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教授と僕

作者: アキラ

 

 教授はね、名前は忘れたけどなんとかっていう大学の数学の先生なんだって。

 それで、大学の敷地内にいくつもの研究室をもってて、そこで学生と一緒に毎日研究をするんだ。くわしくは知らないけど、このあいだ研究室の白い壁いちめんに何か数式のようなものを夢中になって描いているのをみたよ。僕が、それは何?って聞くと教授は振り返って、

「今ね、どうやったら過去にいけるか、計算しているところなんだ。」

そう言って、両手をかさかさこすりあわせてチョークの粉をはらった。


 それから教授の机はね、いつでもとても綺麗にせいとんされてるんだ。ほかの先生の研究室なんかにいくと、みんなそろってぐしゃぐしゃで汚いんだ。たばこのあととか、あと、コーヒーのしみとかがついてて、となりの研究室のおじさんなんか机の上にカビたパンのっけてたな。

 でも、教授はすごく綺麗好きだから机の上には赤いココアの缶でできたペンたてと、緑色のてかてかしてる四角形のクッキー缶が置いてあるだけ。っていっても、その中にはクッキーが入ってるんじゃなくて、前に見せてもらったときは小さくてきらきらした石がたくさんと、お菓子の包み紙だったよ。


 あ、そうそう。そういえば机の端っこのほうに、古くてほこりの匂いがする大学ノートが数十冊ぐらいおいてあったっけ。

 教授いわく、机って言うのは自分の研究をするための大切な空間だから、綺麗にたもつことは研究をよりいっそう美しくするためのおまじないなんだって。

 僕にはなんだかよく分からなかったけど、彼は彼なりの「美学」があるみたい。


 僕が教授について知ってることはあんまりないんだ。同じように、教授が僕について知ってることもおそらくとても少ないと思うよ。僕ら友達だけど、おたがいのことはあまり知らないみたい。でも、それはそれなりに安定した関係なんだ。


 そういえば、教授と一緒にお昼ご飯を食べにいったときのことなんだけど……


 二日ぐらい前からみんな徹夜でぶっ続けて研究してたんだ。僕は研究なんてたいそうなもんできやしないから、ストーブの前にじっと座ってみんなが必死に研究しているのを見ていただけなんだけど、お昼ぐらいになって教授の研究も一段落してきたってんで、他のみんなは仮眠に、僕と教授は昼食をとりに行くことにした。

 教授には行きつけの店があるみたいだった。僕の手を引いて、街の商店街をとことこ抜けてくんだ。薬屋のかどをまがって、大きなとおりをずうっと歩いていくと仕立て屋さんと写真屋さんの店のあいだに細い、地面にコケがねたくさん生えててすべりやすくなった通路があるんだ。そこを、これは僕が数えたんだけど、僕の足で四百歩ぐらい進むんだよ。

 そうすると、広いひらけた四角形の場所にでるんだ。よっつのコンクリ打ち立てって感じのビルにかこまれてて、店はちょうど真ん中にぽつんとある。



 外側、重苦しい感じの湿った木でできた、でも意外とがっちりしてる。赤い屋根の、これも暗い色に近いかな。こんなんじゃお客がちゃんと来るのかもわからない。

 内側、たぶん石でできた壁だろうな。なかは暗くてよく見えないから。椅子とテーブルがいくつも不規則にならべてあって、奥にカウンターがある。


 僕は、何度も椅子やテーブルにつまずいたんだ。教授は、かよいなれてるからかな。テーブルをすいすいかきわけるみたいにして、カウンターのほうにいくんだ。

 僕もやっとのことでカウンターまで行き着いたとき、カウンターの暗がりから店のおじさんがにゅって顔出したときはびっくりして死ぬかと思った。ほんというとちょっと倒れかけたんだ。もう何日も、研究室の端にある棚のなかのお菓子ぐらいしか食べてなかったからね。


 教授はカウンターの真ん中ぐらいに腰をおろして、僕もその隣に。二人で店のちいさなメニュー表をのぞきこんで、驚いたことに、この店はナポリタンとチーズサンドとハンバーガーとコーヒーしかないんだぜ。

 僕はバーガーとコーヒーを、教授はナポリタンとコーヒーを頼んだ。

 おじさんは眉間にしわよせたまま、ゆっくりとうなずくとカウンターの暗がりに消えていった。


 しばらくすると、そのカウンターの暗がりから、たぶん左手のほうだと思う。鉄板に油引いたにおいと肉のじゅうじゅう焼ける音がしてきた。それと同時にパンの焼ける匂いも。僕は、バーガーを作ってるんだ、と思った。

