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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

カイコガの恋

作者: 寺田ゆきち

凛々しい眉、形の良い唇、淡い青をまとった虹彩のさす瞳でじっと見詰められると、まるで自分が特別だと錯覚する。

彼の特別だと、物語のヒロインのように特別な存在であると。


そう、誰でも思ってしまう。


この蚕の町の娘たちが、そんな勘違いをするのを、俺は何度も目の前で見てきた。


ましてや俺は彼のカイコガ。

しかも、飼育されている三匹の内の一匹に過ぎない。


自己紹介が、まだだった。


俺はこの絹の生産が栄えた町、木の葉町に、たくさんいる蚕の兄弟の一匹として生まれた。

名前はヤチ。


蚕といっても、ただの蚕ではない。

長い長い人との交流の中で、人に擬態することを覚えた、特別な蚕だ。

それは人の形で生まれると、桑の葉を与えられ、屋台のわたあめのように体から絹糸を出しながら、すくすく育つ。

羽と触覚が現れる成体になった頃、俺達は絹糸を作る役目を終え、愛玩動物として売られるのだ。


くりくりの黒く丸い瞳、ふわふわの白い羽に触覚と、天使と見紛う程の愛らしさに、蚕の成体は人気である。

ーーー本来なら。


蚕の飼育を生業としている彼は、俺を優しく見つめ、微笑んでくれる。

まるで特別なものを見るように。


けれど、俺はちゃあんと身ほどをわきまえているつもりだ。

他の兄弟は全て買い取られていったが、俺の他に、この家に残っているカイコガが二匹いる。


一匹目は、たくさんいる兄弟の中でも一番上の兄、イズルだ。

彼は、兄弟全てが引き取られるまではこの家に残るという。

責任感が強いのだ。


二匹目はハツネ。

俺の何個か下の弟で、兄弟の中でもいっとう美しく、高値が付いたため、なかなか買い手がつかないが、それも時間の問題だろう。


そして、俺はというと、自分で言うのは心が痛いが、正真正銘の売れ残りである。


理由は、分からない。


こうなるまで、ハツネのように特別美しいとは言わないが、他の兄弟と大差はないと自負していた。

しかし、兄弟達が次々と引き取られる中、実質最後の一匹となってしまうと言い逃れできない。

要するに魅力がないのだ。


「ヤチ、おいで」

あれこれ考えている間に、餌の時間だ。


基本的に餌の順番は年功序列、兄のイズルの次は自分、最後にハツネが正当なのだが、俺は鈍臭いのか時間がかかるので、最後に回されている。


優しく部屋へと手招かれ、木製の扉が閉まると、唯一彼をひとり占めできる時間だ。


柔らかな革張りのソファの前には、小洒落た丸いテーブルがある。

その上に桑の葉を煮出した水が、水色のガラス瓶にたっぷりと注がれている。

これが、成長した蚕、つまりカイコガの餌である。


俺達が、蚕からカイコガになる時、容姿が愛玩向きになることや絹糸を出さなくなる以外にも、桑の葉そのものを食べられなくなるという変化がある。

これは胃の衰弱によるもので、変化というより、劣化というのが正しいかも知れない。


カイコガは、成虫になっても一生人の手を離れられない。


俺は、彼に招かれるまま、ソファに腰掛ける。

肩が触れそうなほど近くに彼を感じると、そっと唇が触れ合った。

与えられた水がゆっくりと喉を通る。


俺の手・・・俺達の手は、ガラス瓶を持つことすらできない程に非力だ。


一年前、初めてこの部屋で餌を与えられた時の衝撃は、とても言葉にはできない。


当時の彼、グウェンは17歳。

俺は8歳だった。


グウェンは家業を継いで二年目になり、俺達兄弟はグウェンに引き継がれた二期目のカイコガだった。

一期目、つまり一年前に成虫になったカイコガは、とっくに全て買い取られ、俺達の兄弟も、成虫になった直後に半分が巣立っていった。


淡い茶色の髪、焦げ茶色の思慮深い瞳。

齢17歳にして、成熟した男らしい体躯で、グウェンは俺をソファに座らせる。

俺はただただ、グウェンを見つめ返していた。

そして、今と同じように口移しで餌をもらった。


まさか、人間がカイコガに口づけするなんて。

グウェンの逞しい腕の中で身じろぐと、グウェンは不思議そうに俺に微笑んだ。


その時、悟った。

グウェンは特別な人間だ。

町のみんながそう言う。


