園遊会と二つの刃
皇帝の信頼を得た私に、園遊会での料理番という大役が任された。しかし、それは私を陥れるための巧妙な罠だった! 華やかな宴の裏で、私に向けられるのは嫉妬の刃と、そして皇帝を狙うもう一つの毒の刃…。
皇帝・暁月の信頼を得るにつれ、尚食局における私の立場は微妙なものになっていった。司膳の張夫人の嫌がらせは影を潜めたが、それは諦めたのではなく、より狡猾な方法を模索している証拠だった。そして、その機会は、すぐにやってきた。
季節は春。宮廷では、皇帝が主催する大規模な園遊会が開かれることになった。皇族、高官、そして位の高い妃たちが集う、後宮で最も華やかな行事の一つだ。
「――此度の園遊会の献立、全てを李 秀麗、お前に任せる」
朝議の場で、暁月はそう宣言した。その言葉に、尚食局だけでなく、後宮全体が揺れた。新参の、しかも下級の妃である私に、国家的な行事の料理を全て委ねるというのだ。それは、異例中の異例の大抜擢であり、同時に、私に対する皇帝の寵愛がどれほど深いかを、天下に示すものでもあった。
「光栄です、陛下。謹んでお受けいたします」
私は、数多の嫉妬と驚愕の視線を浴びながら、静かに頭を下げた。これは、試練だ。そして、チャンスでもある。この大役を成功させれば、私の立場は確固たるものになり、陛下の毒の謎を解明するための、より大きな権限を手にできるかもしれない。
しかし、私が考えた以上に、敵の妨害は巧妙かつ執拗だった。
私が考えた献立は、春の息吹を感じさせる、彩り豊かで体に優しい薬膳料理。最高の食材を手に入れるため、私は自ら市場へと買い付けに出向いた。しかし、私が目をつけていた新鮮な魚は、私の目の前で「皇后様のご注文だ」と、全て買い占められてしまった。特別な効能を持つ珍しい山菜は、何者かによって根こそぎ採られた後だった。
「……やってくれるわね」
私は唇を噛んだ。これは、張夫人だけの仕業ではない。その後ろには、皇后――この国で最も権力を持つ女の一人、玉玲の影が見え隠れしていた。彼女は、皇帝の寵愛を一身に受ける私を、快く思っているはずがなかった。
私は諦めなかった。高級食材が手に入らないのなら、ありふれた食材で、最高の味を引き出せばいい。私は鶏の骨や野菜の皮で極上の出汁を取り、華やかさの足りない部分は、野菜の飾り切りや、花の形をした点心で補った。眠る時間も惜しんで、来る日も来る日も、試作を繰り返した。
そんな私を、暁月は静かに見守っていた。彼は夜になると私の厨房を訪れ、私が試作した料理を黙って味見した。
「……無理はするな」
ある夜、疲れ切って作業台でうたた寝をしてしまった私に、彼はそっと自分の上着をかけてくれた。その不器用な優しさが、私の心を支えていた。
「陛下がいらっしゃると、頑張れますから」
私がそう言って微笑むと、彼は少しだけ照れたように視線を逸らし、「……そうか」とだけ呟いた。彼との距離が、少しずつ縮まっている。その実感だけが、私の原動力だった。
そして、園遊会の当日。
咲き乱れる牡丹の花々の中、華やかな衣装に身を包んだ貴人たちが集う。私は、厨房で最後の仕上げに追われていた。料理は、次々と宴席へと運ばれていく。私の工夫を凝らした料理は、概ね好評のようだった。ほっと胸をなでおろした、その時だった。
「大変です、秀麗様!」
侍女が、真っ青な顔で厨房に駆け込んできた。
「皇后様がお召し上がりになったスープに、虫が入っていたと……! 皇后様は、お怒りです!」
血の気が引いた。ありえない。調理の工程は、全て私が確認していたはずだ。これは、罠だ。
案の定、私はすぐに皇后の前に引きずり出された。彼女は、悲劇のヒロインのように眉をひそめ、私を糾弾した。
「皇帝陛下の寵愛を笠に着て、このわたくしを辱めるとは、何という不届き者! そなたのような者に、尚食局を任せたのが間違いでしたわ!」
周囲の貴人たちも、「だから言わんこっちゃない」「身の程知らずが」と、私を非難する。張夫人は、扇子で口元を隠し、ほくそ笑んでいた。絶体絶命の窮地。
その時、凛とした声が響いた。
「――待て」
玉座から立ち上がったのは、皇帝・暁月だった。彼はゆっくりと私の元へ歩み寄ると、問題のスープの器を手に取った。
「たしかに、虫が入っているな。だが、秀麗ほどの料理人が、このような初歩的な過ちを犯すと思うか?」
彼はそう言うと、スープをじっと見つめ、そして、その中にいた虫を銀の箸でつまみ上げた。
「この虫……『銀針蜂』ではないか?」
その名を聞いて、何人かの博識な貴族が息を呑んだ。銀針蜂。その針には、即効性の毒はないが、ある特定の薬草と組み合わせることで、心臓を麻痺させる猛毒に変わるという、非常に珍しい蜂だ。
「皇后、そなたは今朝、持病の薬を飲んだな? その薬には、確か『龍心草』が含まれていたはずだ」
暁月の言葉に、皇后の顔がさっと青ざめた。
「そ、それは……」
「銀針蜂は、龍心草の匂いに引き寄せられる習性がある。そして、この蜂は、皇后、そなたの故郷の地方にしか生息していない。――これは、そなたの自作自演だな? 秀麗を陥れ、朕の食事に毒を盛る機会を窺うための」
全て、お見通しだったのだ。暁月は、私が抜擢された時から、こうなることを見越していた。そして、敵が動くのを待っていたのだ。
皇后は崩れ落ち、罪を白状した。彼女は、皇帝を毒殺し、自分の息子を新たな皇帝に立てようと企んでいたのだ。私が作った料理に、後からこっそりと毒を混ぜ込む計画だった。
「連れて行け」
暁月の冷たい命令一つで、皇后とその一派は捕らえられた。
嵐が過ぎ去った後、私は一人、厨房で立ち尽くしていた。暁月が、私を守るために、私を囮にした。その事実に、私の心は複雑に揺れていた。
そこへ、彼がやってきた。
「……すまなかった。お前を危険な目に合わせた」
「いいえ……。陛下のおかげで、わたくしは救われました」
「だが、お前は怖かっただろう」
彼は、私の前に立つと、そっと私の手を握った。その手は、温かかった。
「秀麗。朕は、もう誰も信じることができなかった。だが、お前だけは……お前の作る料理だけは、信じることができる。これからも、朕のそばにいて、朕のために食事を作ってくれるか?」
その瞳は、氷の皇帝ではなく、孤独に苛まれる一人の男の顔をしていた。
「はい、陛下。喜んで」
私は、握られた手に力を込めて、頷いた。
この事件で、一つの毒の根源は断たれた。しかし、私は知っていた。皇帝の命を狙う者は、まだいるはずだ。そして、今回のことで、私はその黒幕たちにとって、より一層、邪魔な存在になったに違いない。私の戦いは、まだ終わらない。