chapter 6
地質学者は荒涼とした岩だらけの大地を見つめていた。
期待はずれの寂れた景色は、いつもながらに自分を感傷的にさせる。
いつしか彼は、二人で頑張ってきたこの数十年間の出来事に想いをはせていた。
あちこちの星系を飛び廻り、がむしゃらに調査を続けてきたこと。
つらいこともたくさんあったが、楽しいことの方が多かったこと。
残念ながら成果はゼロに等しかったこと。
たくさんの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
そろそろ潮時かもしれない。
地質学者はゆっくりと口を開いた。
「私はね、今日をもって現役を引退しようと思う」
生物学者に驚きはなかった。
日頃の言動から薄々感づいていたのだろう。
「お疲れ様でした」
そう返すのが精一杯だった。
「君と過ごした日々は一生忘れないよ。本当にありがとう」
地質学者はそう言うと、生物学者の肩にそっと手を置いた。
長かった生物探求の旅はこの星で最後になるだろう。
一人になってなお調査を続ける気力はない、と生物学者は思った。
しかし本当にここで調査を終わりにして良いものだろうか。
「我々のやってきたことは本当に正しかったのか、今でも不安に思うことがあります」
「確かに、我々には『他星での生物の発見』という偉業を成し遂げることができなかった。調査区域の選び方が悪かったのか、調査の方法が悪かったのか、色々要因はあるだろう。しかし我々は精一杯やってきたと思うよ」
「もちろん私達はできる限りのことをやってきたつもりですし、今までに採り貯めた調査結果の膨大なデータは、科学の進歩に大きな影響を与えたという自負もあります。ただ……」
生物学者はなかなか次の言葉を口にすることができなかった。
つい最近から自分の中に湧き始めた疑問。
それはまだ夢を追っていたいという願望が作り出した、単なる虚構かもしれない。
こんな話をしても地質学者が返答に困るだけだ。
そう思いつつも生物学者は言い出さずにはいられなかった。
今が自分の考えを伝える最後の機会かもしれない。
「私達が無生物だと思っていたものが実は生物なのだとしたら……、私達は目的のものを目の前にしていながらそれらを無視し、通り過ぎようとしているかもしれない。地質学者さん、あなたは何を持って対象物を生物であると判断しますか?」
地質学者は突然の質問に面食らった。
いまさら生物の定義を議論したところでなんになるというのか。
「生物と無生物との線引きはどこか、ということかね?」
「たわいもない雑談ですよ。馬鹿げたことを言ってるな、くらいの気持ちで聞いてください」
生物学者は努めて軽い口調でそう言い、言葉を続けた。
「私達は頭で物事を考え、自分の意思で動くことができます。当然のことながら無生物は自分勝手に動くことはありません。意思や自我がないからです。例えば……、そうだな、あれをご覧ください」
生物学者は、ぽつんと一つだけ群れから離れている一つの流動体を指差した。
「あの流動体も私達の目から見れば、自分の意思で動いているようには見えません。ただただ自然の摂理に沿って、なんの変哲もない動きをしているだけのように見えます。一方で、物質を量子レベルで見ると、その動きは私達の物理学を持ってしても、完全な予測は不可能です。確率でしかあらわすことができません。と言うことは、あの流動体の動きは、厳密に言うと物理法則だけでは説明がつかないんです。つまり『彼』が自分の意思で動いているのか、そうでないのかは私達には判断できないんです」
生物学者は、今や愛着すら感じられるその流動体を擬人化し、『彼』と呼んだ。
そして『彼』を片手で鷲づかみにし、てっぺんから調査器のセンサーをぶすりと突き刺した。
「生物である私達も、無生物である『彼』も、構成要素は同じ無機質な素粒子です。ミクロな世界までたどれば、お互い無機物の固まりにしかすぎません」
「しかし分子構造は大きく異なるよ。少なくとも『彼』の分子構造では、恒常性維持が無理なのではないかね。ほら見てみなさい、もう形が崩れ、中の水分が流れ出してるじゃないか」
その流動体は、するどい先端をしたセンサーが突き刺さったおかげで、外骨格が砕かれ、崩れた部分からおびただしい量の水分を放出していた。
放出された赤い液体はきれいな放物線を描き、辺り一面に飛び散った。
なぜかそばにいた無数の流動体達は、くもの子を散らすようにその場から離れていった。
「それに生物特有の生体反応が見られないね」
地質学者は、『彼』の内部にある柔らかな繊維体がぴくぴくと痙攣しているのを見ながら、そう言った。
「『生体反応』という言葉も定義の難しい言葉です。我々の言う生体反応とは、現象面だけで言及すると、しょせん分子による化学反応の総和に過ぎないんです。でも『彼』だって化学反応は絶えず起こしてるんですよ。モニターをご覧ください」
生物学者は調査器のモニターを取り外し、地質学者に渡した。
「おおまかに言うと、酸素を吸収し、二酸化炭素を生成しています。もしかすると、これが『彼』の生体反応かもしれません」
そこまで言うと、生物学者は自嘲気味に微笑んだ。
地質学者は何も返答せず、ただ黙っていた。
しばらくの間、二人に会話はなかったが、生物学者はそれでも充分満足していた。
自分の中にウミのように蓄積していた奇妙な考えを、今日ようやく地質学者に伝えることができた。
その事実だけでもう充分だった。
「例えそれが生物だったとしても」
地質学者はぽつりと話し始めた。
「我々にとって理解の及ぶものでなければ、そのことにあまり意味はないね」
まったくその通り、というように生物学者は大きくうなずいた。
先ほどの流動体はもはや痙攣さえしなくなっていた。
さっきまでの活発な運動は観察できなくなり、まるで死体のように生物学者の足元にぐったりと横たわっていた。
「とりあえず、サンプルとして持って帰りましょう」
生物学者は流動体を両手で抱えて、二三度振り回して水を切り、脇にぶらさげていたサンプル採取用のバッグに詰め込んだ。
それは、彼ら二人の最後の作業だった。