若くして家業を引き継ぎ、たくさんいる蚕の世話をそつなくこなす。

整った容姿をしているのに、浮ついたところがない、立派な男だと。


だけど、グウェンに見詰められても、微笑まれても、俺は特別じゃない。

口づけすらも、特別なんかじゃない。

他のカイコガと同じ、同じように餌を与えられ、生かされているだけだ。


いや、同じどころか取り残されてしまった。

去年の秋、羽化の季節に、ほとんどの兄弟は選ばれ、引き取られていったのだから。


また秋がくる。


グウェンは家の隣にある、蚕を飼育するための厩舎で働いている。

俺とイズル、ハツネの三匹はというと、日中することもなく、家でグウェンの帰りを待つのが常だ。


昼間、ほとんど開くことのない玄関の扉が、突然に開いた。


「あれ?カイコガがいる」

中を覗き込んできた男に、見覚えはない。

年はグウェンと同じか、少し上に見える。

光沢のある清潔な衣服や、洒落たアクセサリー、整えられた髪は、ずいぶんと都会的な印象だ。


三匹が警戒に身を固くしていると、男は無遠慮に家の中へと侵入してきた。

一番先に動いたのはイズルだ。

無言のまま、男の隣をすり抜けると、厩舎の方へと歩いていった。

荒事になれば、俺達に勝ち目はない。

グウェンを呼びに行ったのだ。


男はイズルを見送ると、俺とハツネの転がるカーペットに膝をついた。

「おかしいな。今期の蚕はまだ成虫になってないんじゃなかったか?」

「あんた誰?」

ハツネの、カイコガにしては高飛車な声音にも、男が動じた様子はない。

「俺?俺はカイコガを買いに来たんだよ。まだ引き取りの時期には早いと聞いていたけど、下見にね」

「今期の蚕なら、隣の厩舎にいるよ」

ハツネは顎で厩舎を指す。

言外に、出ていけということだ。


俺は少し男が可哀想になった。

ノックもなしに家へ上がった無礼者だが、カイコガを買いたいと言うなら大事なお客様だ。

「俺が厩舎へ案内するよ」

止せばいいのにと顔をしかめるハツネを視界から追いやり、俺は男の手を取った。

「君、親切だね。名前は?」

「ヤチだよ」

「ヤチ。可愛いね」

男は、手の中にすっぽりと収まった俺の白く小さい手をじっと見ている。

可愛いなんて、初めて言われた。


急に足元がふわふわと浮いたような心地になるが、きっとカーペットのせいだろう。


手がむずむずして、でも急に離すこともできずに、そのまま外に出る。

すると、調度グウェンとイヅルに行き合った。


瞬間、俺と男の間にグウェンが割り込み、俺は背後へと押しやられてしまった。

「ちょっと、何?心が狭いんじゃないの?」

「大事な商品に勝手に触られるのは困る」

男の不服そうな声に、グウェンが即答した。


商品。

値段を付けて売っているのだから、当たり前の事なのに、胃がぎゅっと縮んだ。

グウェンにとって、俺は家族ですらない。


グウェンに追い立てられ、俺とイズルは家へ。

男とグウェンは厩舎へ入っていった。


夕方、家へ戻ったグウェンはなんだか酷く疲れた様子だった。

去年の今頃も、カイコガを値切ったり、無茶な要求をしてくる客がいると、こんな風だったことを思い出す。

大方、今日の男に、気に入った蚕を成虫になる前に引き取りたいだとか、無茶を言われたに違いない。


およそ家事もできず、日中のんべんだらりと過ごすしかないカイコガの俺だが、できることはある。

椅子に腰掛け、ぐったりとしたグウェンの足元に座り込むと、太ももに頭を預けた。

それに気付いたグウェンは、優しく頭を撫でてくれる。


側にいること。

何もできなくても、それだけはできる。

商品だと言われても、側にいられれば、それで良いじゃないか。


「ヤチ」

「なに?」

グウェンの大きな手のひらに、うっとりと目をつむる。

「明日、あの男が引き取りにくる」


全身に冷水を浴びせられたようだった。

誰を、なんて聞かなくても分かる。

兄弟が一人、また一人と売れていくのを見て、あんなに羨ましく思っていた癖に。


嫌だ。

売られるなんて、嫌だ。

グウェンと離れるのは、嫌だ。

今にも叫び出してしまいそうだった。


だけど、俺は売られるために生まれた、たくさんいるカイコガの中の一匹。


「そっか」


そう、答えるしかなかった。

ふと顔を上げると、グウェンと目が合った。

グウェンの瞳が、揺れている。

ねぇ、少しは寂しいと思ってくれている?

