17.2匹の白狼
『人の子らよ。モンチキが手荒な真似をして、申し訳ありませんでした』
光る石の音のように耳に心地良くて、綺麗な声が聞こえてきた。敵意を1ミリも感じない声色に緊張が解け、顔の凝りもなくなった。
「連れて来られた時は焦りましたけど、気にしなくて大丈夫ですよ。怪我もなく元気ですから」
白狼に笑顔を向けたわたしとは違い、イキシア殿下はまん丸にさせた瞳でわたしを見てきた。
「……君、まさか白狼と話しているの?」
恐る恐るというようにイキシア殿下に問われ、首を傾げながらも頷いた。こんなにはっきりと届く綺麗な声が聞こえていないなんて、わたしの方が信じられない。
『あら。坊やの魔力は、少し捻れているようね』
「どういうことですか?」
『私は目が見えなくなってから、全てを魔力のみで認識するようになったのよ。だから、魔力の在り方が分かるの』
「目が見えない?」
言われて、白狼の瞳を見つめた。イキシア殿下も真っ直ぐに白狼を見つめている様が、白狼の灰色の濁っている瞳に、わたしと一緒に映っている。
『本当は、もう代替わりを済ませて生きていないはずなのよ。でも、代わるはずだった子が行方不明になってしまってね。山の魔力を吸っているようだから生きてはいるのよ。でも、何処に行ったのか分からないのよ。あの子に知識を譲り渡さないといけないのに』
信じたくない言葉を聞いて、体が勝手に天を仰いで、顔をしぼめさせた。
酸っぱいものを食べた時みたいに、顔のパーツが真ん中に寄っちゃうよね。だって、これってあれってことだよね?
イキシア殿下に肩を叩かれているけど、これ説明するの? わたし、したくないよ。
ああ、また叩いてきた。知らないよ。聞いて後悔するよ。
意を決して、「えーっと」と聞いたことをそのまま伝えた。
聞き終えたイキシア殿下が両手で顔を隠して背中を丸めてしまったので、「ほら、聞かない方がよかったでしょ。居た堪れなくなるもんね」という気持ちを込めて、イキシア殿下の背中を撫でた。
気安く触れてはいけないと分かっているが、あまりにも背中に影を背負っていて、見ていられなかったのだ。洞窟を出て、覚えていたら謝ろう。
深くて重い息を吐き出したイキシア殿下が、体を起こし、柔らかく微笑んできた。
「通訳してもらってもいい」
「もちろんです」
まずイキシア殿下は、子供の白狼の居場所について説明していた。呆れたように息を吐き出した白狼は、『あの子は好奇心旺盛だったけれど、保護されるほど弱くはなかったのだけど』と呟いていた。
この言葉を通訳するかどうか悩んだが、一々気にしていては正しい情報を伝えられないかもしれないと思い、全てを話すことにした。
「『自由に動ける身でここに帰ってこないってことは、人と住むことが楽しいのね。もう少しなら踏ん張れるけれど、それまでに帰ってきてくれるかしら』だそうです」
「一度帰ってほしいとお願いするとしても、聞き届けてくれるか分からないな。さっきも僕が捕まった時、喚んだけど応えてくれなかったんだ」
使役契約なのに魔物側が断れるという事実に、驚愕して目を剥いてしまった。「危険な時に助けてほしいから契約するのに、意味ないじゃん」と言いたい気持ちを、グッと堪える。
「この提案が間違っていると分かっているけど、あなたの命を伸ばすことはできないのかな? 何かあるから、僕達が連れて来られたんじゃないのかな?」
『その通りです。私達、頂点に君臨する白きモノは、その土地から漏れ出る魔力や、死んでいく魔物の魔力を糧として生きています。代替わりの子が誕生すると、魔力の糧はその子に流れていきます。私にはもう、魔力を取り込む力は無いのです。だからモンチキが、私に魔力を分け与えてくれそうな其方らを連れてきたのでしょう』
先にイキシア殿下に白狼の言葉を伝えてから、白狼に話しかける。
「じゃあ、わたしの魔力で、あなたを助けられますか?」
『其方らの魔力は澄んでおりますから可能です。しかし、私を元気にさせるほどとなると、其方らがもちません。坊やは瀕死になるでしょうし、お嬢ちゃんは死んでしまうでしょう』
「あ、そっか。魔力を感じるってことは、どれだけ魔力があるのか分かるんですね。わたし、今魔力量を抑えているんですよ。えっと、瞳の色を言えば保有量の想像つきますか?」
『……ええ、分かりやすいですね』
「わたし、緑色なんです。すごいでしょ」
『なんと……白竜様と同じ色をされているんですか……』
「白竜!? 白竜って緑色の瞳をしているんですか!?」
白狼と会話をはじめてからというもの、イキシア殿下への通訳を疎かにしてしまっている。
「白竜」という言葉に、首を痛めるんじゃないかと心配になるほどの勢いでイキシア殿下に見られ、また同じ速度で白狼に視線を戻していた。図書館の時も感じたが、イキシア殿下も夢がある話は好きなようだ。
でも、ごめんなさい。今は白竜の話題に夢中で、話している内容をお伝えする余裕はありません。あしからず……。
『ええ、白きモノ達の頂点に君臨するお方ですから』
「うわー、会ってみたいなぁ」
『今頃、どこで何をされているんでしょうね。道楽を好まれる方ですから、気まぐれに姿を現すかもしれません』
「そうなったら嬉しいです。楽しみにしています」
思ってた以上に弾んだ声が出てしまったからか、白狼に慈しむように目尻を下げられた。
「あ、話を逸らしてごめんなさい。わたしの魔力で、あなたを治せますか?」
『ええ、可能です』
「よかった。でも、わたし治癒魔法知らないんです。教えてもらえますか?」
『治癒魔法は必要ありません』
白狼に緩く首を横に振られ、「治癒魔法でなければ何?」と頭の上にハテナを浮かべる。
その瞬間を待っていたかのようにイキシア殿下に説明を求められ、「ごめんなさい」と慌てて会話の内容を伝えた。
「なるほど。君には申し訳ないが、治してもらってもいいだろうか。僕が治せたらよかったんだけど……ごめん」
「気にしないでください。わたしの魔力で治せるなら、こんなに嬉しいことありませんよ。どんとこいです」
自信満々に笑いながら、ピースした2本の指をトントンと軽くぶつけると、イキシア殿下は目を細めて微笑んでくれた。治せる人が治せばいいだけなんだから、変に気落ちしてほしくない。
わたしは白狼に向き直しても、その笑顔を絶やさない。見えていないと分かっているが、雰囲気は伝わるはずだから。何をするにしても、元気がある方が心は軽くなる。
白狼に教えてもらった治癒方法は、魔力を分け与えるというものだった。白狼の額に両手を当て、そこから魔力を流し込めばいいらしい。魔力の操作訓練をしてきたからこそ、やってもいないうちから肩の荷が降りた気分だった。
「流しますね」
白狼の額に両手を添えて魔力を流しはじめると、白狼が淡く光り出した。
久しぶりの食事に歓喜しているのか、満ちていく力に心を震わせているのか、白狼の気持ちを押し測ることはできないが、白狼の濡れていく瞳には幸福が溢れている。
一粒流れた涙は、地面に落ちる直前に雫型の宝石に変わった。ダイヤモンドよりも透明度があるのに、輝きは失われていない。むしろ薄暗い室内でも、そこにあるとしっかりと分かる。