1.プールの人魚
夜の学校は昼間とは全く違う顔を見せていた。
廊下に足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌をなでる。
窓から差し込む月明かりが青白い光の筋を作り、昼間の見慣れた教室は別の場所のようだった。
教室の窓から見える校庭も、月明かりに照らされて別の空間にいるようだ。
「昼と夜で、こんなにも違うんだな」
ぼそりと呟いた自分の声さえ、不気味に響く。
まったく、ついてない。
明日は一時限目から数学の小テストがあるのに、教科書を忘れるなんて。
図書室で借りた小説に夢中になりすぎたせいで、夜の学校に忍び込むことになった。
教科書を回収し、さっさと帰ろうとした瞬間だった。
ぴちゃん、ぴちゃん。
かすかな水音が聞こえてきた。
見ればプールの扉がわずかに開いていて、隙間から音が漏れていた。
夜の学校でプールから水音?
ゾクリと背筋が冷える。
でも、好奇心に負けて足音を殺しながら近づき、ガラス越しに中を覗き込む。
――息を呑んだ。
水面を滑るように泳ぐ少女がいた。
長い黒髪が水中で揺らめき、月の光を浴びた白い肌が淡く輝いている。
幻想的な光景は、まるで人魚のよう。
この世のものとは思えないほど神秘的で、息をするのも忘れるほど見とれてしまった。
「はぁ……」
思わず声を漏らした瞬間、彼女が振り返った。
儚げで美しい顔立ち。
驚いたような大きな瞳と目が合った。
一瞬、時が止まったような感覚に陥る。
美しい、という言葉しか浮かばなかった。
心臓が今までにないほど強く脈打っている。
でも、彼女は慌ててプールから上がると、タオルを掴んで走り去っていった。
茫然と立ち尽くす俺の胸は、今も強く打ち付けている。
彼女はいったい何者なんだろう。
夢……だろうか。
そう思ったけれど、床に滴る水の跡が確かに彼女がいたと教えてくれた。