 次に聞こえてきたのは、ザッザッっていう何度も炒めるような音が右手のほうから、これは教授のナポリタンにちがいない。僕は音が聞こえてくる方向にしじゅう首をキョロキョロと動かし、鼻をひくつかせてた。

 教授はというと、いつのまにかカウンターに出されたコーヒーを飲みながら、大学ノートに万年筆でしきりとなにかを書き込んでいる。僕は首を動かすのをやめて教授の真似をして自分の目の前においてあるコーヒーをひと口すすった。僕、あんまり苦いのはだめだけどコーヒー飲めるんだよ。

 こうばしくていい香りだったな。いったい何ていう種類なんだろう。甘さの奥に深みがあって、今まで嗅いだことのない独特の香りなのに味にくせがない。口に含むとそれはゆるやかに回転してのどのおくにすっと抜けていく。

 生まれてはじめてこんなにおいしいコーヒーを飲んだような気がしたよ。

 

 あんまりおいしいもんだから夢中になってコーヒーを胃の中に流し込んだ。何しろおなかがへってたからね、そのせいもあるかも。はあ、と長いため息をついてコップをおろしたときにおじさんが暗がりからにゅって出てきて、僕らの目の前料理を並べてった。

 白い厚みのある大きな皿が、料理を上にのせて僕の目の前にずっしり、という感じで横たわった。


「コーヒーのおかわりを」

「あいよ。」

 となりをみると教授がふるえるしわしわの手で空になったカップをおじさんに渡しているところだった。

僕がじいっと見ていたのに気づいたのか、教授は僕の方をむいてゆっくりと両の手のひらを軽く胸のあたりでそっとあわせ、

「いただきます」

とにっこり笑っていった。

 それから、大きな銀のフォークをしっかりと左の手でつかんで、右の腕でたらいみたいに大きいんじゃないかってぐらいの皿を抱え込むようにしてささえ、もぐもぐと食べはじめた。

 僕もバーガーを両手でしっかりともつ。これがまたずっしりとして重いんだ。

 ひと口食べると、レタスがぱりって、まるでポテトチップスのCMみたいな音がして、牛肉はふうわりじゅうってなかんじで分厚い。ほっぺたが落ちるほどおいしいってこういうこというんだろうなって、僕おもったよ。

 

 教授も僕も無言で必死に食べた。

おかわりのコーヒーが来る頃には教授はもう食べ終わってたぐらいだよ。

教授はふーって長くさっき僕がしたみたいにため息をついて、満足したよのバッチグーサインを店主におくってから、すっかりナポリタンでオレンジ色になった白ひげをハンカチでふきにかかった。

 僕もバーガーを食べ終えて、だけどバーガーの横にトマトとポテトサラダがそえてあったんだけど、僕どうもトマトって食べられないんだよ。あのつぶつぶがどうも許せなくって。それからくさいじゃないか。だから、フォークでそっと横におしのけようとしたら、いつのまにかおじさんがカウンターの僕の目の前にたって、さっきよりもっとまゆとまゆの間にしわをよせてにらんできたんだ。

 これには、僕もまいったね。しかたがないから鼻つまんで口のなかにおしこんで、コーヒーでぐいってながしたよ。


 そしたらね、おじさんいきなりにかって笑って、すごくごつごつの手で僕の頭をわしゃわしゃなでた。驚いて僕、目ががまわったけどなんだかうれしかったなあ・・・



 あ、そろそろ時間だ。僕が今日、教授について話せるのはここまで。僕これから教授のじょしゅさんにフランス語教えてもらうの。おじさんの仕事がんばってね。じゃ。





 少年は、笑顔でそういって私に手を振ると、足早に街のひとごみへと消えていった。


さて、私はこれからいそいで帰って、今の少年との会話を日記に書き込もうと思う。それが私がしたことへの罪滅ぼしになれば、またはいつか少年にきちんと説明できる日がくればいいと思う。

 私は静かに目を閉じ、さきほどの少年の走っていく小さな背中を思い出した。彼がいつか教授のもとでたくさんのことを知り、大きくなってから私は彼のもとにこれを届けよう。


 私はゆっくりとカフェテリアの椅子から重い腰をあげ、少年のすわっていた椅子を何秒か見たあと、街のざっとうのその先にある駅へと、歩いていった。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

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