俺は寂しいよ。


兄弟達と離れる時、寂しかった。

取り残されて、悲しかった。


だけど、今はもっとーーー


この家で過ごす最後の夜になると思うと、なかなか眠れなかった。

星の明かりを眺めながら、もっと昔、まだ蚕だった頃、グウェンに抱えられて星空を見たことを思い出す。


グウェンの今よりも少し高い、やんちゃな少年の声が、蘇ってくる。


「もっと先、川の向こうだ」

「でもグウェン、良いの?勝手にこんなところまで来て」

初めての外。

不安に揺れて、少し舌足らずな俺の声を打ち消すように、グウェンの表情は明るい。

月明かりに照らされて、まるで王子様のようにきらめている。

「大丈夫だって、ヤチは臆病だな」


実際、その頃の俺は兄弟の中で一番といって良いほど臆病だった。

そのせいで、他の兄弟よりもグウェンの手を煩わせている自覚もあったので、反論できずに黙り込む。


雨が振り始めた。

二人は雨に濡れながら、川の向こうを目指した。

そして無事、グウェンが昼間見つけた白い花(グウェンは俺に似ていると言ったが、全く似ていなかった)を見るという、最初で最後の冒険を果たし、俺は無事に体調を崩した。


次の日、熱を出して顔を真っ赤にした俺の前にひざまづくと、グウェンは緊張した面持ちで俺の手を握った。

俺が体調を崩したせいで、グウェンの両親には、夜中に俺を連れ出したことがばれた。

しこたま叱られたらしく、可哀想に、グウェンは少し涙目だ。


「父ちゃんに、ちゃんと責任を取れって言われた」

苦しいながらも、俺は頷く。

ちゃんと聞いてるよ、グウェン。


「だから、だから、ヤチと結婚する」


大人たちの会話の何を混同したのか、グウェンは真剣な面持ちでそうのたまった。


「ヤチとずっと一緒にいる」


前半の約束が守られることはないが、後半の約束は今日までずっと守られていた。


美しい朝の光が、町に降り注ぐ。

足がふらふらとグウェンの寝室へ向かう。

グウェンは寝室にはおらず、リビングの椅子に座っていた。

まさかとは思うが、昨日の夜のまま、ずっとそこにいたみたいだった。


グウェンは顔を手のひらで覆ったまま、こちらに気付かない。

あの目がないことが、今はありがたかった。


「ずっと一緒にいるって言ったのに」

唇からこぼれだした声は、まるで亡霊のようにかすれていた。

なのに、グウェンは弾かれたようにこちらを見た。


「ずっと一緒にいるって言ったのに、なんで」

一度あふれたら、止まらなかった。

こんなこと、言うつもりじゃなかった。

視界が揺れて、グウェンが驚きに目を見開いている。

結局、泣いてしまった。

泣きたくなんかなかったのに。

引き取られることが決まって、泣いた兄弟なんて一匹もいなかった。


そういうものだから。

嬉しいことだからと。


気付くとグウェンの逞しい腕の中にいた。

馴染んだ匂いに、ほっとする。

でも、それもこれで最後かと思うとまた泣けてきた。


「ごめんな」

グウェンの言葉は、俺を絶望させた。

泣いてわがままを通そうなんて、幼稚だと思われただろう。

恥ずかしくて、いたたまれないのに、ぎゅっと握ったグウェンのシャツを、どうしても離せない。


「ヤチが売れ残りだって気にしてるの、分かってたのに」


グウェンの声は、子守唄のように優しい。


「昨日のあの男に、ヤチが可哀想だと言われた。金で買われて大切にされるのが、カイコガの幸せだと」


グウェンのぬくもりに、寝不足の頭がぼんやりとする。


「だけど、ヤチのことは」


しっかりと抱きしめられてうとうととーーー


「どうしても手放せなかった。去年も、ヤチだけは値を付けなかった」

「えっ」


一瞬で意識が覚醒する。

グウェンは気まずそうに俺から顔をそらす。


「だから・・・、悪かった」


俺は思い出した、グウェンが元々はやんちゃで、ちょっと意地悪な男の子だったことを。


「お前は売り物じゃない。特別だから」


朝日に照らされて、グウェンは輝いている。

あの日から、何も変わってない。

ううん、少し変わった。

大人っぽくなって、周りにちやほやされるようになった。

でも、でも、ちゃんと俺の王子様のままだった。


嬉しくてたまらなくなって、俺はグウェンに抱きついた。


すっかり日が昇ると、あの男がまたやってきた。

でも、グウェンはもちろん俺を売ったりしなかった。

男は名残惜しそうに何度も俺を見たけど、最後は諦めて帰っていった。


それから俺達は何も変わらない。

今までの暮らしを、と思っていたのだけれど、弟のハツネが今年羽化したカイコガと共に引取先が決まってしまった。

しかも、その後すぐにイズルまで。


俺はぐずぐずと不満を漏らす。

「イズルは兄弟全部引き取られるまで、いてくれるんじゃなかったの?」

「ヤチだけ売り物じゃないことなんて、兄弟みんな知ってたから、論外でしょ」

イズルの代わりにハツネが応戦する。


そうなのだ。

俺が売り物じゃないことは、勿論買い手側には知らされていて、兄弟達も薄々察していたらしい。


しかも、俺が売れてしまいそうになった一件のすぐ後、イズルがグウェンに餌をもらっているところを目撃したのだが、いわゆる、普通に飲ませてもらっていた。

口移しで餌をもらっていたのは俺だけだった。

どうりで俺だけ時間がかかる訳だ。


こうして、家にはグウェンと俺の二人になった。

最初は少し寂しかったけど、グウェンを毎日ひとり占めできるなんて夢みたいだ。

グウェンは前より、もっとずっと優しくなったけど、夜、二人でくっついていると、やっぱりちょっと意地悪な、昔のグウェンに戻ってしまう。

だけど、それがなんだか嬉しいのは、俺だけの秘密にしておくつもりだ。

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