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4 赤いドレス

 娘が話しかけてきた。

 目を合わすほどではないけれど、顔をほんの少しこちらに向けている。


 話しかけてくるなんて聞いてないんだけど……あの御者ったら、ほんといい加減だわ。



「あなた、王子様の婚約者になったって、ほんとう?」



 青白い顔の娘は、か細い声で問いかけてくる。


 さっきの御者との会話を聞いてたのかしら。

 無視……は無理ね。こんなに狭い車内だもの。

 答えたほうが、いいわよね……


「ええ、そうよ」


 私は、強めの口調で答えを返す。どうせどこかの没落令嬢が、気がふれてフラフラ出歩いてるだけよ。私よりも格下だわ。別に怖いわけじゃないもの。


 娘は心底不思議そうに、冷たく細い声でまた尋ねてくる。


「失礼だけど、あなた、身分は低いでしょう? どうしてあなたが王子様の婚約者なの?」


 本当に失礼ね……

 私は反射的にムッとした。

 相手の身なりの良さに妬みを感じていた私は、怖さよりも怒りが若干上回り、思わず今日の婚約破棄騒動を自慢したくなった。


 そうよ、私はもう身分が低いなんて言わせない。第一王子の婚約者よ。いずれ王妃になるんだから。


「王子が私を選んだからよ」


「それはどうして?」

「そうねえ、元々は伯爵家の令嬢が婚約者だったんだけど、日頃の行いが悪くて婚約破棄されちゃったのよ。それで、王子が惚れ込んだ私が新しい婚約者になったってわけ」


「日頃の行いが悪いって、どういうこと?」

「私をいじめたり、他の男と遊びまわったり、とかね」


「本当に?」

「さあ、どうかしら。でもそんな話をたくさん聞けば、そうに違いないって思うのよ」


「じゃあ、ウソってこと?」

「王子が私のこと信じてくれるなら、ウソも本当になるのよ」


「その王子様は、婚約者の話を聞こうとしなかったの?」

「聞く耳なんてもたないわ」


「それは、どうして?」

「だって、いつも上から目線で口うるさいったら。王子だってウンザリしてたのよ」


「あなたは?」

「私はね、ほめまくって、おだててあげるの。そしたらこの子は味方だ! ってすぐに信じてくれるのよ」


 私は今夜の舞踏会を思い出して、またちょっと愉快な気分になった。


「あなたはいつもそうやって、男の人を(とりこ)にするの?」

「ええ、そうよ」


「あなたは何の罪もない令嬢を追い落として、王子の婚約者になったってこと?」

「ええ、そうよ。そして私が未来の王妃よ」



「まあぁ、ァ、す ご い」



 娘は顔を不自然な角度でこちらに曲げ、真っ黒な穴のような目をさらに見開いて、ニイッと笑った。



「ひっ……」



 あまりの形相に、思わず悲鳴が漏れる。


 私、何か答えを間違えた?

 ついペラペラしゃべっちゃったけど、調子に乗りすぎてしまったかも。

 私は急に後悔して、取りつくろおうとしたけれどもう遅かった。


 青白い顔を不気味な笑顔で歪ませた娘は、ぶつぶつと早口で呟いている。


「ああっ、なんてうれしいの。ねえ、私もとってもうれしいことがありましたのよ。ねえねえ、なんだと思います? ねえねぇェねえ、聞いてくださるでしょう? ねえねェねえねえェエ、いいでしょう?」


 娘の口が耳まで裂けていき、恐ろしい笑みを浮かべている。

 そして、ものすごい勢いで髪を振り乱しながら、こちらに飛びかかるようにしてつかみかかってきた。



 ――バンッ!!



 と、大きな音を立てたのは私の後ろのドア。

 思わず後ろのドアに体当たりするほど後ずさってしまったのだ。


 娘は私にのしかかるようにして、顔を近づけ覗き込んでくる。

 ズタズタに傷んだ金色の髪が何本もバサバサと私の顔に落ちてきて、真っ黒な穴だけの両目が間近に迫ってきた。

 濡れた白いドレスが私の体にくっついて、じわっとぬるい水が私のドレスに移ってくる。


 気持ち悪くて、恐ろしくて、息が詰まった。

 叫んだと思った声は、かすれた空気の音しか出ない。


 娘は冷たい声で、だけどどこかうれしそうに、薄くひび割れた唇を震わせながら、ニタニタと笑いささやいた。



「私もねぇェエ、ずぅっと昔に婚約破棄をされたの。あなたみたいに、とォっても狡猾な女に嵌められて、処刑台に送られたのよォぉ」


 娘の声は興奮してどんどん大きくなり、金切り声に変わっていく。


「それでッ、私、ずっとずうっと、待っていタの。そうあなたを待って嗽たの。会えてうれ蒜いあぁ。とってもうれしいイィイィいいイィぃ」



「……い、いやっ、それ、ちが、私じゃな……やめっ、やめてっ、」



 唇が震えて、声がうまく出ない。


 金色の髪からボタボタと落ちてくる水滴が、いつの間にか血のような赤い色に変わっている。それは私の顔や首筋にドロリと垂れてきた。顔や体に幾筋もズルズルと冷たい赤い水がまとわりついて、全身が総毛立つ。



