墜ちても、君の……」

 君の笑顔を取り戻す。

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