「ネえねエェねえ、ネええッ、ねえヹえェ、あなたのその可憝らしい水色のドゔスの色も、何か意味が詮るの呮しらあぁあっアアあぁぁぁあ」


 私は必死で体を動かし、娘から離れようともがきながら、狂ったように馬車の扉を叩いた。


「助けてっ! ねえっ、ここ開けなさいよ! 開けて!! 助けて助けて!!」


 絶対に外に音は聞こえているはずなのに、御者がやってくる気配はまるでない。

 私は爪が剥がれ、手の皮が破れて血が飛び散っても、必死で扉を殴るように叩き続けた。


 娘は、私の顔をつかんで自分の方を向かせ、金切り声を浴びせ続ける。


「ねえねえ譁ェえねええね涅ねねぇねえねえ、答えて答ぁて答えテ答えてよぉ、どうュてど蕆してどうシて、っど潢どどう狃してぇッ」



 一息に叫んだ後、ふいに娘がぴたりと止まった。


 そして目の前にある裂けた口が、にいいっと大きく歪んだまま、壊れたような笑い声を立てる。


「そうだあ、私、あなたにプ蠕ゼントしたい絞のがあるの。赤いドれスと、黒いドレ壊。ねええええねえねねねねえ、どちらがいいかしらあアアアァァァ??」


 思わず間近の娘の目をまともに見てしまい、その黒々とした恨みに射抜かれて、私は答えてしまう。



「あ、あか………………」



 あ……そうだった。


 私、赤いドレス着たいなって思ってたんだっけ。

 本当は、今日着ていたみたいな淡い色は好みじゃないの。

 派手で、豪華で、誰よりも目立つ赤を。

 それを着てもいい身分になりたくって、そう思って…………



 私の答えを聞くと、娘はすうっと力を抜いて、にっこりと笑った。

 それは今までとは違って、とても澄みきったきれいな笑顔だったから、私は思わず見惚れてしまった。


「そう……私は、赤は大嫌い。だからあなたに」


 目の前が真っ赤に染まる。


「プレゼントしてあげるわ!!!!!」













 行方不明になっていたエヴィータ・ヴァランシーは、モールテッドの古森で発見された。


 近くに池や川はなかったが、全身ずぶ濡れで死んでいた。行方不明になった夜、彼女は水色のドレスを着ていたが、発見された時には血で染まった真っ赤なドレスに変わっていたという。


 最後に何を見たのか、ひどい死に顔であったと言い、その顔を見た者はしばらくうなされる日が続いたらしい。


 彼女を乗せた馬車は姿を消した。王城勤めの馬車番は誰もエヴィータを乗せておらず、出ていくのを見た者さえいなかった。


 レオナルド王子は婚約破棄騒動のその夜に、勝手な真似をと国王から叱責を受け、西の塔での謹慎を言い渡された。これ自体は重い処罰ではなかったが、ひと月も経たないうちに、塔の中で王子は気が狂い、ある晩、塔から落ちて首の骨を折り死んでしまった。


 見張りの兵によると、毎夜、女が塔を登ってくると言って眠らなくなり、あっという間に気がおかしくなったという。しかし、女の姿を見たものは王子の他にいなかった。


 王太子にはアラン第二王子が繰り上がり、その婚約者にはカタリーナ・シャンデル伯爵令嬢が選ばれた。例の婚約破棄騒動で塞ぎ込んでいたカタリーナ嬢をアラン王子が懸命に励まし続け、その献身的な姿を皆密かに応援していたので、反対するものは誰もいなかった。




 エヴィータとレオナルド王子が死んで以降、モールテッドの古森で白いドレスを着た女が現れることはなくなったが、城下の御者連中は別の迷信を囁きあった。


 帰り道にモールテッドの古森を通ると、ずぶ濡れで真っ赤なドレスを着た女が現れる。馬車に乗せてやると酷い罵り声を上げ、乗り合った人を憑き殺そうとするらしい。タチの悪い悪霊だ。たまたま初めに出くわしたのが僧侶見習いであったため、かろうじて難を逃れたと言う。


 以来、帰り道にモールテッドの古森を使ってはならないと、城下の御者たちなら誰でも知っている。万一、夜の森で佇む赤いドレスの女を見かけても、決して乗せてはならないとも。




 赤いドレスの女は、今もモールテッドの古森で彷徨っている。


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